第6章 第91話
「そう考えるほかに、拙僧には説明が付けられないのです」
真顔で、モーセス・グースは力説する。
「繰り返しますが、拙僧は、オリジナルのモーセス・グースの、考えられる限り完璧なコピーとして、『
「……気が、触れる?」
「そうです」
確認するように聞くオーガストに、モーセスが頷く。
「モーリーさんもお気づきでしょうが、たとえ脳を肉体から切り離したとしても、宇宙的真理、深淵の神秘は人の手に、いや脳には荷が勝ちすぎています。遅かれ早かれ、深淵に触れすぎれば、人の脳はその負荷に耐えきれなくなります。オリジナルは、その事に早くから気付いていました。そして、自分の脳を体から切り離し、代わりに拙僧をその体に納めた後に、拙僧に遺言したのです。自分は、いずれ話すことも出来なくなるだろうから、それまでに可能な限り、自分の得た真理を拙僧に伝えよう、自分がしゃべらなくなったら、それが限界点だから、それ以上は探究しようとしてはならぬ、と。そして、こうも言ったのです」
モーセスは、一瞬、目を伏せる。
「
モーセスは、深呼吸する、一度だけ、ゆっくりと、深く。
「……キリスト教徒としては、自殺は許されない行為です。ですが、この場合はどうなるのか、拙僧は未だに答えが出ていません。その答えを得た時が、つまり、『その時』なのではないか、そうも思うのです」
「……なんか、似たようなの、知ってる」
雪風が、ぼそりと呟く。
「即身仏だか即身成仏だか。断食して座禅組んで、念仏唱えながらミイラになって仏になるって。物理的に体は残ってるけど、仏になるって事は体に意味は無いって事ですよね?」
即身仏はそれ自体が物理的な仏として扱われ、即身成仏は人が生きたまま仏になるという概念であり、どちらも肉体を捨てる、離れるという意味を持たない点で雪風の理解は割と間違っている、主に衛生上の理由による火葬によって肉体が消滅することと仏教概念が混同してしまっているのだが、ユモは雪風の言いたいことを読み取り、言う。
「
ユモは、雪風と目配せしてから、モーセスを見て、微笑む。
「不思議よね。教義の違う宗教であっても、概念として共通する部分があるってのは」
「ユモさん、お言葉ですが、私は不思議とは思いません」
ニーマントが、ユモの胸元から、言う。
「人間は、思想や肌の色は様々ですが、結局のところ、人間という一つの種族、一つのグループ、一つの概念に過ぎません。宇宙的規模の文化や種族の概念の広がりからすれば、それはほんのささやかな、ごくわずかなノイズに過ぎないのでは?」
ニーマントの視点に、一同は虚を突かれ、言葉を失う。
「……なるほど……」
オーガストが、顎に手を当てて、考える。
「なんとも、自分が小さく思えてしまいます。いや、人類が、でしょうか」
「然り」
モーセスも、頷く。
「しかし、それであっても、近しい者を大事にするのもまた、人の
目を伏せ、胸の前で右の拳を握ったモーセスが、かっと目を開いて、言う。
「であるからこそ!拙僧は、ドルマとケシュカル君を救いたい、苦しみから開放したいのです!その為に、拙僧はこれから
モーセスは、一同を見まわす。
「改めて、どうか、拙僧に皆様のお力をお貸しいただきたい。拙僧、伏してお願い申し上げます」
「……手伝うのは構わないわ」
「どのみち、ケシュカル君の事は気になるし」
ユモと雪風が、モーセスに答える。
「私ごときが、何かお力になれるのでしたら」
オーガストも、火の付いていないパイプを咥え、言う。
「私は、何のお力にも慣れそうにありませんが」
「ハナから期待しちゃいないわ」
「帰りのタイミングと行き先だけ間違わなけりゃいいですよ、ニーマントさんは」
ニーマントの呟きに、ユモは毒づき、雪風はフォローする。
モーセスは、微笑む。頼もしい、心強い、と。
そして、こんな気持ちになったのは初めてだ、とも。
さらには。
『モーセス・グース』のコピーである自分が、自分の気持ちなどを気にしたのも、初めてだ、と。
「手伝うのは、構わないんだけど」
ユモは、モーセスの傍らから、モーセスを見上げて、聞く。
「何故、あたし達に手伝わせたいの?」
ユモの
「あたし達は
「……誰かに、見ていてほしかったのです」
モーセスは、ユモを見下ろし、そしてその視線を雪風とオーガストに向けて、言う。
「恐らくは、拙僧が、
改めて、モーセスはユモに目を向け、笑う。
「拙僧の、わがままです。本当に、拙僧はまだまだ修行が足りません」
「……いいんじゃない?」
ユモは、笑い返して、言う。
「そういうの、あたし、好きよ。人間くさくて」
「光栄です」
モーセスは、軽く会釈する。
「……じゃ、行きましょうか?」
ユモが、全員に声をかける。
「あたしは、いつでも良いわよ」
雪風が、即答する。
「私も、いいですよ」
オーガストも、パイプを懐に仕舞って、答える。
「私は……」
「あんたは、いいから黙ってついてらっしゃい」
「……はい」
何か言おうとしたニーマントを、ユモが黙らせる。
「お世話をかけます」
手を合わせ、モーセスが
「……そうでした、言っておくべき事がまだありました」
歩き出そうとしたモーセスが、ふと、言う。
「少し前ですが、『元君』もここにいらっしゃいました。そして、拙僧に『行くのか?』と問われました。もちろん、拙僧は『是』と答えました」
「……それって……」
眉根を寄せて、ユモが問う。
「『元君』は、悪意で何かをする事は有り得ませんが、逆に言えば意図が見えない事も多いです。ですので……」
振り向いて、モーセスが言う。
「……悪気なく、『元君』は王子に伝えている可能性が高いと、拙僧は思って居ます」
「ああ……」
「……うん。まあ、あの人なら、やりそう」
ユモと雪風は、明らかにテンションの落ちた声で、答えた。
「という事は、
「何事につけ、状況は期待ではなく最悪を想定すべし。そう思った方が良さそうですね」
ニーマントの問いに、軍人のオーガストが心構えを含めて答える。
「まあ、とはいえ、だからといって、銃口の
「ですって。
オーガストの結論に、ユモはニヤニヤして雪風に言う。
「な~によ?あたしが暴力一辺倒みたいに言うの止めてくれる?」
「あいた」
即座にユモにヘッドロックを決めて拳骨でこめかみをゴリゴリしながら、雪風が反論する。
「これのどこが暴力じゃないってのよ!」
「やあね、親愛の情よ」
「なるほど、勉強になります」
「だから!ニーマント!あんたねぇ!」
「さ、余禄はこれくらいにして、行きましょう」
ユモを小脇に抱えたまま、雪風はそうモーセスとオーガストに言う。
顔を見合わせ、大人二人は苦笑して肩をすくめた。
寺院から宮殿までは回廊経由で100メートルほど、施設としては隣り合っている。
夜半を回っていることもあり、生活時間帯が地上から半日ほどずれているこの『都』においても、回廊で誰かとすれ違うことはなく、一同は何の問題もなく宮殿の入り口に到着した。
宮殿の第一階層は
第三階層は、王子、
それぞれの階層は外階段でつながり、外階段は大扉の前の小ホールに開口している。
一同は、その外階段から、第三階層の小ホールに降り、施錠された大扉の前に到着した。
どうした事か、表門の左右に二人ずつ居るはずの門番の下男が居ないが、その事に気付いたのは普段ここに門番がいる事を知るモーセスのみ、彼の後ろに居た一同は、その微妙な表情の変化に気付く
一同に無言で目配せしてから、モーセスは懐から黄金の鍵を取り出した。その鍵を、モーセスは大扉――黄金でこそないが、雪風でさえ素材に見当のつかない金属の扉――の鍵穴に差し込み、回す。
カチリと、小さく、しかし確かな音がして、モーセスは鍵を引き抜き、ドアノブに手をかける。
もう一度、モーセスは一同に目配せしてから、観音開きの扉を両手で開く。
扉の向こうは、幅10メートルはあろうかという通廊で、その奥行きは40メートル程。他の階層、他の区画の構造同様の標準的な大きさ、高さの階層であり、しかし左右の、回廊の壁の向こうが果たして岩盤なのか、部屋があるのかは、明確な扉が見当たらないのではっきりしない。
その通廊の突き当たりには黄金の大扉があり。
その大扉の前には、高級だが派手ではない
「……
ドルマの、感情を押し殺し、しかしそれでもわずかに震える声が、通廊に響いた。
※20240914:第4章 第62話の描写とちょっと不整合があったので、修正しました。
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