第6章 第99話

「……あ。扉、鍵かかってるんだっけ」

 黄金の大扉に手をかけた雪風は、そう言って一歩下がった。

 こちらから見て押し開ける形の扉には、その巨大さ荘厳さに似つかわしくないささやかな鍵穴こそあれ、手を置く為の意匠はあってもドアノブ的な可動部は見当たらない。

「ああ、それなら……あ」

 鍵は自分も持っている、それを思い出して服の胸元に手を入れたドルマは、何かに気付いて眉根を寄せる。

 胸元から引き出されたドルマの手にあるのは、見事にへし曲がった、小さな黄金の鍵。どう見ても、これでは鍵穴には入らない。

「うわ……マジか……」

 雪風も、肩を落とす。

――……あの時のエルボーかな……エルボーだろーなー、位置的に……仕方ない、それじゃあ……――

「……よし!」

 落とした肩を、丸めた背中を、雪風はビシッと伸ばす。

「あたしがやらかしたんだから、あたしが落とし前つけますか!」

「え?でも……」

 大扉を前に、大胆な笑顔で見上げる雪風を見て、ドルマは何をどうするつもりなのか、疑問でいっぱいになる。

――確かにユキさんの力は凄いけど、こんな扉相手に、何をどうやって……むしろ、力だけなら……――

「……私の・・力なら、これくらいの扉なら……」

 技は無くとも、単純な力でぶち破るのなら。そう思いそう言おうとしたドルマに、雪風は、

「だーいじょうぶ!まーかせて!」

 ニカッと笑って見せてから、腰に置いた左の掌に握った右手を添える。

「……え?」

 するりと前に、まるで何かを引き抜くように動いた雪風の右手に本当に『何か』が握られているのを見たドルマは、思わず声を上げる。

「ええ?」

 しかし、雪風は意に介さず、抜いた『白木の木刀れえばていん』の切っ先を下に向け、やいばを縦に扉の合わせ目に当て、左手を切っ先の峰に添える。

 大きく息を吸い、吐き、静かにもう一度息を吸って、

「……吧!」

 木刀の切っ先を扉の合わせ目に沿って上に振り抜く。

 気合いと共に発したけい鈍色にびいろの念となって木刀れえばていんから扉の合わせ目に走り、澄んだ金属音と、張りつめたザイルを断ち切ったような音が時間差で聞こえた。

「……の、せっ!」

 振り抜いた右手の木刀れいばていんと共に右に半身を開いた雪風は、比較的ゆっくりしたモーションで左足を上げると、扉の合わせ目に体重の乗った横蹴り――ただし足刀ではなく足裏で――を入れた。

「ええ~?」

 重い音と共にわずかに開いた大扉を見て、ドルマは口を手で押さえて声を上げる。

「……いってぇー!」

 蹴った左足の足裏を押さえながら、雪風も声を上げた。

「なんだこのくっそ重い扉!」

 二、三回、ケンケンした雪風は、

「モーセスさんよく開けたわねこんなの!ったく!だったら!」

 左足を下ろし、右足を引いて腰を落とし目の脇構え――切っ先を右後ろに、相対する者から見えない位置に持って行く構え――に木刀れえばていんを構え直す。

「え?何を……」

 ドルマには、深く呼吸する雪風が何をしようとしているのか、理解が追いつかない。そもそも、直前に何が起こったのかも理解出来ていない。

「……せえい!」

 先ほどより強い念を込めて、雪風は木刀れえばていんを右下から上に振り抜く。鈍色の斬撃が、右の大扉に斜めに走る。

「せやっ!」

 振り上げたところで一息吸った雪風は、気合い一閃、左の大扉に向けて木刀れえばていんを振り下ろす。鈍色の太刀筋が、左右の扉に二等辺三角形の痕跡を残す。

「……はっ!」

 振り下ろした木刀れえばていんを中段の霞――左手を正中ではなく右に移す――に構え直し、そこからいっぱいに体に引きつけると、雪風は一歩踏み込んで、体重の乗った低い突きを扉の合わせ目に放つ。

 重い鐘を突くような音と共に、まるで二つの三角定規のような大扉の断片が、地響きを上げて向こうの小堂に倒れ込んだ。

「……えええ~?」

 口を押さえ、目を剥いて身を乗り出して、ドルマは大声を上げた。


 姿勢を正し、木刀れえばていんを血振りした雪風は、鞘があるてい木刀れえばていんを納刀する。左手の中に、魔法のように木刀れえばていんが消えてゆく。

 大きく一度深呼吸し、雪風はドルマに振り返り、どや、と笑いかける。

「……」

 唖然を絵に描いたようだったドルマは、雪風のドヤ顔を見て、苦笑し、肩をすくめる。

「……何がどうなってるのか分からないけど。一つ分かったことがあるわ……ユキさん、あなた、そんな奥の手を隠してたのね……何故、私に使わなかったの?」

「何故って、そりゃあ……」

 雪風は、屈託の無い顔で、言う。

「……ドルマさん、殴る蹴るなら大丈夫そうなのは分かってたけど、斬ったらどうなるか分からなかったし、傷つけたいわけじゃなかったから」

「……まったく……」

 ドルマは、ため息をつく。

「完敗だわ。私は必死だったのに、ユキさんはそんなに手を抜いてたなんて。もう、悔しい!」

 少しだけおどけて、ドルマは言う。素直に悔しいと口に出せた自分に、自分で少し驚き、そしてそれを嬉しく感じながら。

「ま、自慢じゃないけど、実戦経験が違いますから」

 雪風も、その優しげな垂れ目を細めて、言う。

「でも、ドルマさんだって凄いですよ。まるで素人なのに、あたし相手にあれだけ出来る人って、まず居ないですよ?ドルマさん、本格的に格闘技習ったらきっとものすごく強くなりますよ」

 そう言ってから、雪風は悪そうにニヤリとする。

「その上で、ドルマさん自身の体の使い方を覚えて。それでも、あたしとやり合うには百年早いですけどね」

「百年?」

 ずいぶん大きく出たなと、ドルマも眉間に皺を寄せるフリをして、聞き返した。

「今って、確か1936年でしたよね?あたしが確実に約束出来る、次に会える機会って、大体百年後ですから」

「え?……あ」

 ドルマは、その言葉の意味に気付く。

 ドルマが気付いた事を理解したのだろう雪風は、頷いて、続ける。

「あたしの知ってる範囲で、ドルマさんみたいなタイプって、長生きしてるから。その頃でも、会えるかなって」

 雪風は、左の腰のホルスターからM1917を右手で抜き、ラッチを親指で引き、シリンダーに添えた左手の中指と薬指で押してスイングアウトする。

「会えるなら、会いたいなって」

 銃口を下に向けたまま左手の親指でエジェクターロッドを押し、浮いた薬莢ケースのうち発砲済みの三発を抜き取る。最初からシリンダーの回転方向に合わせて薬莢ケースの位置を調整しておいたから、ハーフムーンクリップ一個分三発、計算通りに抜き取れる。

 抜き取った撃ちガラをスカートの左ポケットに入れて、雪風は代わりに新しい未発火の薬莢ケースのセットされたクリップを取り出し、シリンダーにセットする。

「会ってくれます?百年後に」

 再度、薬莢ケースの位置を合わせながらシリンダーを戻した雪風は、M1917をホルスターに戻してから、視線をドルマに戻した。

 その目を見返し、見つめながら、ドルマは頷く。

「是非。その時には、きっと色々お礼もしなくちゃだし」

「じゃあ、決まり。問題はさっさと片付けて、あたしはスッキリしてここをサヨナラして、百年後を待ちます」

 雪風は、目で、ドルマに振る。

「私は、百年後、お礼を言いに、ユキさんに会いに行く。だから」

 ドルマは、強い目力で雪風に答えながら、言った。

「私は私の問題を解決して、私として、これからの百年を生きてみせます。出来るなら……いいえ、きっと、ペーター様と一緒に」

「そう来なくっちゃ!」

 満面の笑みで、雪風も頷く。

「じゃあ、急いで下、行きましょ!」


「確認なのですが、ミスタ・グース」

 ニーマントが、『控えの間』の出口側、『接見の間』に続く側の大扉の鍵を開けようとするモーセスに声をかけた。

「何でしょうか?」

 手を止めて振り向いたモーセスに、ニーマントが聞く。

「この扉の向こう、階段を上った先の小堂に、恐らくは高い官位を持つ『同胞団員ブラザー』が9人、さらにその先、『儀式の間』でしたか、その前の小堂にも同様に9人。そこから先は私には分からないのですが、少なくともそれだけの人数が待っている、これは、通常対応ですか?それとも、我々が来た事による緊急対応なのでしょうか?」

「……なるほど、ニーマントさんには、そこまで分かるのですね」

 感心したように、モーセスは答える。

「ご心配なく、と言うべきかどうかは分かりませんが、人数は通常の配置のそれと違いありません。ですが……」

「我々が来ている事は当然知っている、そう思うべきでしょう」

 オーガストが、モーセスの言いたいことを代弁し、モーセスは頷く。

「だとしても、前進あるのみ、よね?ユキがここに居ないのは残念だけど、いざとなれば、あたしだって……」

「いえ、まずは拙僧にお任せください。」

 左腰の銃剣バヨネットに手を置いて言うユモを、モーセスはやんわりと押し留める。

「なるべく、荒事にしたくはありません。この先に居るのは、先ほどお話しした、既に脳を交換した『光の使徒第三階位』以上の者になりますが、そうであっても、傷つける事はしたくはありません」

「別に、物理的に傷つけるつもりは無いけど。いいわ、まずはあんたが説得する、そこは任せるわ」

 モーセスは、ユモに一礼、会釈し、改めて大扉の錠を解錠する。

 再び満身の力で大扉を押し開けたモーセスは、正面の階段を見て、言った。

「では、参りましょう。お勤めを、果たすために」

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