ヴァン†ドール;a vampire girl and a robot girl meet in a future city

雨蕗空何(あまぶき・くうか)

第1話 デザイアリング・ヴァンパイア

 開かれた瞳のいかに赤くて美しいかを、他ならぬヴィネガー自身が、どれほど饒舌じょうぜつにでも語り尽くせる自信があった。

 一言一句、ヴィネガーの可憐な唇からつむぎ出される華々しい言の葉が、決して虚飾などではなく自身の美しさを正確に表せていると、ヴィネガーには確信があった。

 惜しむらくは、今その美貌と言葉に対して正解だと言える第三者が、この場にいないことだった。

 鏡すらも持ち込まなかったことを――一説によれば、彼女の姿は鏡に映らないというが――ヴィネガーは少し後悔した。


 暗い部屋。真四角。

 中央に棺桶が置かれていて、その中でヴィネガーは身を起こして座す。

 その棺桶の中にも外にも、大小さまざまなぬいぐるみが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

 その光景を照らす照明装置も窓もないが、ヴィネガー自身の神秘性が燐光を発し、部屋の様相とヴィネガー自身の端麗さを浮かび上がらせていた。


 赤い瞳。銀の髪。

 年ごろは人間の基準で十歳を少し過ぎた程度の、幼い少女の外見。

 服は黒を基調とした妖艶なドレスで、一見そのあどけない見た目にはそぐわなさそうだが、全体の雰囲気はきちんと調和し似合うものになっている。

 肌は白磁のように白く、唇はぷるりと可憐で、そこからちらりと牙が見える。


 牙。

 俗に言う、彼女は吸血鬼であった。


 ヴィネガーは一度うーんと体を伸ばして、そのしなやかな動作から流れるように懐中時計を取り出して、針の表示を確かめてにんまりと笑った。


「予定通り、八百年。ぴったりの睡眠時間だわ」


 それから、ヴィネガーは立ち上がった。

 舞台役者のような大仰な動作でくるりと一回転して周りを見渡し、そして優雅に一礼した。


「かわいいかわいいぬいぐるみたち。私の睡眠のお供をしてくれてありがとう。

 あなたたちのおかげで、私は不安に胸を張り裂けさせることもなく、一人で目覚めることができたわ」


 やや舌足らず。けれど妖艶。

 そして棺桶の中から、一番自分のそばに置かれていた子、ウサギのぬいぐるみを持ち上げて向かい合った。


「ぴょんぴょんぴょーん。うるわしのヴィネガー、きみはこれから何をするつもりだぴょん?

 ……ふふ。やることは決まっているわ。私の魂が、ずっとずっとうずいているもの」


 うっとりと、ヴィネガーは天井を見上げた。


「吸血鬼の私をうるおす人間たちの血。その中でもひときわ特別な運命の血。

 その人間の血を飲めば私の力は何倍にも跳ね上がり、何よりその血の持ち主は、私の魂に最上の至福をもたらす最高の恋の相手となる。

 恋! その甘美な響きにあこがれて、運命の相手と出会えるこの時代に、私はようやく追いついたわ!」


 背中にコウモリの翼を生やし、羽ばたかせた。

 風が室内に巻き起こった。


「一緒に眠ってくれたあなたたちに感謝しているわ! 本当なら全員、連れて行きたいのだけれど!

 残念ながら私の腕は二本だけ、そして抱き止める運命の人まで待っている!

 だからせめて、代表してこの子だけは連れて行くわ! さみしがりやな私のわがままでしかないことは、重々承知しているけれど!」


 ウサギのぬいぐるみを小脇にかかえて、ヴィネガーは飛び上がった。

 瞳と爪が赤く光り、軌跡を残した。

 封鎖された天井を切り裂き、飛翔し、垂直の地下洞を、上へ、上へ。

 そして地上へと突き抜けて、夜空の中へ、ヴィネガーは舞い出でた。


 夜。星は見えない。

 街並み。ヴィネガーは一望する。

 そしてゆるりと唇をゆがめて、ささやくように微笑んだ。


「――二十九世期の街並みは、またおもしろく変貌してるわね」


 天に届くような高層の建築物。

 熱を持たずに冷たく光る、葉脈のようなネオンの線。

 機械仕掛けとおぼしき何がしかが、地上に空中にと、ひっきりなしに飛び交う。

 目につく構造物の大半が黒を基調としていて、そしてそれらはヴィネガーの知る二十一世紀の建築技術ではありえないほど、薄く、細く、繊細だった。

 それはまるで、黒い紙を切り折りして作ったような。


「紙細工のような街並みだわ」


 うっとりと。その様式美に。その建築様式を成し得た技術発展に思いをはせて。

 そしてヴィネガーの視線は、心を向ける先は、魂のうずく方角へ。


「運命の人の気配は、あっちね」


 翼をはためかせ、飛翔!




 街中。

 黒く舗装された道路は数刻前の雨に濡れて、ネオンの光を乱反射させる。

 その濡れた路面を踏み、つんのめるように走る小柄な人影と、追う軽量多脚車両。

 けたたましいサイレン。そして音声。


『警告。セントラルAIより警告。貴殿の持つ文書は犯罪行為を扇動するものです。制止してください』


「しません! 自由恋愛が犯罪行為だなんて、わたしは絶対、認めませんから!」


 多脚車両へと振り向かないまま叫んで、人影は必死に走る。

 パシャパシャと、濡れた路面を踏む音。

 昆虫のはねのように肉抜きされた多脚車両の骨格繊維が、シャラリシャラリとこすれる駆動音。

 多脚車両の方が速い。追いつかれる。


 そこに、割り込む。

 人影。翼。黒色。銀色。そして、赤色。


 赤く走る閃光が舞って、多脚車両がひっくり返った。

 逃げていた人影は、立ち止まって呆然とそれを見た。


 少女。翼がある。コウモリのような。

 はためく黒いドレスと、銀色の髪。

 振り抜いた姿勢の右腕は爪が赤く光って、反対の腕には、ウサギのぬいぐるみ。

 全身がほのかに、神秘的に輝いていた。


 少女は凛と、歌うように宣言した。


「私が跳ね飛ばしたこの機械らしきものに命があるのか、ないのか?

 追われるあなたは善なのか悪なのか、社会通念として正当性があるのか、ないのか?

 確認しておきたいとは思うけれど、さほど重要な情報ではないわ」


 そして少女は、人影に向き直った。


「大切なのは。私は吸血鬼ヴィネガー。魂の導きで、あなたに恋をしようとする者。

 そしてあなたの血を飲んで、吸血鬼として進化を果たさんとする者。

 叶うのならば怯えずに、私と寄り添っていただけないかしら」


 少女は――ヴィネガーはにっこりと可憐な笑みを投げかけて、目の前の存在を観察した。


 背格好は、少女だ。ヴィネガーの外見と同じくらいの、十歳を少し過ぎた程度。

 銅色の髪。緑色の瞳。灰色のメイド服。背中に結ばれた大きなリボンが、蝶の翅のようだ。

 この服装がこの時代においてかつてと同じ身分を表すのか、それともファッションの一例なのか、ヴィネガーはまだ知識がない。

 困惑する顔立ちはあどけなく、触れればぷにりとよく反発しそうな柔らかさが見てとれ、つまりは可愛らしい。魂が恋を叫ぶヴィネガーの、完全なる主観的評価ではあるが。

 ともかく、魂は。ヴィネガーの魂は、眼前の彼女が、間違いなく運命の人だと叫んでいた。


「吸血鬼……?」


 困惑した少女の口から、声が漏れた。

 ヴィネガーはにこりと微笑んで、舌足らずな舌で、優しげな声を転がしてみせた。


「怖がらなくて大丈夫。伝承のように、血を吸い尽くして殺したり、あなたを怪物に作り替えたりなんてできないわ。

 ただ私があなたに恋をして、あなたが私に気を許したそのあかつきに、血をひと口だけ飲ませてくれたらそれでいいの」


 少女はずっと困惑した顔のまま、ややあって、おずおずと言った。


「あの……わたし、血は一滴も流れてません。ロボットなので」


 ヴィネガーは笑顔のまま、固まった。

 少女は袖をまくって腕を見せて、擬似皮膚カバーを外した。

 はがれた肌の下から、多脚車両と同様の、昆虫の翅のように肉抜きされた黒い骨格繊維があらわになった。




 吸血鬼ヴィネガー。

 そしてロボットの、彼女の名はトネリコ。

 強化繊維で形作られた紙細工のような漆黒の街で、二人は出会った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る