地獄 2
閻魔大王は先程の椅子に座ったかと思うと、左右に控えていた男の一人に椅子を持ってこさせ向かい側へ配置するよう指示する。
鏡子は言われるがまま閻魔大王の向かい側の椅子へ座ることとなった。
「はい、どうぞぉ~」
椅子に座ったところでもう一人の男性がニコニコと机に湯飲みを出す。中身はごく普通のお茶のようで、湯気がモクモクと立っている。
「さて、とりあえずはもう一度自己紹介を始めようか。余は先程も伝えた通り閻魔大王。そして今、茶を出したのが
司命と呼ばれた人物は相変わらずニコニコとしながら、「よろしくぅ~」と鏡子に向かって手を振る。鏡子はなんとか会釈を返した。
「そしてそこにいるのが
閻魔大王はわずかに後ろに視線を向ける。鏡子も視線を向けると、先程椅子を持ってきた人がそこにいた。
司録は鏡子と目が合うと礼儀正しく腰からお辞儀をする。鏡子もそれにつられて深く頭を下げる。
閻魔大王は司命が出したお茶をズズッと啜る。
「次に君のことだ。玻璃鏡子」
「っ」
名前を呼ばれて顔を上げた。
閻魔大王の鋭い目が鏡子を捉えている。
「君はどこまで覚えているんだ」
「……司法試験の会場に行く途中だった、というところまでです」
「そうか」
閻魔大王がまたお茶を啜る。それを見て鏡子もおそるおそる出されたお茶に口をつける。
美味しい……。
毒でも盛られているのではと警戒していたが、どうもただの美味しいお茶のようだ。
鏡子はホッと口から息を吐きだす。体が一気に温まり、緊張が少し溶けていく。
だが溶けた緊張感は閻魔大王の言葉で一気に高まる。
「君はその試験に向かう途中、トラックなるものにひかれて亡くなった」
「!」
「そして余がここに連れてきた」
手に取ったお茶がカタカタと音を立てて震えている。
「運転手は酒の飲みすぎで意識が朦朧としていたようだ。体の制御が出来ず歩道に突っ込んだ」
「その後、トラックの運転手は……」
こんな時なのに加害者のことが気になってしまうのは裁判官を目指していた者の性、とでもいうべきなのだろうか。
そんな鏡子に対して閻魔大王は「幸い交番が近くにあったからな。その後の対応は早かったぞ。今頃、あちらの世界で裁かれているのではないか」と答える。
……ということは刑事裁判。
「危険運転致死傷罪にあたるわけで。人を死亡させているわけだから……十五年以下の懲役か一年以上の有期懲役か」
慰謝料はだいたい……と考え始めたところに、ゴホンと閻魔大王が咳払いをする。
「何やら考えているところ悪いが、話を進ませてもらうぞ」
「すみません」
鏡子は元の世界から今の世界、地獄へと意識を戻す。
閻魔大王はお茶を最後まで一気に飲み干すと鏡子の瞳を見つめて話し始めた。
「今、地獄は罰を受ける者たちで溢れかえっている。理由が分かるか」
「いいえ」
「人が余を忘れ去ってしまったからだ」
鏡子は思わず眉をしかめる。
閻魔大王の名は誰でも一度は聞いたことがある。忘れ去るっていうことはないと思うのだけれど。
閻魔大王は言葉を続ける。
「つまりは余への信仰心。そのせいで人は当たり前のように悪い行いをするようになった。当たり前のように嘘をつき、盗み、自分の快楽の為に他人を平気で蹴落とす」
そう言われると返す言葉もない。実際、鏡子自身も小さなことではあるが悪い行いをいくつかしたことがある。怒られたくはないがために小さな嘘をついたり、友人から借りていた漫画を返していなかったり……。
閻魔大王は鏡子の反応を見ながら机に肘をつき、手に顎を乗せる。
「もちろん昔と今は人の価値観は違う。余も今の価値観、とやらに適応していかなければならぬのだろう。そこで、だ。玻璃鏡子。余の妻となり死者を一緒に裁いてほしい」
「はい?」
また訳の分からない話になってきたぞ。
鏡子は先程紹介された司命と司録に疑問の視線を投げかけるも、二人は笑顔のままで答えるつもりはないらしい。
「玻璃鏡子」と閻魔大王は低い声で名前を呼ぶ。
「君は裁判官を目指していたんだろう。その知識を地獄に役立ててほしい」
「つまりは現代の法律を使って裁判をしろ、と」
「そうだ」
確かに裁判官を目指していた。けれど……。
鏡子は目を閉じる。思い浮かぶのは扉を開けた瞬間に飛び込んできた異形の存在が人を様々な方法で殺している光景だ。
私が重罪だと判決した瞬間にあの光景のように人が苦しめられる。それは私が本当にやりたいことじゃない。
鏡子は思い切り首を振って閻魔大王を見た。そして「お断りします」と口を開こうとしていた時――。
「ちなみに断った場合、君も地獄で罰を受けることになる」
「え」
「君も完璧に善人ではないだろう。先程地獄は罰を受けるもので溢れていると話をした時、わずかではあるが動揺していたようだしな」
「!」
ずっと見られているとは思っていたけれど。まさか、断りづらくするためだったとは。
思わずおでこに手を当てる。
最初から否定権も黙秘権もなかったわけね。
鏡子はわずかにため息を吐いた後、お茶を一口啜った。
「分かりました。やってみますよ」
「これからよろしく頼む。我が妻よ」
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