春の前の嵐
それは、朝露が陽に当たり光りを散らすキレイな朝でした。
身支度をしている私やミエちゃんの耳に、大きな声が入ります。
「誰やッ!?畑に花を植えたんわッ!」
広い屋敷中を揺るがすような大声でした。
その声の主が高見家の主人である良一様のものであると気付いた私は顔が青ざめます。
私は髪もとかずに声のした方、台所がある土間へと恐る恐る足を運びます。
そしてそこには顔を鬼のように真っ赤にさせた良一様が腕を組んだ仁王立ちでいました。
私は良一様と目が合い、その剣幕から枯れた喉を震わせて聞きます。
「あ、あの、何かございましたか?」
すると、良一様が大きく息を吐いて、「見てみい」とアゴで勝手口の外を指します。
私はそろそろと土間に下りてわらじを履き、イソイソと勝手口へ近付きます。
すると目の前のウネに一尺(30センチ)くらいの菜の花の芽がたくさん列を成して生えていました。
芽が出たのは4~5日前でした。ですが昨日は雨が降ったおかげか、一晩でずいぶんと伸びたもんだなぁ~、と私はノンキにもそう思いました。
が、やはり菜の花が良一様の怒りの原因だと確信に変わると、そんな寝ぼけた感想も一気に吹き飛びます。
なんと言えばいいのか分からない私に、良一様から声がかかります。
「アッコさん、ここに花を植えた人を知らんか?ここは野菜を植える場所なんよ。やから花に土の栄養を与えるなんてできひん決まりなんや。その決まりを破ったもんを叱らなあかん」
聞いて、私は瞬時に深く頭を下げます。
「す、すみません。ここの畑、あいていたので、私が植えました!」
「アッコさんが?」
良一様が首をひねります。
「なんで、そんな勝手なことしたんや?雇い主であるワシの土地を勝手に使うには雇い主の許可をいただくのが当然と違うんか?」
先程の怒気はないものの、声に厳しさと重々しさがあり、私の頭にのしかかります。
良一様の言う事は確かです。ここの畑を使うのにトシさんから許しをもらいましたが、土地の主である良一様には一言も相談をしていませんでした。
と、いうのも実は、みんなには内緒にして驚かそうと思っていました。
菜の花でいっぱいにして驚かして、みんなを喜ばそうと……
ですがそれは浅はかな行為でした。
小さな畑であれ、地主様の土地。勝手なことをしたうえに地主様を無下にしたという行為は侮辱に値します。
「申し訳ございません。全て私の勝手な行いです。申し開きもございません」
私は目頭を熱くしながら、地面を見ます。今にも涙がこぼれそうです。
良一様は小さく「そうか」とこぼし、次いで私に言います。
「じゃあ、あの菜の花は全部処理をしてくれ。今は花を見る気分じゃないんだ」
「待ってくれや!」
突如、後ろから刺さる声に驚き、振り向いて見るとそこにはトシさんがいました。
「おとんっ!俺がアッコさんにこの畑で菜の花を植えるように頼んだんや!」
「トシが?」
良一様がジロリとトシさんを睨みます。
「そうや、俺が頼んだんよ。菜の花だって食べられるって聞いて、食べてみたくなったんや」
「だとして、ワシになんで何も言わんかったんや」
「断られるのが分かってたからや」
トシさんが言うと同時に、
『バシィッ‼』
と乾いた音が土間に鳴り響き、それと同時にトシさんが横に倒れます。
良一様がトシさんの頬に張り手をしたのです。
それを見た私は「ヒッ!」と声が出る口を両手でおさえます。
次いでトシさんを見ると、彼は頬を片手でさすっていました。
私はそんなトシさんにかけよろうとするも、彼が手の平をこちらに向け、私の足を制します。
トシさんは良一様の目をまっすぐ見つめます。
「そうやっておかんを思い出すもん全て遠ざけたかてしゃあないやろ。そんで、忘れ形見であるヨシエ姉さん嫁に行かせて」
「違う、ヨシエの嫁ぎ先は前から決まっとった。結婚を次の春にしたんは流行り病にかかるもんが多かったからや」
「けど、急すぎやろ!ヨシエ姉さんはおかんの連れ子やし顔も似とるから、見とるのが辛くなったんとちがうんか!?」
「トシィッ!」
良一様の怒号、そして蹴りがトシさんのお腹に入り、トシさんは後ろの棚へ激突します。
その拍子にガラガラと家具や金物が棚から落ち、床を転がっていきました。
良一様は床にふせたトシさんに言います。
「子供が知ったような口を聞くな。ヨシエが御卒業さんにならんでええやろが、そうならんために尽くすんが親の務めや」
良一様が言うこの『御卒業さん』というのは、女学校において当時は在学中に結婚して寿退学をするというのが一般的であり女の幸せでした。
逆に最後まで在学し、結婚話も無く卒業を迎える女生徒は御卒業さんと揶揄されるような言い方をされてしまうのです。
とはいえ、大正の頃には職業婦人を目指す女性の方々が出てきて、そのような風習は薄れつつあります。
なので、良一様の言い分は苦しいモノがあります。
「そんなもん、ただの言い訳やんか」
トシさんは小さく、されど吐き捨てるように言います。
それを聞いた良一様は何も言わずにトシさんへと近づきます。
危機を感じた私は、トシさんの前にヒザをついて座り込み、両手を広げました。
声は、出ません。私はどう言葉を発するべきは分かりません。けど、このまま見過ごすのはできませんでした。
良一様は困った顔をしました。
「どきなさい、アッコさん。これは高見のもんの問題や」
けど、私は首を左右に振ります。菜の花の責任は私にあります。このような展開になるとは思っていませんでしたけれど、それでも責任はあります。
そしてなにより、このままでは高見の方々にとってダメになると、ここを見過ごすと高見一家が悪い方向にいってしまうという予感があったのです。
なので、ここをどくわけにはいかなかったのです。
良一様が頭をひねり、どうしたものかと悩んでいると、横から声がかかります。
「おとうちゃん、トシの言う通りなんよ!」
「ヨシエ!?」
良一様が土間に入る廊下から泣きそうな声で話すヨシエさんに気付きます。
「私も早く結婚したいなんて思ってない」
そう言いながらヨシエさんはわらじを履いて土間へと下ります。
良一様は涙をこらえるヨシエさんを見てたじろぎます。
「け、けどヨシエ、結婚するんは賛成やったやんか?」
「それは辛そうなお父ちゃんを見るのがこっちも辛かったからや!」
ヨシエさんはいよいよ涙をこぼして続けます。
「結婚の話をまとめるためにあちこち走りまわるお父ちゃんはイキイキしてた。せやから……私、目をつむってた」
そう言われ、良一様は口をパクパクとさせます。どう声をかけたらいいのか分からないのでしょう。
ヨシエさんは腕で涙をぬぐいながら言います。
「けど、もっと家におりたい。ヨシ子とアキ、サチがちゃんとできるか心配や」
「え、ウチは?」
気付けば土間に居たミエちゃんが言います。
「ミエちゃんはしっかりしてるから…」
「まあな」
胸を張るミエちゃんに良一様が言います。
「こら、ミエ子!部屋に戻っとれ」
「部屋におっても聞こえるねん!その大きい声、近所迷惑やろ!」
負けじと言うミエちゃん。次いで、床に転がる金物を片付けます。
「どうせこの後に片付けをするんはウチなんや。早い方がええやろ!」
ミエちゃんの物言いに、良一様の話の腰が折れ、バツが悪そうにため息をつきます。
私はここだと思い、パンッと柏手を打ちます。そして、ノドを震わせて言います。
「みなさん、言いたいことが色々とあるみたいですね。けど、お互いに気をつかって言えなかったのだと思います。どうでしょうか?一度みんなでしっかりとお話をしてみては?」
一所懸命に声を振り絞ります。みんなには立ち直ってもらいたい一心で、
「みんなの思いがバラバラだと、一家もバラバラになります。これからのために、どうするべきなのかを話し合いましょう。もちろん、暴力はなしです」
そう、私が言うと、外からパチパチと拍手が聞こえました。
「見事なお裁きやで、アッコさん」
言って、勝手口から手を叩きながら入ってきたのは次男のリョウジさんでした。
リョウジさんはおまわりさんで、夜勤のお仕事を終わらせて帰ってきたところでした。
「朝っぱらから家で大きな怒鳴り声が聞こえるわ、中に入ると荒れとるわで、強盗かと思ったで。なんなら、おまわりさんが詳しく話を聞こか?」
リョウジさんに言われ、良一様はあきらめたのか、
「今日はもういい。また今度に話す」
と言って、土間から廊下に上がり部屋の奥へと入っていきました。
私は改めて、床に座るトシさんを見ます。
「大丈夫ですか?痛い所ないですか?」
聞かれ、トシさんは苦笑いで返します。
「大丈夫や、ありがとうな。けど、かっこ悪いところをみせてもたで」
そんなことはありません!
「そんなことはないです!家族を想うトシさんはカッコよかったです!きっと家族思いの良いお父さんになれます!」
私が言うと、トシさんは顔を真っ赤にして難しい顔をしました。
「か、かお、洗ってくる!」
そして急いで勝手口から出ていこうとします。ですが、出口の前に立つリョウジさんとすれ違いざまに肩を掴まれます。
「ええ子やないか、手を離すなや?」
「うるさいッ!」
トシさんはリョウジさんの手をふりほどき、外の井戸へと走っていきました。
私はまた何か怒らせるようなことをしたのでしょうか?
そんな不安を胸に抱いていると、ヨシエさんが突然に抱き着いてきました。
「ありがとうね、アッコさん。とてもスッキリした」
いきなりで驚きましたが、ヨシエさんはとても良い匂いで落ち着きます。
「い、いえ。その…ヨシエさん、結婚、したくなかったんですか?」
「ん~?そうでもないんやけどね。相手は家もセッちゃんとこで近いし、良い男だし身持ちもいいし。けど、みんなのこと、まだまだ心配だからね」
「そうなんですね…」
「でもやっぱり、安心して嫁げるかも」
「へ、どういうことです?」
「しっかりした妹ができるかもしれないからかな~?」
よくわからない返答に私の頭の上には「?」がたくさん浮かんでいました。
そんな私たちの様子を見たミエちゃんが、ホウキ片手にポツリ、
「もうすぐ春やな」
と言って、温かい目で散らかった土間の片付けを始めました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます