第2話女性の先輩
自分の人生を振り返った時に誇らしく思えることは特に無かった。
何かに一生懸命になった記憶は薄い。
小学校から始めた野球も中学でやめてしまった。
高校生からはバイトに励む日々。
励むと言ってもフリーターの方やパートの主婦さんのように脇目も振らずに働いたわけではない。
高校生にしては良くやっている。
それぐらいなものだった。
さくらと別れてからも何人かの恋人はできた。
しかしながら僕は心の何処かでいつもさくらを探していた。
新しく出来た恋人のどこかにさくらを重ねていたのだろう。
今思い返せば酷いことをしていた自覚はある。
それでも僕は未練がましく過去の恋愛を引きずっていた。
ならば、何故さくらからの申し出に即答できなかったのか。
それは僕にも全くの謎なのである。
誰かを心の底から愛した記憶はなくとも、さくらのことは少なからず愛していたはずなのだ。
中学生が無理に背伸びをして、大人を真似て精一杯に表現した愛だとしてもだ。
今からでも来た道を戻ってさくらに復縁の申し出を了承してこようかという、そんな考えが脳裏をよぎった。
だがそれはあまりにも格好がつかないので大人しく帰路に着く。
(今の僕なら昔よりはマシな恋愛ができるかも…)
少し前向きなことを思いながら風呂に入り眠りにつくと、次の日はあっという間にスタートしてしまうのであった。
アラームに起こされて身支度を整えるといつものように会社に向かう。
会社には面倒を見てくれる女性の先輩がいる。
2歳年上の彼女は何かと僕の面倒を見てくれる。
そんな彼女と始業前に喫煙室に向かう。
彼女は電子タバコのスイッチを押す。
僕は紙タバコの箱を胸ポケットから取り出すと中から一本取り出して口に咥えた。
ライターで火を付けると話は始まる。
「電子タバコに変えなよ。服に臭いもつかなくていいよ」
彼女はそう言うと自分の吸っている電子タバコをこちらに差し出してくる。
「いいですよ。吸った気にならなくて」
彼女の電子タバコを拒否するとそのまま自分の紙タバコを吸っていく。
「まぁ…紙タバコの煙と香水の匂いがマッチすると、それはそれでセクシーだよね」
などと訳知り顔なことを口にする彼女を僕は軽くからかった。
「彼氏の話ですか?」
「彼氏なんていないけど?」
何故か疑問形の言葉が返ってきて僕は戯けた顔をして応えた。
「じゃあ誰の話だったんですか…」
呆れたように口を開いてタバコを吸っていくと彼女は人差し指で僕を指さした。
「キミのことだけど」
「あぁ〜…そうですか…」
何とも言えない間抜けな返事をすると、むせ返りそうになる煙を必死に肺の中に吸い込んだ。
「でも、そう思うのは好意を感じているからかもね」
はっきりと伝えてくる彼女の言葉を正面から受け止めることが出来ずに僕は口ごもってしまう。
そのままタバコを吸い終えると灰皿に吸い殻を捨てて仕事に向かう。
「そうだ。帰りに食事していこう。奢ってあげるから」
彼女の提案に頷くと僕らは何事もなく本日の業務に向かうのであった。
終業時刻を迎えて彩と共に会社を出るとそのまま駅に向けて歩き出した。
「何の気分?」
「できれば肉以外でお願いします」
それだけのやり取りで僕らの向かう先は決定した。
駅の近くに最近出来た回転寿司屋に入店すると席に案内される。
されるのだが…。
非常に困ったことになった。
回転寿司屋のホールスタッフとして朔野さくらが働いていたのだ。
しかも自分だけ他のホールスタッフとは違う色のユニフォームを着てだ。
バイトと思われるスタッフは黒いスボンにオレンジ色のシャツを着ているのに対して、さくらは全身黒のユニフォームを着ていた。
明らかに、ひと目でホールの中で一番偉い存在だと見て取れる。
どう考えてもここの社員だ。
遠くの方でさくらの姿を確認すると僕は身を隠すように席に腰掛けた。
「どうしたの?」
目の前の彩は訝しむように僕の顔を覗き込んだ。
「いや…なんでも…」
それだけ告げると彩はタッチパネルでアルコールを注文していった。
「ビールで良いんだっけ?」
彼女の言葉に頷くとそのままネタも注文していく。
「課長がさぁ…あの人セクハラ酷いよね?結婚して治まると思ったけど…あれは根っからのスケベだね」
会社の最寄りの駅近くだと言うのに彼女は遠慮もなしに上司の愚痴を口にしていった。
「まだ飲んでないですよね…」
呆れたように口を開くと丁度運ばれてきたビールジョッキを受け取る。
のだが…。
「あれ?直じゃん。いらっしゃい」
アルコールを運んできたのは、さくらで僕のことを見た後に対面の席に座る彩にも目を向けた。
「こんばんは。直の彼女さんですか?」
さくらは早速、彩に質問を繰り出していた。
「違います。会社の同僚で。よく食事に行く仲ってだけです。そちらは?」
彩もなんでもないように答えると同じように質問をしていた。
「元恋人です。と言っても中学生の頃のですが…」
その答えを耳にした彩は僕をからかうような表情でこちらを見た後に一つ頷いた。
「そうですか。ではお互い…」
彩は意味深な言葉を口にして軽く微笑んだ後にビールジョッキを掲げた。
さくらもそれに笑顔で頷くと仕事に戻っていく。
板前さんが寿司を皿に乗せて提供してくると僕らは食事を開始する。
「可愛い娘だったね。何で別れたの?」
「急に踏み込んできますね」
「ここで聞かないほうがおかしいでしょ」
「そうですかね…。進学先が別々で次第に疎遠になったってよくある話ですよ」
彼女はそれを黙って聞いており、そのままタッチパネルで追加の注文をしていた。
僕も同じように追加注文をするとアルコールで喉を潤していった。
「さっきの感じだとまだ未練ありそうじゃん」
「僕がですか?」
「うんん。相手が」
「そうですかね…」
何とも言えない答えを口にすると昨日の出来事は彩には黙っておくことを決める。
「でもやめておいたほうが良いと思うな」
板前さんから追加の皿を受け取りながら彩は話を続けていく。
「何でですか?」
「何がですか?じゃなくて?」
彼女は僕の揚げ足を取るように試すような瞳でこちらを覗いていた。
「やめてくださいよ。その感じ」
呆れるように言葉を口にするとアルコールを口に運んでいく。
「きっとまた上手くいかないわよ。一度上手くいかなかった人とは、ずっと上手くいかないわ。男女の中では特にね」
彼女の言葉に僕は苦笑を浮かべると食事を続けた。
恙無く食事を終えると僕らは会計に向かう。
レジにはさくらが立っていて僕らのことをじっくりと観察するように見ていた。
会計は宣言通りに彩がしてくれた。
会計を済ませるとさくらは僕を手招くように呼び止めた。
「なに?」
そちらに向かい、耳を傾けると彼女は小声で口を開いた。
「多分あの人、直に気があるよ。気をつけて」
「気をつけてって…何にだよ」
「何にでも…!」
それに呆れた表情を浮かべると別れを告げて店の外に出る。
「ご馳走様でした」
彩に感謝の言葉を口にすると僕らはそのまま駅に向かった。
「また食事に行こうね」
それに頷くと僕らは別々の電車に乗り帰宅するのであった。
どことなく大人になった僕ならば、もう少し上手く恋愛が出来るようになっているのではないかと感じたそんな平和な一日は終わり。
まさか翌日の休日から波乱が待っていると現在の僕は知る由もないのであった。
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