第2話 年下男子とパパ活

 まるでゆきののために準備されていたかのような自転車のハブステップに足を乗せ、颯爽と現れた後輩君の両肩を掴んだ。


 後輩君は力強くペダルを踏み込む。


 よろめきながらも前進した自転車は、すぐにスピードに乗って薄暗くなった街を猛スピードで走り抜ける。


 顔面を叩きつける風が、暴力的に口から流れ込んで、更に肺を冷やす。


 自転車のスレスレを、通り過ぎる車両。


 すごいスピードで流れてゆく景色。


 ドロップみたいなイルミネーションの光が、目の端で街並みに溶けて行く。


 ゆきのは、悪いことをした子供のように後ろを振り返り、追っ手を確認した。

 島田はいつの間にかフェイドアウトしていて、追って来る気配はなさそうだ。


「ねぇ、もう大丈夫そう」


 後輩君の耳に口を寄せてそう言うと、きゅきゅっと自転車にブレーキがかかった。


 ステップから足を下ろして、彼の顔を覗き込むと、安堵の色はなく、不機嫌そうな顔をしている。

 ひと目で怒っているという事が伺える。


「なんていうか、危ない所を助けてくれてありがとう」


 ゆきのの言葉に耳を貸す様子はなく、彼は自転車を降りて、押しながら歩き出す。

 行先を失ったゆきのもすごすごと彼について歩く。


 並んで歩くと、けっこう背が高い。


 見上げるようにして、彼の顔を覗き込む。


「同じ学校だよね? 一年だよね?」


 そう話しかけると、彼はこくっと頷いた。


「名前教えて」


「向井ヒロト」


「向井君か。私は――」


「佐倉ゆきの」

 答えたのは後輩君、もとい、向井ヒロトだ。


「知ってるんだ?」


 ヒロトはまたこくっと頷く。


 不思議だ。


 面識のない違う学年なのに名前を知ってるなんて。


「なんで知ってるの?」

 そう訊ねても知らんふり。


 ヒロトは不意に自転車と一緒に足を止めて、道沿いのファーストフード店を指さした。


「あそこで、茶飯する」


「は?」


「健全、茶飯のみ。1時間5000円だろ」


 ゆきのから目を反らすようにそう言った顔が、少し赤いのは、街路樹のイルミネーションのせいだろうか。


 それとも寒さのせい? 


 木枯らしの中全力で自転車を漕いで来たからだろう。


 しかも、ゆきのという負荷がかかっているわけだ。


 ゆきのは勝手にそう納得して、言われるままファーストフード店に入った。


 しかし、ゆきのの生業は『パパ活』であって、こんな年下の男の子からお金をもらうわけにはいかない。


 ご飯代は割り勘にしよう。


 そして、パパ活代は丁寧にお断りしよう。そう思っていた。


 注文カウンタ―で大好物の月見バーガーとポテトをセットで頼んだ。


 ヒロトは、華奢な体に似合わず、肉肉しいダブルバーガーを2個とコーラを注文した。

「1750円です」

 店員にそう言われて、ゆきのが財布をバッグから出そうとしている横で、ヒロトはポケットから1万円札を出し、スマートに会計をすませた。


「自分の分出すよ」

 中身は1000円札が2枚程度。

 小銭で膨らんでいる財布を広げてそう言ったが


「いいよ」

 と、ヒロトは手のひらをこちらに向けた。


 トレーに次々に乗せられるあったかそうなハンバーガー。


 気が付いたらお腹がぎゅるるる〜と鳴いていた。


 二人分の食料が乗ったトレーを、ヒロトが持ち、空いているテーブルに運ぶ。


 ゆきのはその背中について行き、対面に座った。


 同世代の男の子と二人きりで、この距離でハンバーガーを食べるのは初めての事で、ちょっと気恥ずかしい。


 控えめに言ってドキドキする。


 そのせいでぎこちなくなった指先で包装を剥いて、かわいくかぶりつく。


 甘めのバーベキューソースが目玉焼きに絡んで、口中に幸せが広がった。


 おじさんと高級なお肉を食べるよりもおいしいなんて、一体どういう事なんだろうか。


 そう思うと、なんだかおかしかった。


「何笑ってんの?」

 ヒロトはカロリーの高そうなハンバーガーを咀嚼しながら小鼻を膨らませた。


「いや、いつもおじさんとんばっかりご飯してるから、新鮮だなって思って」


 そしてまたケラケラと笑った。


「は? 笑いごとじゃないからな。パパ活って言えば聞こえはポップだけど、立派な売春! 一歩間違えばとんでもない事になるんだぞ」


 ヒロトはつるんとした眉間にしわをよせ、まるでおっさんみたいな顔をする。


「はいはい。ごめんごめん。自分を大事にしろだとか、もっと高校生らしいバイトを探せとか、無駄遣いは控えろとか、そういう事言いたいんですよね。はいはいわかります~」


 バン!!!


 ヒロトは真っ赤な顔をしてテーブルを叩いた。


 ゆきのの肩は、びくんと上に上がったまま固まった。


「バカにしてんのかよ」

 その態度には、ゆきのもさすがにカチンと来る。


「はぁ? ちょっとあんたさぁ。私、先輩なんだけど! 君と同じ学校の先輩! 君、後輩! なんでそんなに上からなわけ?」


「俺が来なかったらどうなってたと思ってんだよ」


 テーブルの上でヒロトは拳を握りしめた。


「助けてなんて頼んでないんですけど?」


 まさか、年下に説教されるなんて思わなかった。


 ゆきのは両手に握っていたハンバーガーをトレーに戻し立ち上がる。


「帰るわ。助けてくれてありがとう。けど、もう二度とお節介いらないから。全て自己責任でやってるんで!」


 そう捨て台詞を吐き、背を向けた瞬間、手首を掴まれた。


「まだ一時間経ってないよ」


「いいわよ別に、お金なんていらない。あんたなんかにもらわなくても、くれる人探すから」


 しかし、ヒロトはその手首を離そうとしない。

 痛い程握りしめて来る。


「いいから座って。話もまだ終わってないよ」


 ゆきのにはさっぱり理解できなかった。今しがた会ったばかりの後輩に、どうしてこうも怒られなければならないのか。


 説教されなくてはいけないのか。


 こんな風に本気で反抗したのも初めての事だった。


 なぜなら、これまでの人生で、ゆきのにこんなもに真正面から、説教してくる人なんていなかったからだ。


 ヒロトの表情には冗談のかけらもなくて、本気で怒っている事が見てとれた。


 出て来る態度とは裏腹に、ゆきのの心の奥には、じんわりと温かい物が込み上げていた。


「とりあえず、食べようよ」


 少しトーンダウンしたヒロトは、ゆきのの腕をつかんだままそう言って、座った。


 言われるまま、ゆきのも腰かけた。


 二人とも、無言でむしゃむしゃと、ハンバーガーを食べた。


 ポテトのLサイズは大きすぎて、一人では食べきれない。


 何も言わずに、ヒロトの前に袋ごと滑らせた。


 意味が分かったようで、ヒロトは

「ありがとう」と低いトーンで礼を言った。


 気まずい空気のまま、むしゃむしゃとハンバーガーやポテトを体内に収めていく。


 トレーの上が紙くずだけになった頃、本題を切り出すようにヒロトが話始めた。


「俺はまだ高1で、出来る事は限られてるんだけど、とりあえず、これ」


 そう言って差し出した茶色い封筒。

 それは使い古したようにしわしわで、少し膨らんでいる。


「何? これ」


 恐々、中身を確認すると、一万円札が数枚入っている。


「はぁ? どういう事?」


「ずっと、SNSとか見てた。修学旅行の費用とか必要なんだろう。10万入ってる。それ使ってほしい」


 確かに、SNSで修学旅行費用の事をぼやいていた。


「いやいや~。それはダメだって! 受け取れないよ。このお金どうしたのよ?」


「どうだっていいだろう。君には関係ない」


「関係なくないよ。もらえないよ、こんなの。それとも、大人の関係求めてる?」


 ゆきのは周囲を気にして、少し声をひそめた。

 大人というのは業界用語で【性行為あり】という意味だ。


「大人だったら、2回分……」


「バカかっ! そんなんじゃない」


 ヒロトは一層顔をあからめて、声を荒げた。

 コーラを勢いよく飲み干し、バンと音を立ててプラカップをテーブルに置いた。


 ふーんと鼻から盛大な息を吐き、今度はゆきのの目をまっすぐに見据えた。


「俺、県外から一人でこの町に来た。君が通ってる高校は公立だから引っ越さないと、同じ高校に通えなかったんだ」


「私と同じ高校に通うために、こっちに来たって事?」

 ヒロトはこくっとうなづき、話しを続ける。


「俺はバイトもしてるし、親からの仕送りもある。だから、君を支援する事ができる。何も心配いらないよ」


「どうして? どうして私なんかのために?」


 ヒロトはキリっと姿勢を正して、真っすぐにゆきのの顔を見た。


「それが、俺の使命だから。生まれた時からの」


 ゆきのの脳内はクエスチョンマークでいっぱいだ。


 生まれた時から使命とは一体どういう事なのだろうか?

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