三件 2

 しばらくすると司命が「迎えにきたよ~」と勝手に鏡子の部屋に入ってきた。そして鏡子をいつも通り、裁判所まで案内する。


「そういえば鏡子ちゃん、天道に行ってきたんでしょ」

「うん」

「オレ、あそこキラ~イ」

「そうなの?」

「だって何もなくてつまらないもん」


 鏡子はその言葉にコクコクと頷く。司命は続けて「お坊さんはど~してそんな天道に行きたいんだろう」と話す。


 鏡子は司命の言葉に再び頷こうとするが、ハッとして首を勢いよく横に振る。


 いやいや。よく考えたら地獄にも行きたくないんだって!


 そんなことを話しているとあっという間に裁判所に着く。中には閻魔大王と司録が既に座っている。


「妻よ、こっちだ」


 鏡子は閻魔大王に招かれて隣に立つ。司命も閻魔大王のちょっと前といういつものポジションにつく。


 司命は頭をガリガリと搔きながら扉を開けて一人の男性を裁判所へ引き入れる。四十代男性は頭を丸刈りにしていて袈裟を着ている。


 やはり閻魔大王の言った通り、今回の裁判相手は僧侶のようだ。


 司命は懐から巻物を取り出す。


「えーと。天野あまの ただし。こちらへ」


 そう司命が声をかけると僧侶はおずおずと前に出る。だが瞳は真っすぐに閻魔大王を見据えていた。


 僧侶だからか司命の態度が前に裁判した人たちよりも格段に良い。僧侶も特に反抗する様子もないので、鏡子はホッと息を吐く。


 今までの扱いが酷かったもんな。あの僧侶が大人しく従ってくれているなら今のところはそういう扱いもなさそうだし……。

 それにこの人が悪いことするとも思えない。今日は軽い気持ちでいても大丈夫かも。


 鏡子は思わず頬を緩める。


「司命、罪状を」


 閻魔大王に名前を呼ばれて司命は一気に顔が引き締まる。そして「天野 正は――」と罪状を読み始めた。


 途端に鏡子の体が光に包まれ、目の前には大きな仏像がとびこんできた。




 仏像が目に飛び込んで鏡子はまたか……と思う。あの僧侶、天野 正の過去を見せられているようだ。


 慣れって恐ろしい。


 鏡子はグルリと辺りを見回す。

 仏像の他に木魚や香炉があることから、ここは寺の中のようだと推測する。


 それにしても肝心の本人が辺りを見回してもいない。


 すると。


「お坊さ~ん!」と扉の向こうから子供の明るい声が聞こえてくる。


 どうやら外にいるらしい。


 鏡子は自身の姿が見えないと分かっていながらも、こっそりと引き戸を開けて外の様子を伺う。

 外には子供数人と、その子供達に囲まれた天野 正がいる。


 うーん。子供に好かれているみたいだしやっぱり悪い人には見えない。


 鏡子が様子をしばらく見ていると子供達はごそごそと何やらビニール袋を取り出す。そして一斉に「トリックオアトリート!!!」と言い出した。


「お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ!!!」

「へ?」


 ……これってハロウィン、だよね? お寺で?


 そんな鏡子の戸惑いをよそに正は「そういえば今日はハロウィンでしたね」と袂からお菓子を取り出す。

 饅頭やお煎餅といった和菓子から、チョコやグミといった洋菓子もある。


 ハロウィンって確かキリスト教だよね。仏教に持ち込んでいいの? いや、でも。日本人って宗教気にしないし。それが日本人のいいところでもあるわけだし……。

 楽しそうならいいか。


 鏡子は無理にそう納得させて改めて正と子供達を見つめる。


 子供達は満足げにお菓子をビニール袋に入れると足早に帰っていく。正はそれを見送ってから寺の方へ歩いてくる。


「!」


 鏡子は急いで部屋の隅へ移動しようとする。だが正は途中で立ち止まり、寺の屋根を見上げる。


 ?


 移動しようとした鏡子も思わず足を止めて、真上を見る。

 屋根には木の枝が覆いかぶさっていた。しかもその木の枝は――隣の家からだ。


 ――なんだか嫌な予感がする。


 そう思っていると場面が移り変わる。


 今度は正はとある家の前に立っていた。その家というのは寺まで木の枝が伸びていた家だ。

 正は人差し指でインターホンを鳴らす。ピンポンと音が鳴って若い女性が出てくる。


「あ、はい」

「突然お尋ねしてすみません。実は頼み事がありまして」

「頼み事、ですか」


 女性は眉をしかめている。


 そりゃそうだよなー。隣同士とはいえお坊さんが急に来たら困惑するわなー。


 鏡子はハラハラと正の背中を見つめる。


「頼みというのは非常に言いにくいのですが。外にある大きな木なのですが、枝がこちらまで侵入してきていまして」

「あら、そうだったのですか。それはすみません」と女性は軽く頭を下げる。


 とりあえず大丈夫そう、とひとまず鏡子は胸を撫でおろす。


「近いうちに切りますね。すみません」

「いえいえ、こちらこそお忙しいのにすみません。それでは失礼します」


 正は綺麗にお辞儀をしてから踵を返した。


 やっぱり罪を犯すような悪い人には見えない。




 それから一ヵ月、二か月と場面は切り替わっていく。その間、屋根の木の枝は伸びていっている。


 近いうちに切るって言ってたのに。


 そして遂には年が明けてしまった。


 正はふぅと息を吐いて、隣の家へ向かう。正は隣の家のインターホンを押すと、この前の若い女性が出てきた。


「あ、こんにちは」

「突然すみません。新年のご挨拶をと思いまして」

「はぁ……。ご丁寧にどうも」


 女性は苦い顔をして、玄関を閉めようとしている。


「少しお待ちください。実は新年のご挨拶の他にお話ししたいことがありまして」

「話したいこと、ですか」


 なるほど。上手い事考えたな、と鏡子は一人感心する。


「以前もお話したのですが、そちらの木の枝がかなり伸びてきていまして」


 新年の挨拶は建前だ。こちらが本音だけれど、いきなりそれを言ってしまうと警戒されてしまう。それに新年の挨拶ならむやみに追い返せないし。


「ああ、すっかり忘れていました。すみません。すぐ切りますので」


 女性はそう言って苦笑いを浮かべる。


 よかった。今度こそ大丈夫そうと鏡子は正のお辞儀している背中を見つめる。


 やっぱり悪い人には見えない。


 けれどここまでの一連を見て鏡子は嫌な予感が広がっていた。




 数週間後、正は寺の屋根を見ていた。鏡子もその流れで屋根を見上げた。

 木の枝はまだ切られていない。


 正はハァと重いため息を吐く。


 すぐ切るって言ってたのに。


 正は再びため息を吐きながら、寺の隅にある倉の方まで歩く。そして倉から脚立を取り出した。


 まさか――。


 鏡子は知らぬ間に冷や汗を掻いていた。


 正は動きにくそうな袈裟姿のまま脚立を使って屋根まで上っていく。しかも右手には枝切り鋏を持っていた。


「駄目っ!」


 鏡子は珍しく声を荒げていた。けれどその声は正には届く事は無い。鏡子の見ているものは正の過去なのだから。


 正は屋根に昇ると枝をジッと見てから鋏を構える。


「駄目!」


 再び鏡子は声を荒げる。


 そんな鏡子の願いは空しく、正は枝を切り落とした。


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