第七章 「未来旅行編」

7-1 ~ 戦後処理 ~


 あのテロリストの襲来が終わった後、俺たちを待っていたのは戦後処理という名の片付けの山だった。


「……『自宅』においては5階に大穴は空いてしまったものの、幸いにしてメインフレームの歪曲率は自己修復可能の範囲に収まっております。

 メインフレーム補正作業のため本日未明、体感しない程度の揺れが発生することをご容赦ください」


 そんな片付けの一環として、俺の未来の正妻ウィーフェにして現婚約者であるリリスが、仮想モニタ越しにでそう報告を上げてくる。


「次に仮想障壁上部に張り付いた輸送船の残骸を撤去するため、明日の9時から清掃用のドローンが5機飛び交うと思います。

 勿論、騒音を発生させて、あ、ああ、あなたの生活に支障を来さないよう最大限気を付けますし、その、上空を飛翔体が飛び交うことに懸念があるとは存じますが……」


 そんな報告を聞き流しながら……今までと違って顔を合わせるどころか、仮想モニタ越しでも顔すら見せないその使に、俺はむしろ非常に居心地の悪い思いを味わっていた。


 ──気にし過ぎだ、コイツら。


 たかが猫耳少女に唇を奪われたから何だと言うのだろう?

 直接目の当たりにしたことはないが、まるで性犯罪被害者の少女に対するような……いや、俺の場合は男女が完全に逆なのだが、女性の影を完全に見せようとしない彼女のその気遣いが、逆に居心地の悪さを演出してくれていた。

 実のところ、俺はキスされたことに対してダメージを全く受けていない……いや、むしろテロリストとは言え触れ合い言葉を交わし唇まで触れた生き物が物言わぬ物体へと変わったそのことへのショックの方が大きいくらいである。

 正直、俺の冷凍保存前の途切れ途切れの記憶が語る価値観に従えば、二十代にも満たない美少女にキスされるというのは、犯罪被害というよりご褒美としか思えない。


「沈没させられた護衛艦2隻及び搭乗員の補償については賠償金を都市『スペーメ』側に支払うことで示談が成立しています。

 勿論、この賠償金を含め、清掃費用から自宅の補修費用、アルノーの身体の修復まで全て、中央政府から『犯罪被害補償金』の提供があるため、我が都市の懐は痛みませんのでご安心ください」


「……はっ?」


 仮想モニタから聞こえてきたリリス嬢の声の、その意味が理解できた瞬間、俺は思わず驚いた声を上げてしまっていた。

 俺の暮らしていた時代では、犯罪による被害への補償なんて雀の涙よりも少しくらいマシって金が支給されていただけだった覚えがあるが……どうやらこの未来社会では犯罪被害者への補償も完璧に整っているらしい。


 ──のための、犯罪補償法案?

 ──何だそりゃ?


 そんな俺の疑問にBQCO脳内量子通信器官がインフレ率と人類圏全体の生産力との相関性や、発展が停滞した社会での需要創出の名目としての、犯罪率と出生率との因果関係など、色々な論文を用意してくれたのだが……


 ──全部却下だ、却下。


 そんな頭の痛くなるような知識の数々を脳に無理やり詰め込んでしまったら、頭蓋が内圧で破裂してもおかしくない。

 ただでさえ俺は、仕事に必要なこと以外は勉強した記憶が欠片もない、三流の測量屋でしかないのだ。

 そんな俺に大学論文みたいなものを読めだなんて……いや、読む必要もなく、ただ知識を脳に埋め込むだけなのだが、それでも未来の俺が知恵熱出してぶっ倒れる光景が幻視できる。


「この手の犯罪に遭った場合、被害報告は1に、被害物件の査定額はで請求するのですが、流石に今回は建築直後ですので……」


「それは止めといてくれ。

 監査とか来て痛くない腹探られても鬱陶しそうだ」


 俺がBQCO脳内量子通信器官とやり取りしている間にも、未来の正妻ウィーフェ様はこの海上都市『クリオネ』を運営する方策を考えてくれていたが……俺は即座にそれを拒否していた。

 うろ覚えではあるが……俺の友人が勤めていた会社では、感染症か何かの補助金関係で色々と申請した次の年、監査が入ってしまい、痛くもない腹を探られるためだけの書類整理に追われ、ひどく手を取られた、と酒混じりに愚痴られた記憶が微かにある。

 尤も、その友人の名前どころか顔すらも覚えていないのだが。

 そんな記憶がある所為だろう、俺には「中央政府やら補助金やらはどうにも折り合いが悪く、あまり触れられたくない」という先入観があった。

 ……税金やら何やらで保護されまくっている男性が言う台詞ではないのだろうが。


「分かりました、補助金関係は適正に運用します。

 これにて報告は終わりです。

 お休みなさいませ」


「……ああ。

 お休み、リリス」


 その報告が最後だったらしく、未来の正妻ウィーフェと夜の挨拶を終えた俺は、ゆっくりとベッドに崩れ落ちる。

 部屋に備え付けられていたキングサイズのベッドは一体どんな素材で出来ているのか、信じられないほど柔らかく……重力を忘れてしまいそうな感触だった。

 それでも……


 ──落ち着かない。


 ベッドが広すぎるのに加え、新品なのがダメなのだろう。

 今まではだったので違和感を覚えることもなかったのだが……感覚的には自室の万年床の布団が豪華なホテルのベッドへと急遽変わったような感じに近い。

 別に猫の子のように使い古した毛布じゃなければ眠れない悪癖は持っていないのだが、それでもやはり何処となく落ち着かない感覚は消えてくれない。

 

「……テロリスト、か」


 こんなに科学技術が進んだ未来でも社会に差別は消えることなく、暴力に訴える連中は存在している。

 いや、むしろ科学と社会が発展し過ぎた所為か、社会が自由を重視するあまりのが、この未来社会のふざけた現状だった。

 トチ狂った男女比だけでなく、俺の常識から見ても社会の歪みが手が付けられないほどねじ曲がっているこのクソみたいな時代で、俺はどうやって生きていくべきなのか。

 未来技術の粋を詰め込んで造られた落ち着かない筈のこのベッドは、精神には具合が悪くても身体にとっては素晴らしい居心地だったのだろう。

 細く白く貧弱に成り下がった自分の手を眺めながら、そんな未来のことをとりとめなく考えている内に、俺の意識は自然と闇の中へと消え去ってしまっていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る