天道 2

 天道にいる人々は皆楽しそうに空を飛んでいる。地獄とは正反対だ。

 ただ、地獄とは別世界過ぎて少し違和感がある。


 違和感がある時点で地獄に慣れてしまっているようで嫌なんだよな……。


 鏡子がボーっと飛んでいる人々を見ていると閻魔大王が「少し話でもしてみるか」と提案してくる。


「え? 話せるんですか」


 と言ったのも天道にいる人々は周りと話をしておらず、話をする様子すらなかったからだ。


「普段は一人の世界にいるがな。話しかければ答えてはくれる」

「へぇ」


 鏡子は閻魔大王に引かれて空を移動する。天道に来る前と違ってゆるやかに空を飛んでいるので、普通では味わえない現象に鏡子は多少楽しむ余裕が出来ている。

 そんな中、閻魔大王は五十代くらいに見える女性に近づく。


「こんにちは」

「あら、こんにちは」

「少しお話よろしいかな? 隣にいる妻が始めてここに来たもので。いろいろと教えてもらいたい」


 閻魔大王の紹介に鏡子は思わずペコリと頭を下げる。すると女性は「あら、素敵な奥様ね~」と軽やかに頬を上げた。


「でもそんなに教えることもないのよ。ここは本当にいい場所で困ることもないのよ」

「そ、そうなんですか」


 女性がこれでもかと満面の笑みを浮かべていた。その笑みに鏡子は思わずたじろいでしまう。


「そうよ。ここには悲しみも苦しみも無くて楽しいことばかり続くのよ」


 悲しみも苦しみもない、楽しい事ばかり続く世界……。そんな世界、あるのだろうか。いや、その世界こそが天道なんだろうけれど。


 鏡子はずっと満面の笑みを浮かべている女性から二、三歩遠ざかる。


 なんだろう。この人を見ていると――妙に不安になる。


「大丈夫か?」


 ふと閻魔大王が声をかけてくる。


「え?」

「あまり顔色がよくないからな」


 閻魔大王は女性に向き直る。


「すまない。余の妻の具合が良くないようだ。今日はこのあたりで失礼させてもらう」

「あら、そうなの? 始めてここに来たのだもの。疲れてしまうのも仕方ないわよね~」


 女性はペコリと頭を下げてまた空を漂い始めた。


 閻魔大王は鏡子の手を引いて下へ下へと降りていく。やがて鏡子と閻魔大王は大きな蓮の花びらに降り立つ。


「大丈夫か?」


 閻魔大王は再び鏡子に問いかける。


「はい。大丈夫です。ご迷惑をおかけしてすみません」

「いや、謝る必要はない。妻を気にするのは夫として当然だからな」

「そ、そうですか」

「それで何があった」


 閻魔大王の問いかけに鏡子は黙る。


 何が悪い……というわけじゃない。から説明が難しいのだけれど。言えるとすればただ……。


「あの女性を見ていると不安になるというか、気味が悪いというか」


 鏡子がぼそりと話すと閻魔大王は大きく瞬きをした。そして「ひとまず帰ろうか」と提案してくる。


「もういいんですか」

「ああ。あとは妻の部屋で酒でも飲んで聞くとしよう」


 閻魔大王は人頭杖を持つ。


「!」


 なんだか嫌な予感がして鏡子は閻魔大王を見る。


「あ、あのー。もしかしなくても今度は上がるんじゃなく落ちるんでしょうか」

「ああ」

「落ちる速度ってゆっくり出来ませんか?」


 多分……このままだと遊園地にある急速に下に落ちるフリーフォール系のアトラクションになってしまう。

 それだけは絶対止めなくては。


 実は鏡子の唯一苦手なものが絶叫アトラクションであった。それもフリーフォールのアトラクションが一番苦手だ。

 けれどその思いも空しく閻魔大王に「無理だな」と一喝される。


「何でですか!?」

「そう怒ってくれるな。余も試してはいるんだが人頭杖が言うことを聞かなくてな」


 杖が言うことを聞かないことってあるんだ……。まぁ、ただの杖じゃなくて人の頭が二つついた人頭杖だし。


「それじゃあ、戻るか。くれぐれも落ちるなよ」


 閻魔大王は人頭杖で蓮の花びらを軽く叩く。と天道に来る前と同様、媼の口が開き周りを火で埋めつくす。


「!」


 鏡子は思わず手を繋いでいない方の手を閻魔大王の首へ回す。

 閻魔大王は「どうした。やけに積極的だな」と鏡子をチラリと見た。


「そういう問題じゃないんです!!!」

「ほう?」

「その、こういうのは苦手なんです!!!」


 鏡子の発言に一瞬閻魔大王は怪訝な顔をするが、鏡子の肩が震えているのに気づき少し顔を緩ませる。

 そして閻魔大王は鏡子の震える肩を強く抱き寄せた。


「っ!!!」


 自然と鏡子の顔は閻魔大王の胸板に押し付けられる形になる。


「余には妻の苦手、というのはよく分からないが、大丈夫だ。そなたは余の妻だからな。何が起こったとしても護るさ」

「いや、護るとかそういう問題じゃないのですが」

「? そうなのか?」


 閻魔大王が眉をクイッと上げたのと同時に周りの炎は一層強く燃え上がる。


 ――くるっ!!!

 と思ったのと同時に一気に体は急降下する。心臓がグッと上がる。その感覚に鏡子はギュッと目を閉じ、声にならない悲鳴を上げた。


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