魔女、炎に巻かれる
焦げ臭い臭いがしてきて、部屋には煙が充満していた。
木造の家屋は火の周りが早い。
すでに天井の梁に火が移り、炎が舐めるように屋根を覆おうとしていた。
そんな中、デュークと侍従とが剣を打ち合う音が部屋に響く。
炎のせいで動ける範囲は狭く、侍従はすぐ剣を払われ追い詰められた。
追いつめられた彼の判断は早く、デュークに向かい油の入った袋を投げつけると、そのま出口から逃げ出した。
デュークは彼を追わずにすぐにメリルの元へ駆け寄った。
(デューク。助けに来てくれた)
いつも厳しい顔で表情のないデュークの必死な様子が見て取れる。
胸に熱い塊がこみ上げそうになって、メリルはぐっと必死で抑え込んだ。
「ご、ごめ」
「息をするな。黙ってろ」
デュークは、後ろ手に縛られたメリルの背後の鎖の輪に剣を突き入れ、鎖からメリルを解き放った。
メリルは、手が自由になるのを感じるとほっとして、体の力を抜いた。
けれど。
ほっとしたのも束の間、メリルはその目を大きく見開く。
デュークの背中の向こうで、天井の梁が大きく傾いでいた。
「伏せろ!」
メリルは何もできず、呆然とそれが落ちてくるのを見上げていた。
轟音と共に、頭上に落ちてくるその巨大な物体をその目に焼き付け。
視界が暗く変わったのは、大きな体に隠されるようにぎゅっと抱き込まれたためなのだと、それだけは分かった。
そのまま、メリルの意識は暗転した。
◇◇◇◇◇◇
前世の自分は、日本のどこにでもいる、小さな会社で働く事務職の女子社員だった。ラノベといわれる小説や、乙女ゲーム、Web小説サイトオタクで、人に迷惑をかけない、お金もかからない、平和な趣味の持ち主だった。
人より優れたところなんて何もなくて、自分に自信がなくて、でも、だから身の程を知っていて、争いごとではいつも自分から折れていた。
これといった強い思いもなくて、毎日流されて。
でも、だからこその平和な日々。
けれど、ある日、ある男に出会ってしまったことから人生が変わった。
その男は、かっこよくて気遣いができて、自分のつまらない話を楽しそうに聞いてくれる素敵な人だった。なんでも持っていると思っていたその人が自分を構うので、始めはもちろんからかわれているのかと思っていた。
けれど彼は、落ち着く、といって自分を選んでくれた。そんな単純な理由で。でもそんな理由だったからこそ自分は彼に選ばれたのだと勘違いしてしまった。
今まで、ふわふわと流されていた拠り所のない自分が、はじめて居場所を手に入れたのだ。誰かに必要とされる安心感と心地よさを知ってしまった。
そして、その時、自分に足りないものはこれだったのだと、ずっとずっと自分が求めていたのはこれだったのだと、思い込んでしまったのだ。
それからは必死だった。
その居場所を手放さないために何でもした。
彼が知り合いの借金を背負い苦境に立たされた時もそう。
必要としてくれる彼の側という居場所を守るために、必死で働いて、金策をして、気づいたときには、仕事も貯金も家も何もかもがなくなっていた。
もちろん彼も。
それから、自分はあっさり事故にあって死んでしまった。
彼には騙されていたんだと思う。もしかしたら事故も本当は事故でなかったのかもしれない。
でも当時は、彼が離れていったのは自分が彼を、居場所を守り切れなかったせいだと自分を責めてばかりいて、そんなことを思いすらしなかった。
死の間際にやっと、騙されていたのだと思い至ったのだ。
必死で守ろうとしたその場所は、見せかけだけの、本当の自分のいるべき場所ではなかったのだと、全てが終わるその時になって気づいた。
彼を愛していたのかと問われるとわからない。
ただ、今ならばわかる。彼もまた、本当に自分を必要としてなんかいなかった。
顔のいい男なんて、と若干やさぐれてしまったのは仕方がないことだと思う。
もし。
もし、次の生を生きられるのならば。
今までのように流されて生きるのではなく、もっと自分の意志で色々なことをやってみよう、努力してみようと思った。
素敵な場所をあちこち旅して目に焼き付けたかった。
おいしいものを食べてその味を楽しんでみたかった。
不思議な経験をして、心を動かしてみたかった。
小説に出てきたような悪女になって、一度でいいから男に振り回されるんじゃなくて、振り回す側になってみたかった。
それから、自分の、本当の居場所を作りたかった。
自分を必要としてくれる誰かではなくて、自分が必要とする誰か。
自分を大切にしてくれる誰かではなくて、自分が大切にしたい誰か。
そんな誰かの側に、居場所を作りたかった。
そう思って、気づいたら、今の自分に生まれ変わっていた。
今世は、それらを全部やってみようと思って、チャレンジを始めた所だった。
隣国の豪遊食べ歩きもそうだし、顔のいい男をお金で買って侍らせて、悪女のような体験をしてみようとしていた。
前世でできなかったことを全部やって乗り越えようとしてたんだろうと思う。
多分、今していることも、その一つだったのだろう。
デューク。
王国を愛し、信念を持ち、魔獣の刻印にも屈しない、高潔な精神を持った美しい王子。
口が悪くて、むかついて、いけ好かなくて、すぐに人を見下して、からかって馬鹿にするけれど、努力を怠らず、仲間思いで、だからこそ皆に慕われる騎士。
メリルのせいで負わなくていい傷を負った、メリルがこれから助けなければならない人。
助けたい人。
デューク。
メリルの力を必要としてくれる人。
悪態ばかりつくけれど、かばってくれて、助けてくれて、いつも大切にしてくれる人。
大切にしたい人。
――多分、メリルは、この人の元で、自分の居場所を作りたかったのだ。
今度こそ、自分の意思で。
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