第2話


 * * *


 高校生の時、高瀬は演劇部に所属していた。

 演劇に興味があったというよりは、何か自分の手で一から物を作ってみたかったのだと思う。

 物が作れるなら別に演劇部でなくても良かったが、そんな高瀬が望むような「DIY部」みたいなものはピンポイントになかったし、だからといって、一から部活を作るほどの情熱も無かった。

 入学後、文化系の部活紹介を体育館で見たとき、演技に比べて舞台のセットが、あまりに貧相だったのを見て、せっかく演技が上手いのに、これでは役者が可哀想だと思ったのが入部理由だ。

 もちろん、先輩を前にして、そんな失礼なことは言わなかったけれど。

 だから高瀬は、演劇部で異質の存在だった。

 全国の高校演劇大会で何度か入賞して、専用のホールまで持っているような大きな部だったから、脚本か演者になりたいと入部してくる生徒が大半を占めている。一年生で最初から「裏方」になりたいなんていう高瀬みたいな人間は珍しかった。

 木を切って、組み立てて、色を塗って、まるで職人のような高瀬を見て「将来は、大工?」と部活仲間に言われたとき、自分の家を建ててみるのもいいなぁと思った。けれど、それは高瀬個人の趣味として、自分がやっているのは本質的には推し活のようなものだと感じていた。

 脚本家や演者を誰よりも輝かせる、自分の「好き」を広く誰かに伝えることが、高瀬の将来やりたいことだった。

 そんな演劇部の高瀬が、高校のあいだ一番推していたのは、自分の所属していた演劇部の仲間じゃなくて「写真部にいるクラスメイト」だった。


 卒業式の日、二階建ての部室棟の廊下は、薄暗く、いつだってゴミだらけなのに、この日ばかりは、送り出す卒業生のため、在校生によって綺麗に掃除されていた。

 演劇部からの卒業祝いに一本のオレンジのガーベラを手渡された帰り道、写真部の部室の前に、高瀬の推しがいた。

「羽鳥っ」

「……何?」

 自分たち以外誰もいない廊下。

 高瀬が名前を呼ぶと羽鳥はいつもぶっきらぼうなのに、その日は少しだけ目を細めて笑っていたように思う。

 部室前の廊下の掲示板には、全国コンクールで優勝した写真が掲示されていて、撮影した羽鳥がその前に立っていた。

 羽鳥はクラスの中心人物でもないのに、その孤高さに周りから一目置かれている存在だった。

 ――高瀬の勝手な想像と妄想。

 羽鳥のなかには、自分だけの綺麗な世界があって、けどその世界には誰も入れない。けれど、神様の世界はちゃんと羽鳥が撮影する写真の中にあった。

 だから、周りの人間は、その世界を垣間見ることができた。本屋に並んでいる写真雑誌では、大人たちに混じった中で賞を総なめし、若手の鬼才だなんて、どこかの偉いコラムニストが書いていた。

 高瀬が、この場でわざわざ言葉にしなくても、羽鳥は周りからの賛辞なんてもらい慣れているはずだった。

 けれど伝えなければと思った。卒業してしまったら、もう羽鳥とは会えないのだから。

「あのな、羽鳥、ずっと伝えたかったことがあって、羽鳥は怒るかもしれない、けど」

 毎日、部活の帰りに羽鳥の撮った写真を部室棟の掲示板で見ていた。

 自分のそばには、こんなすごい奴が、天才がいるんだって感動していた。

「――いいよ、言って」

 笑った羽鳥に自分の気持ちが受け入れられた気がして、嬉しくて、焦って一息で伝えた。

「好きだよ!」

 一瞬だけ目を丸くして、けど、当然みたいな顔をしていた羽鳥の顔が忘れられない。

「高瀬。俺も、お前のことが好きだよ」

 羽鳥にそう言われて顔が真っ赤になった。

 ありがとう、嬉しい。以外の気持ちが自分に返ってくるとは思っていなかった。

 自分が好きな作家に、サイン会で直接ファンレターを渡した時だってこんなじゃなかった。もっと冷静だった。

 羽鳥がそんなふうに、無防備に口元を緩めて幸せそうに笑うなんて、その日まで知らなかった。

 あれ、もしかして伝え方を間違えたって気づいた時には、驚いて足を一歩後ろへ引き、そのまま踵を返して逃げてしまった。

 本当は、黒歴史なんかじゃない。

 気持ちを正しく相手に伝えられなかった後悔だけが、ずっと心の中に残っていた。

 

 そんな高校生の苦い思い出が、直視できない現実とともに再び目の前に現れたのだから、これは、もう一度やり直せって、神様が自分にくれたチャンスなんだと思った。

 無神論者で、年に一回くらいしか神社に行かないのに神様に感謝した。

 今度こそ、間違えたくなかった。

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