5.初仕事のお時間です
魔物。
「執着の成れの果て。生物を模倣して現世を闊歩するも、生物に非ず」
「救済の刻、灰燼ともなれず。心の臓、結晶のみを遺して滅す」
父さんが遺した数少ない蔵書のうちの一つに、こう書かれていたのを思い出す。
魔物に親となる個体はいない。
紅炎、碧水、白氷、翠風、紫雷、橙地、黒虚。この世界を流れる七色の偉大な魔糸流から零れ落ちるように自然発生し、特に人を狙って襲う。
ケラス教の教義では、魔物を生み出させるのは人間の欲望であり、清くあろうと切に祈りを捧げることこそ、明日の世界から魔物を消し去る唯一の方法だと説いている。
だが、実際に目前に迫った魔物相手に祈りを捧げたって無意味だ。生き残るには戦って、相手の消滅を勝ち取らなければ。
黒狼はオオカミを模した、カルカ周辺ではかなり頻繁に出現する魔物だ。
名前の通り、夜闇を煮詰めたような漆黒をしている。身軽で素速く、鋭利な爪や牙による物理攻撃が主。基本的に群れで行動し、最も体躯の大きいリーダーの指示で、連携攻撃を仕掛けてくる。
多くの場合、七級の討伐依頼となる初歩的な相手だけれど、魔物は魔物だ。
全力で殲滅しなければならない。
というわけで、いざ、リャニール山地へ。
「………………、」
緊張のあまり、ただでさえ少ない口数が更に少なくなった俺と、
「は、はわ、はわわ、はわわわぁ……!」
ただでさえ多い耳のぷるぷるが更に多くなったティアさんの元に、
「2人とも、おまたせ〜っ!」
フィーユ先輩が「とんでもないもの」を引き連れてきた。
「紹介するわね! この首元のもふもふが多い子がモフ、この耳がちょっと尖った子がモコ、そしてこの、尻尾がくるるんとした子がモル!」
「はわわわわぁぁああっ!? な、何だか、ものすごく親近感がぁああ……!?」
「こ、この可愛い生き物たちは、一体……?」
純白まん丸ボディに乗っかった、これまた丸い顔。楕円を描く一対の耳。のしのし、いや、のちのちと歩み寄ってきた短い四本足。
後ろ足の形状は違うけれど、例えるなら特大の子兎だ。だが背中から、全体的にふわっとしたフォルムの翼が生えている。乗馬で用いる鞍みたいなものをつけられているけど……?
モフ……いや、モルを愛おしそうに撫でていたフィーユだったが、俺の動揺に気づいて半目になり、きゅっと引き締まった腰に片手を当てた。
「まさか、ラピットを知らないとは……ここから実家の近いクロくんに聞くわ。どうやって目的地に辿り着こうと思ってたの?」
「え? それは、徒歩か馬車で……」
「護衛任務ならまだしも、時間がかかりすぎるでしょっ!? リャニールまでは、道路だってちゃんと整備されてないのよ!?」
「う……」
「というわけで、今からこの子たちに乗せてもらいます!」
フィーユ先輩に両手でババーンと示され、モフ……いや、モコが嬉しそうに「めぇ~」と鳴いた。兎はめぇ~とは鳴かないから、兎ではないのだろう。
「おやおや? クロ、その眼……この子たちを舐めてるわね?」
「ち、違う! ただ、ちょっとどれだけ移動速度が出るのかと、軽く不安になっただけで!」
「それを舐めてるって言うの。百聞は一見にしかず、さっさと乗る!」
厳しい口調で促しながら、フィーユはひょいとモルの背に跨った。
帯剣の位置が邪魔にならないことを確かめてから、よろしくお願いします、とおずおず一礼し、俺がモコに。失礼します、とぺこぺこ五礼ほど繰り返してから、ティアさんがモフに乗った。
剣胼胝で硬くなった手でモコの背を撫でてみる。草の匂いがして、温かくて、毛並みが柔らかくてふわふわだ……枕に欲しい……。
後輩たちのほんわかとした様子を見届けて、満足気に頷いたフィーユが、次の刹那には妖しく微笑む。
「舌、噛まないようにね?」
唐突な浮遊感、広がる視界。
「……っ!?」
晴れ空の青が急速に近づき。地上よりひややかな空気の中を、流れるように滑らかに飛翔する三羽と三人。
気づけば民家の群れを過ぎ、魔物の襲撃を防ぐために築かれた大壁を超え、カルカの西方に広がる平原の上にいた。疎に萌えた若草に、命の息吹を感じる。
殆ど揺れがないことを不思議に思い、はっと翼を見る。
やはり、動いていない。
集中する。風属性の強大な魔力、統制された魔糸。天馬とはわけが違う、百パーセント魔法依存による浮遊……人間同様、優れた知能によって魔法を操る「魔導生物」か。
「頼りになるな、モ……コ、は」
「めぇ~」
気持ちよさそうだ。
飛ぶことが好きなんだろう。
飛び上がって以来、ひゃぁぁぃぃぃと細く細く聞こえ続けていた、ティアさんの悲鳴が止んでいる。振り返ると、モフの首にしっかり抱きつきながらも、眼下を過ぎていく景色に見惚れているようだった。
視線を前方に戻し、深く自戒する。己の世間知らずを思い知らされた……ギルドについてはフィーユから何度も聞かされていた筈なのに、それすらも、ほんの数歩踏み込むと未知の領域で。
事務職員としての試験に合格し、勤めていくためには知識が必要だ。まずは、一般常識辺りから身につけていかないと……。
埃色の風が、唸り声を上げている。
飛獅子が焼き尽くしたという話は、案外、真実なのかも知れない。辺り一帯が良質な炎属性の魔力に満ちていて……念の為強めに「隠蔽」を使ったが、そうでなくとも接近は容易かっただろう。
岩陰で休んでいた黒狼の一頭が、ひくりと鋭利な耳を動かした。
俊敏に立ち上がり、姿勢を低くして臨戦態勢を整え、乾いた風とともに唸り始める。突如として目の前に現れた「一人」への警戒が、群れ全体へ波状に伝播していく。
目を閉じる。闇に浮かぶ無数の魔糸の中から、炎属性の影響のみを除去して確かめる。フィーユの読み通りだった。二十以上……三十二頭いる。
ありがとう、フィーユ。
そう、喉の奥で呟いた。
嵐のような忙しさの合間に、一緒に来てくれてありがとう。導いてくれてありがとう。三人で戦おうと言ってくれて、ありがとう。
ティアさん。初任務、生き残ろう。
研ぎ澄まされ、尖り切った五感。日常においては遮断されている、魔糸流るる世界に直接触れられそうな……極限の集中状態。
艶やかに踊り始めた火炎の向こうから、
『大丈夫?』
「京さん」の声が聞こえた気がした。
口元に笑みを浮かべ、右手を前へ差し出す。
魔糸掌握、焦点へ統制。
魔法の名は『縮』。縮、縮、縮……
「大丈夫だよ」
目蓋を開く。
標的は、先鋒として駆け出そうとする一頭。
手のひらをきつく握り込む。その僅かな力の流れに従って、腕を左方へ振り、すぐさま右方へ払って、
「せっ、」
真正面に弾き飛ばす。
魔導法則ぎりぎりまで圧縮した、炎の種を。
それは、術者にしか軌道を辿れない不可視の弾丸。標的の鼻頭に接触するなり、音もなく膨れ上がって炸裂する仕掛け。
それは呑まれた者の最期の声を掻き消し、山肌を抉り、燃え尽きるまで叫び続ける、紅炎。
巻き込んだ数は十五。
残り、十七。
肌がヒリヒリするような熱量も、概ね設計通りと言ったところか。
己が放った火炎のまばゆさに目を細めながら、片手剣を抜いた。
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