Ⅵ-Ⅴ・スタンドスティル


「はい、わかりました。決勝ではそのように」


 審判の一人が電話先の男にそう言った。


「わかっているのかね? 今年うちのチームが勝つことは決定済なんだ。そのためにどれだけの金を使っていると思う?」


 電話先の男は、苛立った口調だ。


「しかし、こんなに利益がない大会だとは思わなかったよ。チームエントリー料に五千円だが、集まったのは8チームだけ。観客も集まってくれるがタダだからな。事実赤字なんだよ」


 そうじゃなくても、市民グラウンドにあるサッカーコートを一日まるごと使用に電化料金もかかっている。


「それで、指示通り得点につながる選手に対しての警告で?」


「ああ。うちがどんな危険なプレイをしても、見て見ぬふりをしろ」


 電話越しの男が電話を切った。



 ◇



「んっ! ましろ、もう少し優しく……」


 ポニーテールFCの控え室で梓の吐息が漏れる。


「あれ? 梓って結構感じやすい? そんなに力入れてないんだけど?」


 ましろは梓の背中から、腰の方へと指をスライドしていく。


 そのたびに、「あうんっ!」と、梓は喘いだ。


「ほかのみんなもマッサージしておきなさい」


 華蓮がそう言う。今現在、子供たちは決勝戦に向けてストレッチとマッサージをしていた。少しでも体力を回復するためである。


「合間があるとはいえ、やっぱりハードスケジュールだな」


 和成は携帯ゲーム機を凝視していた。


「コーチ、こんな大事な時にゲームなんてしないでくださいよ」


「いや、河山センチュリーズの練習を見てたんだよ」


「どうせ、四回戦の時みたいにズルするんじゃないんですか? さっきの試合だって、結局ズルしてたようなものでしたし」


 ましろが不貞腐れる。


「やっぱ、さっきのは対戦相手がわざと負けるようになっていたわけだな」


 そう言うと、和成は表情を暗くする。


「なにか気になることでもあるんですか?」


 梓が腕を伸ばしながらたずねた。


「練習を見てる限りじゃぁ、ちゃんとしてるんだよ。むしろうちより精度がいい」


「形だけじゃないんですか?」


 明日香がそう言うと、


「うちだって、大会前なんてタッチライン往復30回走ってるんだよ?」


 椿が愚痴をこぼした。


 ポニーテールFCの練習コートのタッチラインは78メートル、往復で156メートルある。それを30回――4,680メートルの、それこそ小学校高学年のマラソン大会(3kmが平均とされている)を練習前に走っている。


「それだけみんなの体力がついてるってことだよ。椿なんて、最初の頃は10周でも息切らしてたのに」


 椿の場合は、20周までは行けるが、それ以上は足がもたれてしまい完走できずにはいた。


 だが、距離を鑑みても、すでに高学年生の距離は完走しているため、椿の不安要素であった、他のメンバーに比べての体力のなさは克服できている。


 むしろ、この持久走は完走できなくてもいい。


 あくまで、少年サッカーの試合時間40分を走りきれるかどうかの体力テストであった。


「でもさコーチ、リーズFCの子たちにも同じような教え方だったの?」


「そうだな。基本的には楽しいって思わないと続けないだろ? ランニングだって、基礎体力の練習だからな」


「でもあれは面白かったよね? ケンケン鬼ごっこ」


「あれはバランス感覚を養うためだっけ? ほとんどフィジカルが強い明日香が勝ってたけど」


「そういうましろだって、ボールふたつのドリブルはいつも早かったじゃない?」


「ふたつのボールをどうコントロールするかというのは、ボールタッチに影響が出るからな。結構大変なんだぞ」


「それからえっと……、あれ? うちの練習ってやっぱり遊んでるのかな?」


 いちおうはシュートやパス回しの練習もしているのだが、それもやはり遊びを通じての練習だ。


「もっと、厳しい練習が来るのかなと思ったら、最初のランニング以外ねぇな」


 陽介がそういうと、皆和成を見遣った。


「どうしてなのかわかるか?」


 和成がそうたずねる。子供たちはわからないと首を横に振った。


「ランニングは基礎体力をつけるための練習だ。少年サッカーの試合は一試合30分から40分あるが、フルタイムで走りきれる選手ってのはスタミナがあるかどうかで決まる。どんなに上手くてもからだが疲れてだるくなっていては最高のパフォーマンスなんかできない。それにみんながどれだけ基礎体力がついているのかを図るいい判断材料にもなる。それ以外はどうやればみんなが飽きないで練習に取り込めるかを考えて組んでいる。もっとも大切なのは練習を続けること。ただ淡々と同じ練習だと飽きるから、こっちも大変なんだぞ」


 そう言うと、和成は優を見遣った。


「それから優やみんなに対するGKの練習だって、ボールや相手を見ればどこに行くかわかるようにしてたんだぞ?」


 GKは優が優先とされているが、もしものことを考えて、和成はみんなにGKの練習をさせていた。


「恭平、ボールを蹴る時、軸足をどうしたら綺麗に行くと思う?」


「たしか、軸足を蹴る方向に向けるとうまくいくって」


「うまくいくっていうか、パスやシュートに対する基本なんだけどな。練習中はほとんど曲げずに蹴ってたけど」


「あんな早くてこわいボールじゃ取れないですよ。振りかぶったと思ったらもう来てますし」


 優はあわわと身体を震わせる。


「あはは、ごめんごめん」


 和成が謝っていると、


「ふぅ……」


 と朋奏がためいきをつくように戻ってきた。


「おかえり」


「えっと、みんなちゃんと水分補給しといてね」


 朋奏はクーラボックスからスポーツドリンクを取り出す。


「朋奏、ちょっと……」


 華蓮は朋奏に呼びかけると、部屋を出ていった。


「どうしたんだろうね?」


 椿が首をかしげた。



「えっ? この大会が終わったら、あの子たちを地獄に返す?」


「ええ、上からの命令でね」


 華蓮からそう言われ、朋奏は視線を逸らした。


「そもそも、もう事件は終わっているのよ」


「終わってません。終わってないから、あの子たちも殺されたんです」


 朋奏は声を荒げる。


「それに、今の法律では時効が廃止されて」


「あの事件はもう時効をむかえている。それにね、もし時効がなくなったとしても、あの事件はもう誰も調べられないのよ」


 華蓮は、朋奏の言葉を遮るかのように、頭を振った。


「……あの事件の犯人であり、璃庵由学園設立時に資金を送った町長である【中島勇】は――自殺してるのよ。あなたが殺されてから半年後に」


「そ、そんな……」


「地獄は皆平等に罪を罰することができるけど、現実の世界は違う。死んだ人間を裁くことはできないのよ」


 華蓮の言うとおり、刑事事件の被告が死んでいるばあい、刑事訴訟法第三三九条第一項――公訴棄却に当たる。


「でも、それじゃぁどうして今も続いてるんですか?」


「ちょっと、お話いいですかね?」


 声が聞こえ、二人がそちらに目をやった。


「能義刑事……」


 能義はちいさく二人にあたまをさげるや


「ちょっと気になることを言ってたので、そのですね朋奏さん。あなたもしかして、南葉萌花さんじゃないんですか?」


 そうたずねるが、朋奏は「わかりません」と、首を横に振った。


 それを見て、


「華蓮さん、彼女もまた、あの子たちと同様に現世での記憶を?」


 能義は華蓮に視線を向けた。


「いえ、朋奏や子供たちから消したのは、現世での思い出ですから、知識は消してません」


「はぁ……それなのにどうして二十二年前、彼女が遭ったストーカー事件のことを覚えてるんですかな?」


「刑事さん、【思い出】と【知識】は同じものですか?」


 そう聞かれ、能義は首をかしげる。


「たとえば家の目の前に古びた家があって、そこにはおじいさんが一人で住んでいる。そのおじいさんは朝早くに散歩をして、趣味は盆栽。これは思い出というよりかは客観的な視点からなる知識ではないですかね?」


「つまり直接的に関わっているのが思い出ということか。だが直之や梓さんとましろさんがサッカーを今でもやっていたのはどういうことだ? あれは思い出と知識がごちゃ混ぜになるぞ?」


「私が消したのは現世での思い出。つまり直之があなたのことを知らないのは、あなたに対する思い出を失っていますから。サッカーは知識があればできます。積み重なった経験もまた知識ですからね」


 それを聞いて、能義は梓とましろがサッカーの腕がいいことに納得する。


「朋奏に対してもそうです。殺されたことに対しての知識が残っていた。だから和成さんを監視するために偽名を使わせたんですけど」


「無意識に前世での名前と似通ってしまった」


「ええ。ただあの事件について誰も知らなかったのが幸いだったんですけどね」


 華蓮はホッとしたような、複雑な表情を浮かべる。


「話を戻すというか、ひとつ聞いてもいいですかな?」


「ええ、どうぞ」


「まぁ覚えているとは思えませんけど、朋奏さん、あなたがその中島勇からストーキング被害を受けていたというのを、警察に話したんですか?」


 そう聞かれ、朋奏は「わかりません」と答えた。


 わかっていたこととはいえ、能義は苦痛の表情で項垂れた。


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