ⅣーⅤ・スクイーズ


 捜査会議中、能義は仕切りに腕時計を見ていた。


 朝9時から始まった会議は、いつもだったら報告だけで終わるはずだったのだ。


 それが、どういうわけなのか昼を過ぎようとしているのに終わる気配を見せようともしない。


 目の前のホワイトボードには公園で発見された身元不明の遺体に関してのことが書き記されている。


「発見された男性の遺体には虫歯の痕があったため、近辺の歯科病院に問い合わせましたが、身元証明までにはいきませんでした」


 鑑識課から受け取った資料を調べていた警官が、言葉を詰まらせた。


「どうした? 話を続けろ」


 会議長の刑事がそう促すと、機捜の巡査刑事は困った表情で頭をかく。


「あーもう、じれったいな。何が書いてあるんだ?」


 能義が立ち上がり、巡査刑事が持っていた報告書の紙を半ば強引に奪い取った。


「――な、なんだよ、これは?」


 報告書に書かれていたのは以下の通りであった。


『称号患者の該当なし』


「おいっ! これはいったいどういうことだ?」

「わかりません。ですが、たしかに虫歯の痕があったんです」

「つまり、被害者は病院に通っていなかったってことか?」


 いや、もしかしたら……能義は違和感を覚える。

 そして、最悪の考えを脳裏に過ぎらせた。


「犯人は俺たちが調べるところも徹底的にしてるってことか」

「ど、どういうことかね? 能義くん」


 会議長が驚いた表情で能義にたずねる。


「身元がわからない遺体が発見された場合、歯の治療痕があればそれを照合して身元を割り出す。だから変死体でも身元がわかるのはみんな知っているはずだ。犯人はそこにつけこんだんだよ」


 能義の言葉を聞き、会議室がざわめぐ。


「しかし、DNA鑑定はどうなっている?」


 それが最後の希望でもあった。


「まだ解析中です」

「おい、死体が発見されてからもう一週間以上も経ってるんだぞ? 好い加減出ていてもおかしくないだろ?」


 能義が巡査刑事の胸倉を掴む。


「落ち着くんだ、能義くん」


 百乃が止めに入る。


 突然、会議室の内線電話が鳴った。それを近くにいた刑事が取る。


「はい。――わかりました。堀川警部」


 そう言われ、会議長である堀川警部は目の前の電話を取る。


「はい。堀川ですが――」


 電話先の相手の話を聞いている堀川は、表情を固くしていく。


「ど、どういうことですか? 捜査を打ち切れ?」


 その言葉を聞くや、能義は電話を奪い取る。


「――捜査を打ち切るとは、どういうことですか?」

「堀川くんではないな。誰だね?」

「捜査一課の能義と申します。それより、打ち切るとはどういうことなんですか?」

「言ったとおりだ。その事件に関してもう調べるな。これは上からの命令だ」


『――なるほど、この事件も結局今まで起きていた事件と関係があったと言うことか』


 そう考えにおよんだ瞬間、能義は怒りをあらわにした。


「ふさげるなよ……。あんた、それでも警察の人間か?」

「私からは何も言えんな。上からの命令は絶対だ」

「捜査を打ち切るってことは、身元不明の遺体を無縁仏にしたり、犯人を野ばらしにするってことだぞ?」

「そうだな。しかしDNA鑑定の結果は出ていないんだろ? これ以上捜査しても無駄だ」


 能義は、一瞬梓たちのことが頭によぎった。


 彼女たちも同じなのだ。あの身元不明の遺体と。


 犯人は捕まっていない。殺された子供たちはなんなのか。


 子供を失った親の気持ちがわからないわけではない。


 ――いや能義はわかるのだ。


 直之を事故で失っている能義は、犯人に復讐をするにしてもきちんと法のもとで捌くという意味で復讐をしようとした。

 だがそれも、今までと同様まるで雲隠れされたように叶っていない。


「そういうわけだ」


 そう言うと、電話先の男は電話を切った。


「能義さん」


 警官の一人が声をかけるが、能義の表情を見るや、ゾッとした。


 能義の表情が能面のような雰囲気となっており、感情がわからなかったのだ。


「みんなも聞いたとおり、この事件の捜査は打ち切りだそうだ」


 能義は淡々と言葉を発する。


「ど、どういうことですか? 打ち切りって」


 警官たちがざわめぐ。


「ああ、どうしてだろうな」


 能義は座っていた席に戻り、顔を俯かせた。


「くそ……、くそくそくそっ!」


 それこそ机を壊さんとばかりに、能義は机を強く叩きつけた。


「能義くん、君の悔しさはわかる。しかしだ、上の命令である以上、捜査は打ち切らなければならないんだよ」


 堀川が声をかける。能義は睨むように振り返った。


「堀川さんはそれでいいんですか? 俺たち警官は、日々起きる事件のひとつだとして割り切ることができる。だけど、被害者の家族はどうなんですか?」

「冷静になれ! 君の言い分はわかる。しかし、私たち警察は組織だ」

「組織の考えをそむけば……、それじゃぁ、なんのための警察だ? 市民を助け、事件の真相を暴くのが警察の役目だろ!」

「わかってくれ。これが今の……警察なんだ」


 堀川は、拳を強く握りながら言った。

 ここにいる警官全員が納得のいくはずがない。しかし、打ち切られたのだ。



「能義くん」


 堀川が資料室にいた能義に声をかける。


「何をしているんだ?」

「事件の整理ですよ」

「事件は打ち切られたはずだぞ?」

「いえ、俺が調べてるのは、八年前に起きた横嶋幸のことなんです」

「たしか、畑千尋が殺された公園で発見されたやつだったな。しかしどうして今になって? 事件との関係性はない気がするが」

「そうかもしれません。だけど共通するところはかならずあるはずなんです」


 能義がそう言うと、堀川は首をかしげた。

 資料を見ていくうち、ある項目が目に入った。


「なんだ? これは……」


 それは、事件当時、横嶋幸が所有していたカバンの中に入っていたものの一覧であった。


「こんなもの、なかったぞ?」

「なにか見つけたのか?」


 能義は、その項目を堀川に見せた。

 そのうちのひとつに、堀川は目をやった。


「レガース――?」

「ああ、それは――」


 能義は、レガースの説明をしようとした時、目を見開いた。

 そして、カバンの中身が書かれた項目を目にやる。


「レガース、ヘアバンド、サポーター……」

「どうかしたのかね?」

「レガースってのは、サッカーの試合や練習で、脛が怪我をしないようにする脛当てです。それを持ってるってことは、彼女がしていたのはサッカーか」


 今となっては既に知っていることではあるのだが、こうして現実的に知るのはこれが初めてである。


「だが、彼女がサッカーをしていたとして、女の子が少年サッカークラブに入っていても珍しくはないだろ?」

「堀川さん、畑千尋の事件が打ち切られたその理由を知ってますか?」


 そう聞かれ、堀川は首を横に振った。


「道重っていう少年が、その畑千尋を殺した。多分それで事件が――」


 いや、それなら打ち切りではない。


「それなら、どうして両親は犯人探しをしていたんだ?」

「考えたくないが、その報告をしていなかったと考えられんか?」

「なんの利益があって?」

「いや、考えたくはないが、その道重という少年について、何か知っておるのか」

「いえ、得には……、待てよ――」


 能義は、道重が畑千尋殺害の犯人であると自分に告げたのは誰だったかを思い出す。


「――まさか」


 能義は立ち上がり、部屋をあとにする。



「芝川……、芝川はいないのか?」


 捜査一課に戻った能義は、辺りを見渡す。


「芝川さんだったら、出かけてますけど」

「あいつの携帯に連絡は入れられないのか?」

「なにかあったんですか?」

「急用ってわけじゃないが、誰かあいつのこと知ってるのはいないのか?」


 そう聞かれ、周りの警官は唸った。


「たしか、彼昔サッカーをしていたって」


 女性警官がそう言うと、能義はアッと口を開いた。


「それはいつ頃の話だ?」

「たしか、少年サッカーのころからやってたって。でも中学の時、試合中の接触で怪我をしてしまって、今は治ってるみたいですけど」

「あいつ、たしか二十七歳くらいだったな――」


 能義はハッとした表情で、ソファに座った。


「芝川の履歴書はあるか?」

「人事部に行けばあると思いますよ」


 そう言われ、能義は人事部へと向かった。



 人事部で芝川の履歴に目を通しながら、能義はあるひとつのことがわかった。


「そうか……、だから違和感があったのか」


 能義はゆっくりと深呼吸する。


「もし、これが本当だとすれば――あいつは裁かれないといけないな」


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