Chapter.29 オムライスに文字を書く

 バイトが終わったので帰宅。

 ここまで緊張しながら我が家に帰ったことはない。


 玄関の前で立ち尽くし、深々とため息を吐いたあと、俺は思い切って扉を開ける。


「ただいま」

「――おかえり!」


 ひょこっとリビング手前のキッチンのほうから、妹のルカが覗いてきた。予想よりご機嫌な反応でびっくりする。ついで、「おかえりなさいタクヤ殿!」とセシリアも同じように顔だけ覗かせるもんで、俺はさらに困惑した。

 えっと……全てを話す腹積りだったんだが……。


「にいが戸惑ってる」

「うるせえ」


 プクク、と指差して笑ってくるルカにぴしゃりと。

 しかし本当に分からない。てっきりルカとセシリアの間で異世界に関する話があって、その流れで俺のほうまで確認の連絡が飛んできたのだとは思っているが、予想していたのは家族会議のような雰囲気だ。問い詰められたり問い質されたり、質問責めに合うと思っていた。


 そこからこんなに仲良くなれるか?

 肩透かしというか、勘繰ったように二人を見る。


「ほらほら、そろそろご飯が出来るよ!」

「お、おう……」


 自前のエプロンを身につけたルカに背中をぐいぐいと押されてリビングまで通される。火を扱っているはずなのにこんなに余裕があるなんて、セシリアと役割分担して夕食の用意をしていると考えるべきだろう。


「ほら! 椅子座って!」

「……あのさ」


 強引に着席させられ、待たされそうだったので、先に一つ気になったこと。ルカを呼び止めて手招きし、服の裾をつまんで確認する。


「なんでお前セシリアの服着てんの……?」


 前述の通りエプロンがあるので一見その変化は分かりにくいんだけど、その服、セシリアのやつだよな? こう、言っちゃ悪いがセシリアの体型にあったサイズの服だから、お前が着てるとちょっとちんちくりんな感じがする。実兄フィルターは多大にあるが。


 俺としては純粋な気持ちで指摘したのだが、


「〜〜〜っ、うるさい!」


 ぼふんっと赤面した顔で叱られてしまった。

 どうやら触れちゃいけなかったらしい。


 ぴゅーんと逃げ帰るように台所へ戻ると、入れ替わるように今度はおぼんを持ったセシリアがガッシャガッシャと鎧を揺らしながら――って待て待て。


「なんでお前は鎧着てんだ……」


 頭を抱える。何が起きてる……。妙に緊張した様子のセシリアが強張った動きで俺の目の前に皿を置く。

 夕食の内容はオムライスだ。これはルカの得意料理で、時々食べさせてもらう度にクオリティが上がっていっている。

 今日は一段と綺麗にチキンライスを包んでいた。


 セシリアは意を決したように、声を張り上げて宣言する。


「これより! 文字を書かせていただきます!」

「おうおうおうおう待て待て待て」


 なんだこのテンション。なんだこのテンション!?

 マジで、何が始まってるんだ。フラッシュモブくらい理解が出来ない。セシリアは手にケチャップを持ち、俺のために用意されたオムライスに対して文字を書こうと試みてくれているのは分かる。

 だけどなんで鎧姿なの? 困惑。


「せ、セシリア?」

「ちょっと黙ってください」

「あはい……」


 集中しておられる。いやでも見たまんまの女騎士がオムライスに対して文字を書こうとこんな真剣に臨むシチュエーションは、未だかつてどこにもないぞ。


 ……まあ、何かしら、ルカからの入れ知恵があったんだろうとは思っているが……。


 なんというか、娘の気まぐれに振り回される父親のような気分だ。とりあえず付き合うしかない。


「――ちょ、ちょっとルカ殿! 来てください! タクヤ殿はこっち見ないでください」

「なんなんだ……」


 セシリアの手に目元を覆われる。台所に引っ込んでいたはずのルカがこちらにやってくる足音が聴こえる。


「はいはーい」

「これで大丈夫でしょうか……?」

「うーん……これだと『う』じゃなくて『ラ』に見えるけど……ヨシ! 見せちゃいな!」

「はい!」


 再びどたばたとルカがリビングから席を外す足音がする。なんなんだ。本当になんなんだ。


 ワンクッションが挟まれたおかげで妙な緊張感が俺にも芽生えはじめている。こんな訳の分からない状況でドキドキしてきた。誰か一旦説明してほしい。


「タクヤ殿、目を開けてください」


 落ち着いた様子の声でそう促され、俺はゆっくりと目を開ける。

 見下ろした手元にあるオムライスには――。


「ああ……なるほど……」


 納得する。

 確かにこれだと、『ありがとラ』だ。ルカの言っていたことも分かる。

 やや不安そうな筆跡になっていて、迷いながらも最後まで書いてくれたことの伝わる、正真正銘の、セシリアの書いた日本語か。

 サプライズ、なんだろうなと、思った。

 ……………。


「よ、読めますか?」


 押し黙る俺を窺うように、セシリアが心配そうに尋ねてくれる。


「……読める。読めるよ。『ありがとう』だろ?」

「はい! これは感謝の言葉なんですよね!」


 セシリアが胸元で手を合わせて喜ぶ。俺は、なんか、気持ちがぐっちゃで、上手いこと一緒になって喜びにくい。

 それでも、素直にセシリアの気持ちは受け取りたい。感謝の言葉に感謝を重ねるなんておかしな話かもしれないが。


「ありがとう」

「いえいえ! 私のほうこそ、日頃、ありがとうございます! タクヤ殿!」


 見上げたところにいるセシリアと、目を合わせる。ちょっと照れくさくて困る。耐えきれなくなってフッと視線を外して、誤魔化すように話の流れを変える。


「……なに、これはあいつの仕業?」

「んん! 仕業って失礼な。セシリアさんがメッセージを書きたいって言うからあたしが協力してあげたんですぅ」


 廊下から自分とセシリア用のオムライスを持ち込んだルカが唇を尖らせる。どうやら話を聞くと文字書きの話になり、セシリアが「いつか感謝の言葉を書いてみたいんです」とルカに話を振り、ルカが名案!っとばかりにこの機会を用意したそうだ。

 なんか、全身の毛穴が開きそうなくらいむず痒い気分になる話だった。


 とりあえずオムライスの写真は撮る。


「セシリアそれ貸して」


 そして、自分のオムライスにケチャップを掛けようとしたセシリアを止めて、その二つを俺に譲ってもらう。

 これはいままででも度々あったと思うが、俺はやられっぱなしだったり借りを作ったままにするのは気になるタイプだ。やり返し、というと聞こえが悪いが、そういう根性は持っていたりする。

 何が言いたいかと言うとだな。

 ……お前が考えていること、俺が考えていないと思うなよ。


「ほれ」

「……え!?」


 不確かな記憶を頼りにして、俺が覚えている数少ない異世界語の一つ、ありがとうを意味する言葉を書いて返す。セシリアが目を丸くして驚く。


「タクヤ殿いつの間に!?」

「あんだけ時間があって俺はそれしか書けないから、この短期間で日本語を身に付けてるお前は本当にすごいと思うよ」


 この一文、本当は異世界のほうにある、セシリアの宿泊先に置き手紙のように残していたんだがな……と思いつつ。期せずしてもう一度書く機会があって良かった。


「それは褒めてくれるおかげです!」

「お前の地頭だろ」

「いえいえそんなあ」

「褒めすぎたな……」

「夫婦漫才やめてくれます?」

「夫婦じゃねえよやめろバカ」


 ずっと疎外感を感じていたのだろうがめちゃくちゃつまらなそうな表情でジッとこちらのことを見つめるルカを構う。


「あたしのオムライスはケチャップがないなー!」

「自分で書きなさい」

「まあまあ、タクヤ殿、ルカ殿にも書いてあげてください、まあまあ」

「お前らのその妙な連帯感なんなの……??」


 変なスイッチが入っているセシリアに見守られ、渋々とルカのオムライスにも同じ文章を書いてやる。まあ、日頃の感謝はもちろん、異世界人であるセシリアのことをこうやって受け入れてくれている分も。


「やっぱりにいってちょろいよね」

「別にこの上から斜線引いてもいいんだが」

「ウソウソ冗談! やめておにーちゃん」

「おにーちゃん言うな」


 やれやれと首を振って妹にもオムライスを手渡す。

 改めて三人でテーブルを囲み、手を合わせて食事を開始する。

 それは、どこか釈然としないくらい、和やかな食卓風景となった。

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