Ⅰ-Ⅲ:インジュリータイム


「――能義先輩」


 と芝川が警察署のトイレから出てきた能義に声をかけた。


「どうした?」

「畑千尋の件ですが、上からこれ以上調べるなとの通告がありました」


 芝川がそう説明したが、能義は表情を変えなかった。

 そうなることはすでに想定内であったためだ。


「まぁ、俺は俺のやり方で調べるがな」


 能義はそう云うと、喫煙室へと入っていく。


「それで、他の子供たちのことも調べは済んだのか?」

「は、はい。頼まれたことはいちおう」


 芝川がそう云うと、


「いちおう……か」


 能義は煙草の灰を携帯灰皿の中に落とす。


「何がご不満でも?」

「いや、ただいちおうというのにな。いいか? いちおうではなく根っこを掘り起こすくらい調べろ。上辺だけなら簡単に調べられるだろ?」

「す、すみません」


 芝川が頭を下げると、能義は頭を掻く。


「若いんだからいちいち謝るな。それで……」


 そうたずねると、芝川はハッとする。


「え、えっと。あの公園で近年続いていた幼女暴行殺人事件についてですが、最初の事件は今から十二年前の三月、被害者は『妃春香きさきはるか』小学四年生。死因は暴行を受けた後、噴水の中で溺死体となって発見。続いて、その四ヶ月後の七月に『熊川憂くまかわうい』小学六年生が、同じく暴行を受けた後、竹林の中で発見されています」


 芝川が説明していく中、能義は頭を抱えた。


「なにか、ご気分でも?」

「――いや、大丈夫だ。続けてくれ」

「三件目。八年前の六月、小学五年生の『横嶋幸よこしまみゆき』が、練習の帰りに暴行に遭い、竹林の中で遺棄されています」

「――練習?」


 能義がそう聞き返すと、


「ええ。ただ何の練習をしていたのか、遺族は答えてくれなかったそうです。犯人が持ち去ったのか彼女の私物は見つからなかったとのことです」


 芝川が答えると、能義は少しばかり唸った。


「――続けてくれ」

「五年前の九月に、小学四年生の『亜草あくさひばり』が、やはり暴行を受けた後、噴水に顔を埋めた状態で発見されています」


 芝川が言い終えると、


「たしかその後、畑千尋が殺されるまで事件は起きていなかったな……。んっ? いや、まさかな」


 能義は少しばかり考えると、


「今まで捜索すらしなかったのに、畑千尋の件に関しては捜索本部が立てられた後に打ち切られている。つまり、畑千尋の件は今までとは別件だったんじゃないか?」

「考えられますね。同じ場所で何回も少女が殺されているのに」

「芝川、もう少し調べてくれ。俺ももう少し調べておく」


 そう云うと、能義は灰皿の中に煙草を捨て、喫煙室を後にした。



「で、あるからして……。桓武天皇は七九四年に平安京、今の京都に都を移して、政治の改革に着手した――」


 社会の授業が行われている中、


「えっと、レギュラーは梓ちゃんと直之くんはかならず入れて、残りの六人……GKはボールを怖がらなければ優ちゃんにお願いしたいけど、あの高身長を生かして、プレッシャーをかけるという意味ではDFのほうがいいか――」


 和成はノートに書きながら作戦を練っていた。ノートにはぎっしりと、昨日見た子供たちの動きや癖などが書かれている。


「まだボールに慣れていない子もいるようだし、歩くスピードでのドリブルから始めて……。うーん、ランニングで基礎体力を上げたほうが――」


 そう考えていると、横っ腹を突付かれ、和成は隣にいる朋奏を見遣った。


「あの子たちの練習メニューを考えてくれるのは嬉しいけど、今は授業中でしょ?」


 そう言われ、和成は慌てて前を向いた。


「鎌田くん、先生の話を聞いてましたか?」


 そうたずねられ、和成は、


「え、ええ。ちゃんと聞いてますよ」

 言い逃れるように苦笑を浮かべた。


「そうですか? では、桓武天皇は蝦夷の反乱を鎮圧させるために、誰を何にしましたか?」


 教師がそうたずねる。


「たしか、坂上田村麻呂さかのうえたむらまろという人を、征夷大将軍にした……だと思います」


 和成がそう答えると、


「うん。ちゃんと授業を聞いているようですね」


 教師はそれ以上は何も言わず、教壇のほうへと戻っていった。


「ちゃんと授業聞いてたんだ」


 朋奏がそう訊くと、


「予習してただけだよ」


 と、和成は素っ気無く答えた。



 能義と芝川は噴水のある公園へとやってきていた。

 そして、立ち入り禁止のロープが張られた竹林の方へと足を入れると、そこには、人目を避けるように、小さな石積みの山がいくつもあった。

 それを見るや、芝川はゾッと背中に悪寒を感じる。


「せ、先輩。こ、ここは?」


 芝川がそうたずねると、


「お前、賽の河原って知ってるか?」


 そう聞き返され、芝川は少しばかり唸る。


「たしか親より先に死んだ子供が訪れる場所……でしたよね?」

「ああ。賽の河原……親より先に死んだ子供が、親への供養のために石を積むんだが、その度々に地蔵虐っていう鬼がやってきては山を崩していく。そのことから『報われない努力』という意味にも使われている」

「な、なんかかわいそうっすね?」


 芝川が冷や汗を掻きながら言った。


「本当に親より先に死んだならな……」


 能義の意外な返答に、芝川は小首をかしげる。


「それが虐待を受けて殺された子供たちも、親を思って供養するかねって話だ」


 そう吐き捨てると、能義は立ち上がった。


『そうさ、あの事故だってしっかり調べればわかっていたはずなんだ』


 能義は小さく、悟られないように、普段と同じような表情で芝川を見る。

 今いる公園を中心として、立て続けに起きている子供を狙った殺人事件に、長く付き合ってきた能義は、ぶつけられないイライラがあった。


『あの事故は意図的なものだ。じゃなかったら――』


 能義はスッと積み上げられた石の墓標に手を合わせた。



 その女の子は家が近くだし、学校の行き帰りに通るから……。

 という理由だけで、その家へとやってきていた。


「あら? まといちゃん。こんにちわ」


 やんわりとした口調で、女性がドアを開け、応対する。


「えへへ、こんにちわ、おねえさん」


 まといは満面の笑みで答えた。

 赤いランドセルを背負い、トップスは水色にロゴが付いたもの、スカートはデニムで作られている。


「あらやだ、おねえさんだなんて……。ささ、疲れたでしょ? 上がってお茶でも飲んでいって」


 女性がそう云うと、


「いいんですか? それじゃぁ、おじゃまします」


 言うや、まといは靴を脱ぎ、リビングへと入っていった。


『けっ! 若作りしちゃって、おばさんはおばさんなのよ』


 と、まといは心の中でそう呟くが、決して相手の前では表情に見せようとはしない。

 ――その5分後、「たっだいまぁ」と、声が聞こえるや、


「あれ? この靴は……」


 玄関に脱いである靴を見ると、その家の住民である和成は、嫌な予感し、踵を返そうとしたときだった。


「あ、おかえりなさい。今まといちゃんが来てるわよ」


 今までそのまといという少女の相手をしていた女性――和成の母親がそう口伝するや、


「やっぱりかぁ……」


 和成は頭を抱えた。


「もう、そんな意地悪なことを言わないの」


 母親が頬を膨らませながら、叱る。


「母さんたちはあいつの本性知らないから……。あ、いや、こんな事してる場合じゃないんだった」


 和成は慌てて、二階へと上がっていき、自分の部屋へと入ってく。


「えっと、これと、これ、あ、これも必要だな」


 本棚の中からノートを二、三冊取り出し、パラパラッとページをめくって中を確認してからバックの中へと押し込むように入れていく。

 そのノートは、今まで和成がやってきた練習方法が書かれていた。

 色々な本を読みながら、実演し、確実とまではいかないが、効果があるものを記入していたものである。いうなれば、和成流の虎の巻であった。


『これから練習メニューを考えるのもありだけど、みんな個人の実力も把握していかないとな』


 そう考えていると、部屋のドアが開いた。


「ねぇ、おっさん、何してんの?」


 部屋を覗いて(というより完全にドアが開いているが)いるまといがそう訊ねる。


「あーっ、ごめんなぁ、おっさんはちょっと忙しいんだよ。お前も早く帰って、宿題して寝ろ」


 和成は、まといの悪態を無視するように、横を通り去ろうとした。


「なーに、無視してんだぁ? このロリコンやろぉうっ!」


 まといから横腹を殴られる。


「ふごぉっ?」


 和成はその場にへたり込むように倒れ、おなかを押さえた。


「な、何しやがる、この……」


 和成が憤怒の表情で、まといをにらみつけた。


「な、なに? 今の音」


 和成の母親が階段を駆け上がってきた。


「か、和成くんどうしたの?」

「な、なんでもねぇよ。と、にかく、きょうはお前の悪態に付き合ってられないから」


 そう云うと、和成はフラフラと階段を下りていった。


『なによ? あの態度』


 と、まといはつまらないといった表情を浮べた。


『いや、待てよぉ? あんなに急いでるってことは、もしかして彼女? うわぁ、ありえねぇ! あのロリコン部長がいたサッカー部のやつに彼女とか、うわぁっ! ありえない、ちょうありえない』


 まといは頭の中で想像し、ケラケラと心の中で哂った。

 そして、考えに考え抜いて出てきた答えが、


『よし。後を追って確かめよう』


 これであった。


「おねえさん。ごめんなさい、わたし帰りますね」


 そう云うと、まといは頭を下げた。


「あら、そう?」


 和成の母親はおっとりとした口調で首をかしげる。


「それじゃぁ、おじゃましました」


 まといは玄関ドアを閉じると、満面(?)の笑みを浮べながら、和成の後を追った。


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