選択の責任


 小屋の扉の前まで到着すると、旦那様は抱えていた私を降ろして扉のすぐ側のプランターの裏に手を伸ばした。


「あった」

 そこから取り出したのは小さな鍵。

 旦那様はそれを扉の鍵穴へと差し込み、扉を開けた。


「なぜ鍵の場所を?」

「山の管理小屋は遭難者のためにも比較的わかりやすい場所に鍵を置いてたりするからな。雨が止むまでここで雨宿りしよう。幸い、山小屋には非常食もあるだろうから、一晩くらい問題ないだろう」

 私が旦那様に手を引かれるがままに山小屋の中へと足を踏み入れた瞬間──。

 ドゴォォォォン!!

 大きな音とともに走る稲光で、それまで真っ暗だった室内が一瞬明るく照らされた。


 その一瞬で見えたのは、木のテーブルに椅子、それに中央奥に暖炉。

 暖炉の側には薪も用意されている。

 これなら朝まで凌げそうだ。


「確かこの辺りに見えたんだが……」

 旦那様はすぐに暖炉の上の飾り棚を手探りで探ると、何かを握りしめ、それを左手で掴んだ薪へカチンと打ちつけた。

 するとシュボッと小さな火の粉が上がり、たちまち炎が燃え広がった。


 旦那様の手に握られているものを見て「魔石?」と声をあげる。

「あぁ、暖炉用、だろうな」

 答えながら旦那様は、炎を纏った薪を暖炉の中へと放り投げ、薪を次から次へと投げ入れた。

 だんだんと暖炉の炎が燃え広がり、暖かな空気が部屋全体に行き渡り、冷え切った身体に染みていく。


「っくしゅんっ!!」

 ぶるりと震えてくしゃみをすると、旦那様は私をじろりと見下ろしてから一言「脱げ」と言った。

「はぁっ!?」

 いきなり何言ってんのこの人!?


 突然の爆弾発言に表情を強張らせて旦那様を見上げると、

「ち、違うからな!? 濡れたままでは風邪を引くからで……!! っ、とにかく、ドレスを脱いで暖炉の前でこれにくるまっていろ!!」

 そう言って真っ赤な顔で私の方へと側にあった毛布を投げよこし、私を見ないようにと後ろを向く。

 まったく、律儀な方だ。


 いつまでもそうしていても本当に風邪をひいてしまうので、私は手早くドレスを脱ぎ、毛布を身体に巻きつけると、濡れたドレスと旦那様が被せてくれた彼のジャケットを近くの椅子に干してから暖炉の前へと移動させた。


「あの、もう、こっち向いても大丈夫ですから、旦那様も暖炉で暖まってください」

 旦那様も濡れているのだから、このままにしていると風邪を引きかねない。

「だが……」

「私にとっても、そして領民にとっても大事なお身体なんです!! ちゃんと暖まってください!!」

 私が強く言葉を投げ掛ければ、旦那様は渋々と言った様子で「……わかった」と呟くと、ゆっくりと私の隣に歩み寄って暖炉の前に座った。


「……」

「……」


 思い沈黙がおりて、小屋の中にはパチパチと薪が焼ける音だけが響く。

 気まずい。

 この状況で一体何を話せばいいのか。

 私が話題を作ろうと考えていると、「すまなかったな」と小さな謝罪の言葉が発せられた。


「へ?」

 一体何を謝られたのかわからずに間抜けな声が漏れてしまった。

「……親子の縁を、切らせる形になってしまった」

「ぁ……」

 

 その事……。

 確かに、フレッツェル伯爵家との縁を切ってしまった。

 それどころか、お父様は怒って刺客まで送りつけてきた。

 修復はできないだろう。

 でも──。


「旦那様。それは旦那様のせいではありません。旦那様は私を守ってくださっただけ。お父様を、お母様を、妹を、フレッツェル伯爵家を捨てたのは、紛れもなく私です。私が自分で考え、選択したものです。責任は私にあり、あなたにはない」


 旦那様は私に、考えるきっかけをくれただけなのだから。

 謝ることなど何もない。


「だが──」

「私には後悔はありません。だって、私には私を守ってくれる素敵な家族が、もう側に居てくれるんですもの」

 そう言って旦那様を見上げれば、暖炉の炎が映り込んだ翡翠色の瞳がゆらりと揺れた。


「家族、か……」

「はい」

 

 二人並んで暖炉の炎に視線を移し、またしばらく薪が焼ける音に耳を傾ける。

 この世界で誰かと一緒にいてこんなに心穏やかでいられる日が来るなんて、思わなかった。

 親の言う相手と結婚し、罵倒されながら家のために尽くし、心を殺して生きていくのだろうと、諦めていた。

 私はきっと、幸せ者だ。

 こんなにも優しい旦那様に娶っていただけたんだから。


「ぁ!! そういえば手話、通じてよかったです!!」

 私は先ほどの賊との戦闘でのことを思い出して、やや興奮気味に旦那様に声をかける。


「あ? あぁ。お前に習うレイ達を見ていたからな。基本的な手の動きならわかるようになった。あれは便利だな。敵意に意図を気づかれることなく合図を出すことができる。だが……手話、と言うものはどの本にも載っていない。一体あんな暗号、どこで?」

「へ!? あー……えっと……」


 暗号じゃないし本来敵に気づかれないように暗号を送るようなことには使わないんだけれども。

 何て説明すれば……。


「そういえば、さっきも前世がどうのと、素晴らしい投げ技を披露していたが?」


 積んだ……!!


「え、えっと、それは、ですね?」

 だめだ、逃げ道がない。

 残念ながら、誤魔化しきるだけのスキルが私には備わっていなかった。

 私が頭を抱えていると、隣から小さなため息が降り落ちた。


「俺は、そんなに信用ならないか?」

「っ……!!」


 信用、という言葉があるならば、この人は今の私にとって最も信用できる、そして信頼できる人だ。

 形式上の夫であり、形式上の家族だけれど、何より今、この人は真っ直ぐに私と向き合ってくれている。

 なら私も──。

 この、たった一人の家族と向き合いたい……!!


「旦那様、……お話、聞いてくれますか? 少し──長くなるかもしれませんが」


「構わない。時間は、いくらでもある」


 雨はまだまだ止みそうな気配はなく、激しい音を立てて小屋の屋根へと降り注いでいる。

 きっと今が、全てを話すきっかけになるのだろう。


 私は真っ直ぐに旦那様を見上げて、口を開いた。

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