第9話 思考の型

信と水崎さんの背中に向けて手を振り終えると、西園寺さんはゆっくりと歩き出す。


隣を歩くもしばらくはだんまりだった。


話したがりの西園寺さんにしては珍しい。さすがに気まずいとまではいかないが、何か気の利いた話題でも振れないものかと、自分の頭の中にある話題の引き出しを漁っていく。


とはいえとっておきの面白い話なんてものは簡単に見つかるはずもなく、それとない絡みに落ち着いた。


「あの二人、赤点とか大丈夫かなー」


「そうね、川村くんはギリギリといったところでしょうけど、水崎さんは……読めないわね」


「だよな」


「……」


再びの沈黙が訪れる。何やら思案を巡らせている様子だった。


「どうしたの?」


「あ、いや、その……」


「?」


「私、水崎さんと仲良くなれるかしら?」


「え、今日だって普通に話してたし、大丈夫じゃないか? 何か不安なところとかあった?」


「そうね、なんというか、あの子の考えが全く読めないのよ」


なるほど。これは当然であろう。


何せ思考のOS《オペレーションシステム》がまるで違う。


水崎さんがWindows7なら、西園寺さんはさながら未来の量子コンピューターといったところ。


スペックはもちろん、基礎言語はおそらく全く異なる。のせられるアプリケーションにも互換性はないだろう。


「んー、そりゃまあそうだろうなー。思考回路が全然違うだろうし」


「こんなこと言うのも傲慢なのだけれど、ある研究によると知能指数が20違うだけでコミュニケーションって困難になるらしいのよ」


「ええ、そうなの? じゃあ水崎さんには悪いけど、西園寺さんと水崎さんとなら、その倍は差がありそうだし、となると難易度はベリーハードってとこだな」


「そうなのよ……あ! でもこれは水崎さんのことをバカにしてるというわけじゃないのよ! いや、確かにちょっとおバカかもな思うところはあるけど……」


思うんかい。と咄嗟に頭の中で突っ込みを入れた。


「確かに頭は悪いけど、みんなのことしっかり気遣えて、あの子がいるだけでなんだか場が和むじゃない? 私の場合はそうなるように色んなことを計算するのだけど、水崎さんはそんなことせずに、なんというか自然と適切な思いやりを投げかけることができる人なのだと思うの」


うむ、水崎さんの良さが分かってくれたようで何よりである。


「ああ、確かにあの力はすごいよな」


「うん。ほら、私って天才でしょう? でも水崎さんはまた違う天才なのよ」


何のためらいもなく天才を自称する。まあその通りなので下手に謙遜されるよりはよっぽどすがすがしい。


「ハワード・ガードナーという学者が多元的知能理論という知能の多様性を示唆するモデルを提唱していてね、彼によると現代のIQ、すなわち知能指数というのは、論理力や言語力なんかの一部の知能に偏重した指標でしかないらしいのよ」


「へー、さすが。よくそんなこと知ってるな」


「うん、私、たいていのことは知ってるから」


西園寺さんはその知性を褒められるとちょっと得意げになる。


これがまたかわいいので、それを見るために西園寺さんを褒めるクセがついてしまった。


「それでね、彼はコミュニケーション的な知能というものも提示しているのだけど、それってどんな知能のことだと思う?」


「水崎さんみたいな社交性のことか? 話の流れ的に」


「うん、正解。よくできました」


「は、はあ……」


不可視の花丸が飛んできた気がする。


「つまりね、例えば毎日放課後にマックで友達とだべっていられる能力も立派な一つの知能だというのよ」


「へー、じゃあ、やっぱりその知能において水崎さんは天才というわけだ」


「うん、そういうことになる。本当はそれぞれの知能に天才はいるはずなのだけれど、世の中は不思議と、私のようにIQに特化した人のことを天才と呼びたがるわけなのよ」


「つまり西園寺さんは水崎さんのことを違う天才として尊敬していると」


「うん」


「アハハッ、なるほどな」


「なんでそこで笑うのよ?」


「いや、なんか西園寺さんらしいなって思ってさ」


「どういうこと?」


「いや、だからさ、要は水崎さんのことはバカにしたり、軽んじたりしているわけではないんだってことが言いたいんでしょう? それを相手に伝えるためにわざわざ学術理論なんかを引っ張り出してきて、何故自分が水崎さんを尊敬しているのかを論述しているわけだ。この敬意は決しててきとうなお世辞なんかじゃないんだよって伝えようとする誠実さが、すごく西園寺さんらしい感じがするんだよ。相変わらずそれがすごく回りくどいんだけど、そこも含めてね」


俺がそう伝えると、西園寺さんは突然俺の背中を平手でバシッと叩いてきた。


「ま、まあ、そういうこと!」


少し口をとんがらせながら目を伏せた。何か怒らせてしまっただろうか。


やや心配しはじめたその時だった。


「フフフッ」


「ん?」


「いや、なんでもないわ。ありがとう」


「何が?」


「こういうところは察しが悪いのね」


「え」


「後は自分で考えなさい。宿題ってことで」


「は、はい」


「まあなんにせよ、知能の型が違うということが言いたかったの。あなたと私はその型が近かったから、こんなにも早く仲良くなれたわけだけど、水崎さんとは同じようなテンポで仲を深めるのは難しいだろうなと思うわけ」


さらりと西園寺さんが俺との仲が良いものであると考えていることを打ち明けてくれた。


きっとこの時の俺は少し口元が緩んでいたに違いない。


左手でそれを隠しながら話を続ける。


「型が同じ? 俺と西園寺さんが?」


「うん、それよりあなた、またいつもの癖が出てるわよ?」


ニヤリと薄笑いを見せる。口元を隠した俺の手の甲を、人差し指でチョンチョンと突いた。


「えっ! あっ!」


慌てて手を引っ込める。


この前、何かを誤魔化す時に俺が自然にとってしまう行動としてこれを指摘されたのを思い出した。


「ふーん」


腰を屈めると下から俺の顔を悪戯な笑みを浮かべて覗き込んだ。


「なるほどなるほど。私があなたと仲良しだって言ったから、つい嬉しくなっちゃったんだ?」


「はっ!?」


「図星だ」


これ以上誤魔化しても墓穴を掘り進めるだけだ。観念しよう。


「ま、まあ、その通りだよ」


「へー、やっぱりそういうとこ、かわいいんだ?」


「う、うるせぇ」


俺が目をそらすと逃がすまいと言わんばかりに、視界に入り込んできてはニヤニヤとする。


「なんだよ……」


「ウフフッ、別にー? お返しよ。お返し」


満足そうな笑みを浮かべながら、再び歩き出したので、俺も後から追いついていく。


「それで? 俺と型が近いってのはどういうことだよ?」


この話題ではどんどんいじられていってしまいそうなので、話を元に戻すことにした。


「私達は相手の考えていること、感じていることを深く洞察することで、コミュニケーションをとる。私の場合は、相手の思考に合わせて耳心地の良い言葉を吐き続ける。だからクラスのマドンナとして色んな人から好かれる。あなたもそう。周りのみんなの感情に敏感に反応して、ここぞとばかりに道化役をかって出る。だからクラスのお笑い担当として色んな人から好かれる」


「まあ確かに、いつもここぞというタイミングは伺ってはいるかもな。そのためにかなりの思考を割いてる。って……なんか常にウケ狙ってる奴みたいで恥ずかしいな」


「でも狙えるのはやっぱりあなたが賢いからよ。まあもちろんあなたが滑り倒す哀れな様もたまには目撃するけど、それでも打率はものすごく高いと思う。それに狙ってウケを取れるだけでなく、滑り倒すリスクを背負い込む度胸もある。これは私があなたのことを買っている大きな理由の一つね」


何だかお調子者の親友キャラとしてがんばってきた自分を認めてもらえた気がして嬉しかった。


再び口元が緩んでしまいそうになり、左手でそれを隠そうとするも、直前で踏みとどまって挙げようとした左手を反対の手で抑えこむ。


西園寺さんの方に目をやるとニヤニヤといつもの悪戯な笑みを浮かべていた。


クソ。やっぱり見逃すわけないか。


「フフフッ、かわいい……」


「ず、するいぞ!」


「はいはい、ごめんなさーい」


全く、おちょくられるのが板についてきてしまった。


「でもね、これは本当にすごいことなのよ?」


「すごい?」


「そうよ。社会的にすごいこと。今からいかにすごいかを解説してあげるけど、くれぐれも調子に乗ってその手がまた挙がっちゃわないように気をつけないとね? お調子者さん?」


西園寺さんはそのままニッコリと微笑みながら俺の左手をそっと手を添えた。

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