夢の中を歩く

 ある日突然、私は覚めない夢を見始めた。私はいつも夢の中で歩いていた。夢の中はふわふわとしていて、歩いているのに自分が歩いていないような感覚になった。その感覚は、着ぐるみの中に入って歩くのに似ているのかもしれない。着ぐるみが他の人から見える、鏡に、写真にうつる自分で、着ぐるみの中の自分は、本当の自分は別のどこかにいる。


 目に見える景色が全て模型になった。きっと私が歩いていた世界は箱庭だった。いつの日かカウンセリングルームで箱庭療法というのを受けたことがあった。私は誰かが作った色あせた箱庭に迷い込んだのかもしれないと思った。


 鏡を見ると自分と同じ顔をした、自分じゃない誰かと目が合った。 目を合わせると、鏡の中に吸い込まれそうになった。洗面所に行った時鏡を見るのが怖くて、なるべく鏡を見ないようにして手を洗った。


 夢の中の私は素直だった。言いたいことを言えた。現実感がないから何かを言うことに怖さがなかった。外側の自分と内側の自分を隔てているガラスのように透明な薄い膜は私を守っていてくれたのかもしれない。でも、話している声は自分の耳には届かなかった。聞こえるけれど聞こえなかった。自分の手が、足が、耳が、全て自分のものじゃないように思えた。


 私は夢の中にいる時、イヤホンを付けて音楽を聴いた。ワイヤレスイヤホンじゃなくて有線イヤホン。ワイヤレスイヤホンとスマホの距離は、私の私の距離に少し似ている。私は、有線イヤホンの線を指でつつつとなぞり、確かに届いている、と確認した。私にとってイヤホンで聴く音楽、それも好きなバンドのお気に入りの曲だけは特別だった。イヤホンは、箱庭を歩く夢の中の私にじゃなくて、ベッドで眠っている本当の私に音を、感覚を、届けてくれた。


 ゴーグルを付けてVRの世界を体験しているような感覚、だと人に言ったことがあった。全ての感覚が本物じゃない世界。悲しみも、痛みも麻痺した世界。それを聞いた人は何も信じてくれなかった。


 気付いている人もいるかもしれないけれど、今まで話した夢の中の話は、全て現実世界で起こっていた話。そのことを、これを読んでいるあなたは信じてくれるかな。


 離人症というものがあるらしい。

 自分がそれだったのかは分からないけれど、その言葉とその意味を知った時、自分だと思った。現実感消失とも言うらしい。


 久しぶりに眠れない夜がやって来た。

 私は有線イヤホンを装着し、好きなバンドのお気に入りの曲を聴く。

 私はイヤホンをスマホから抜き、スマホ本体の音量を上げてみた。


 届く。


 届いてる。


 手が、足が、耳が、自分のものだと思える。

 まだ眠っていないから、ここは夢の中じゃない。その当たり前が当たり前じゃなかった日々はもう無くなったのか。不思議と寂しさもあった。


 「家から○○駅 離人◎ 夢の中みたい 体は眠ってるような 冷たさは感じる 荷物の重みも 遠くを見ると変な感じ」


 スマホのメモ帳に記録した2021年1月21日に高校一年生だった私は、もうすぐ高校を卒業する。

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