03:他人の馴れ初めなんて語ってる場合じゃないよね
十九年前 一九九九年五月
『いつも悪いわね、こんなことお願いしちゃって』
電話の相手は我が株式会社
「いやいや、夕香大明神のピンチとあらば粉骨砕身の覚悟でコトに臨むが忠義というもの」
もちろん冗談だが、あながち冗談でもない感じが我ながら恐ろしい。
頭が上がらない人物なんてのは、それはもうおれ程度の人間からしてみれば山ほどいる訳で、その中でも我が最愛の妻、涼子さんと並んで頂点に立つ御方なのだ、夕香大明神は。
『冗談飛ばせるくらい暇ってことね、それは』
「泣けてくるほどに」
みふゆのお迎えの時間まではまだかなり時間がある。これからEDITIONにでも行って何か雑用でも仕事探しに行こうかと思っていたほどだし、それが何日続くか判らない状況だ。今日、今からの仕事ではないとはいえ夕香からの仕事の依頼が来たのは僥倖だった。
『じゃあ悪いけど宜しくお願いね』
「了ぉ解っ。で、頭は?」
夕香からの仕事の依頼は、中央公園で行われるライブイベントのローディーだ。規模は小さいが形式的には先日
『ワルタ』
「ワルタかぁ。確かにまだちょっと不安はある、か……」
ワルタというのはもちろんあだ名で、本当は
暴走族時代から
今では真佐人の弟分で、真佐人に次いで仕事もしっかり覚えてきている。基本的にはまっすぐで真面目に仕事をこなす奴なのだが、元ヤン根性が今でも残っていて、かっとなるとすぐ喧嘩になってしまうのが悩みの種だ。
夕香としても若者を育てたい気持ちから、最近は少しずつ責任のある仕事もやらせているらしいのだけれど、染み付いた元ヤン根性は中々簡単にはなくならないものなのだよ。
『そうなのよ。でもあの子も
つまり、現場監督の監督という仕事も追加される訳だ。今までもなかったことではない。むしろ真佐人との仕事以外は大体こうだ。ワルタとは何度となく仕事をしているし、おれはワルタを気に入っている。だが。
「パワハラじみてんだよなぁ」
おれや諒を神様か何かだと思っているのか、というくらい崇拝してくるのは、ちょっとうざい。まぁだけど、おれ達の時代だって一つ年上は神様みたいな上下関係だったから、特にそうした仕来たりが厳しい暴走族の世界で揉まれてきたワルタの気持ちは解らなくもない。
最近はいくらかそれもナリを潜めつつはある。それにこの仕事に就くきっかけになった、しょうもない自分を拾ってくれた諒や夕香に対して恩義があるのは判る。だが、正直おれはまるっきりそれには関わっていないし、ぶっちゃけ何の関係もない。
『そんなことないわよ。バイト代、ちょっと弾むからさ』
「や、それはいい。職長はワルタなんだから、弾むならそっちに宜しく!」
おれはそう言ってく、と誰も見ていないのを判っていながらサムズアップ。
『相変わらず無欲よねぇ、貴ちゃんって』
「夕香様に貢献、という風に取ってはもらえないのだろうか」
勿論半分は冗談だが、おれのような出涸らしに弾む金があるのなら将来有望な若者に投資した方が良いに決まっている。それにおれは金が欲しくてアルバイトをしている訳ではない。や、最低限のお賃金は、それは頂きたいものだけれどもね。
『判ってるわよ、もちろん。後進の育成でしょ』
「その通り!」
それだって行く行くは夕香の利になるはずだし。責任からも自分からも背を向けている人間になんて、と言うには少し自虐がすぎるな。いかんいかん。
『……隠居するにはまだ早いわよ』
嘆息混じりに言う夕香の言葉にも気遣いを感じる。
「そいつは判っちゃいるんですがねぇ……」
済まんね、歯切れが悪くて。
『ま、何にしても貴ちゃん本人が決めることだからね』
「……甘えさせてもらっちゃって悪いね」
もう少しだけ、時間貰うよ。
『ま、あたしはイロイロ助かってるからいいけど。それじゃ宜しく頼むわね』
これ以上の言及が時間の無駄だと夕香も判ってくれているのだろう。切り替えたように夕香は言った。
「あらほらさっさー」
仕事が入ったのはありがたいことだが、結局今日はお迎えの時間までは暇なままか。EDITIONのスタジオ清掃でもしに行きましょうかね。
一九九九年五月
七本槍市 七本槍中央公園 野外音楽堂
朝八時。中央公園にて、一番に顔を会わせたのはやっぱりワルタだった。今日もオールバックがバッチリ決まってるなぁ。まだ就職したての頃はリーゼントだったけれど、流石に卒業してオールバックに落ち着いたみたいだ。
「貴さん!ざっす!」
ワルタには右目の上の眉毛の端から目尻にかけて、縦に縫った傷痕がある。こいつがまた迫があるのだが、この傷は小学生の時にジャングルジムから落ちてできた傷だそうなので、大いなる誤解を生む傷痕なのがなんだか笑っちゃうぜという感じで、やっぱりおれはワルタが好きだ。
「おーぅワルタ、久しぶりだな!元気か?」
「有り余ってるっす!今日は宜しくお願いしまっす!」
ばきぃ!とでも擬音が付きそうな会釈をするワルタにおれはぴょこと手を上げた。
「こちらこそ」
「あ、貴さん、おはようございます」
「お、なんだ
普段は主にGRAMの事務職をやっている
「ワルタさんだけだと不安だったので本当に助かります」
そしてこの玲香、見た目はかなり、いや相当に美人なのだが、ヤバイくらい沈着冷静な子で、直情的なワルタとはとことん相性が悪い。夕香め、これを見越しておれに依頼してきたんだな。
「なんだと玲香てめえ!」
まったく、自分より年下の女の子になんて言葉遣いをしやがる。人様の事などとんと言えたもんじゃないが、モテない男のテンプレートを地で行ってるぞ、ワルタ。
「こらぁワルタァ!女の子にてめえなんて言うもんじゃねぇズラ!」
「す、すんませんっす!」
おれじゃなく玲香に謝りなさい。
「ズラ……」
あまり角が立たないようにおちゃらけてつけた語尾が気になったのかな。思わず鸚鵡返しにしちゃったらしい玲香が、咳払いを一つ。
「んんっ、貴さんの仰る通りです」
玲香は玲香で一つもびびってない上に全く可愛げがない。見た目は美人なんだからその辺は少しだけでも取り繕うと、モテるんじゃないのかねぇ。ま、余計なお世話か。
「ぐぬぅ、玲香ぁ!」
や、まぁ判るよ。でもおれらみたいな人種は玲香みたいなのには絶対に勝てないからな。
「ま、まぁまぁ玲香もちょっとオブラートに包もうな、言葉」
別にワルタを嫌って言っている訳でもないのだ、これが。単純に不安要素があって、仕事がスムーズに流れないことを心配しているだけで、悪気はない。
「駄目なところは駄目とはっきり言わないと伝わらないじゃないですか」
「や、まぁ、そらそうだけどさ、まだ本格的に始まってもない内からわざわざ言わなくても、な」
おれもこういう冷静で頭脳派な女の子はちょっと苦手だが、玲香を嫌っている訳ではない。こう見えて屋台に出ているベビーカステラが大好きという可愛い一面もある。今日は屋台出ててラッキーだったわ。後で山ほど買っとこう。
「えぇー!貴さんもオレがダメだと思ってたんすかぁ!」
しまった、ワルタのフォローもしとくんだった。でもまぁワルタも本気で怒っている訳ではないし、もう少し煽ってやるか。
「や、おれは思ってるけど口には出してないよ」
「出したも同然っすぅ!」
漫画だったら、背後にガビーンとでも擬音が付きそうな表情でおれを見る。本当に面白い奴だ。
「ははは、悪ぃ悪ぃ、冗談だって!ちゃんときっちりやりきって認めさせてやろうぜ!」
端から見てる分にはこの二人、超面白いんだけどな。今日はおれもスタッフだ。円滑に事が進むようにしてやんないと。
「うっす!見てろよ玲香ぁ!」
右腕で
「……メガネ割れろ」
玲香はワルタを呪った!
「メガネしてねぇよ!」
目ん玉も飛び出さんばかりの表情でワルタは返したけれど、玲香ときたらどこ吹く風だ。
「玲香さん……」
機材搬入と設営もある程度終えて、昼休憩。天候にも恵まれた野外音楽堂の客席にはまだまだスタッフが多く、各々が用意した昼飯を広げている。
リハーサルは十三時半からだ。気の早いバンドはそろそろ顔を出し始める頃かな。
おれは愛妻弁当をありがたく頂くために、客席の一番奥まった場所に設置した我がGRAMのテントへと向かう。テントと言っても学校の運動会とかで先生方が陣取るアレね。
「貴さん、お疲れさまっす!」
テントの下に入るとワルタが声をかけてきた。ワルタはこれから昼飯調達かな。
「お疲れー。中々順調だな」
「うっす!」
ヤンキー独特の顎を出すような相槌でワルタは嬉しそうに言う。少し見ない間に、色々と気が付くようになっていて成長が伺える。やっぱり根が真面目なんだよなぁ、ワルタは。頼もしいことだよ。
「貴さんいてくれて心底助かってます」
横からノートに何やら色々と書き込んでいた玲香が悪びれもせずに涼しい顔で言う。
「ワルタが頑張ってんの!」
苦笑しつつおれは言う。本当の事だ。おれはワルタに指示は出さなかったし、ワルタの指示通りに動いただけだ。
「認めたくないです」
自分自身の?若さ故の?過ちとやらを?
「!」
ほら見なさい、ワルタがまともにショックを受けているじゃないか。
「玲香さん……」
「冗談です」
ぺろっと舌を出して玲香は笑った。ほう、年相応の可愛らしい笑顔じゃないか。
「おぉ、玲香もそんな可愛い顔すんだな!」
何だよショックだったんじゃないのかよ。玲香もちょっと赤面してるよ。可愛いかよ。や、可愛いけど。
「セィクハラー……」
「何でだよ!つーかその発音……」
ははーん、おじさん判っちゃったぞ。もしかして玲香ちゃんってば、実はワルタに惚の字なんじゃないの?
「貴さんは今日も愛妻弁当ですか?」
熱くなっちゃったのだろう頬に手を当てながら玲香は訪ねてきた。良いね良いね中々可愛いところもあるじゃないですか。
「もっちろん!玲香は?」
ここで茶化してしまうと本格的にセクハラ認定されて嫌われかねないから、ちゃんと答えておこう。知らぬが仏に祟りなし、って言うじゃない。
「私はラーメン食べたいです」
「ラーメン!いいねぇおれも大好き!玲香は何系が好き?」
良いですねぇラーメン。おれもちょっとワルタと同じく頭脳派美人に苦手意識が先に立っちゃってたけど、益々好感度上がっちゃうねぇ。
「あっさりでもこってりでも、背脂でも、魚介でも、家系でも、豚骨でも味噌でも塩でも醤油でも、細麺でも中太麺でも太麺でも」
「何でもか!おれも!」
丁度良いことにこの街にはラーメン屋が多い。ちょっとした激戦区にもなっているほどだ。
「どこか美味しいとこ知りません?」
まぁ、そう来るよね。でも困ったなぁ。おれの好きが、玲香の好きと合うとは限らない。
「知ってるけど、おれ馬鹿舌だから信用されても困るんだよなぁ」
「馬鹿舌?」
「あー、何でもうまい、って言っちゃうんだよ」
別に喧嘩とかにはならないけれど、張り合いがないって良く涼子にも言われている。けど、旨いもんは旨いんだから仕方がない。
昨日のアレあんま美味しくなかったからもう作んないでね、とか言う奴の方がよっぽどアタオカかと思うけれど、問題は頻度と程度と伝え方であって、更に言うなら隣の芝生でもあろうから、おれのコレもまた絶対正義だなんて思っちゃいないけど。
「まぁでも涼子さんの手料理ならなんでも美味しいでしょうしね。ご馳走様です」
「曲解!」
玲香はGRAMの社員だ。普段はここ、七本槍市ではなく新宿の事務所に通勤している。でも時々用があって提携会社でもあるEDITIONにも訪れるし、その時は涼子の店にも来てくれている。玲香自身も、何食べても美味しいって言ってたくせに!
「冗談です。今日は背脂系が良いです」
「背脂かぁ……。ワルタ」
中々見た目に反してダイナミックな子だ。勝手な見た目からの印象だと、脂っこいのは苦手、あっさり透き通ったスープの醤油ラーメンが好き、みたいな印象だけど、人は見た目に依らないものだなぁ。
「あっす!」
「ワルタは背脂系なら武蔵坊と波動、どっちが好き?」
武蔵坊は超有名店から暖簾分けした店で、濃厚豚骨スープに醤油ダレ、中太麺の、ディスイズな背脂ちゃっちゃ系ラーメンだ。
対する波動はあっさり目のスープに細い縮れ麺で、コク出しで背脂を入れているラーメン。おれは味噌ラーメンを食べたい時は波動に行き、背脂醤油を食べたい時は武蔵坊に行くことが多い。
「醤油なら武蔵坊で、味噌なら波動っすねー」
おぉ、ワルタも同じか。だとするとおれのチョイスが一般的なのか、ワルタも馬鹿舌なのかのどちらかだ。
「あー、おれと一緒だな。玲香、ワルタは馬鹿舌かもしれん」
「舌だけ?……いえ、何でもないです」
言わなくて良いことを言っちゃうのも、ワルタの気を惹きたいのかな、とかちょっと邪推しちゃうな。いかん、なんかおっちゃんニヤニヤしちゃいそう。
「おめー聞こえてっかんな!」
「ワルタさん今日はどっちの気分ですか?」
ワルタの言うことを完全に無視して玲香は言った。
「あ?今日はオレ、ラーメンの腹じゃねえけど」
馬鹿ワルタめ、そこは玲香と一緒にゴハンするチャンスじゃないか。って別にワルタが玲香のことなんとも思ってなければこれが普通か。ていうかむしろ苦手意識の方が強いか。
「そんなことは訊いていません」
この可愛げの無さよ……。別に玲香もワルタのことなんてなんとも思ってないのかもしれないな。おっちゃん余計なこと口走らなくて良かったぜ。
「……まぁ強いて言うなら武蔵坊」
「じゃあそこに行きたいので案内してください」
「言うと思ったよ!」
つまりそれは、案内だけさせて玲香はラーメン、ワルタは自分が食べたいものを、ということになるのかな。玲香ならそれも充分有り得そうた。
「ではすみません貴さん、ほんの少しの間だけなので、お留守番、できますか?」
「何かちいちゃい子に言うようなそれ、辞めていただけると……」
おっちゃん、あと三年もしたら三〇歳なんですが。
「行ってきます」
まぁ可愛げのない娘だこと。
二〇一八年八月二〇日
「若いスタッフの裏監督、ってことですね、それは」
「ま、そういうこったね。表向きは普通にバイトとしてやってたけど」
後進の育成、という御大層な大義名分はおれが持っていた訳ではなく、EDITIONの社長である夕香の意向だ。もちろんおれも当時のワルタには早く一人前になって欲しいって思ってはいたけれど、おれが一つの現場に関わってすぐにワルタが一人前になる訳じゃあない。昔を思い出しながらも思ったことだけど、当人がこれから進んで行く道を何年か前に歩いている人間として、接するべきところはしっかりと愛情をもって接することで、自分もまた一つ成長できたような気にもなっていた。
「そういえば一度来られたことありましたね、ワルタさん」
「静かに飲むのが苦手な奴だからね、すまん……」
連れてきたは良いが、明らかに退屈そうにしていたので、早々に別の店に移ってしまったことがある。
「いえいえ。それでその玲香さんとはどうなったんですか?」
「結婚したよ」
もう四年位になるか。それはそれは大変なゴタゴタもあったらしいけれど、知ったことか。今が幸せならそれで良いじゃないか。それに本人たちにとってはどれだけ特別なことであっても、他人からしてみればいちカップルのゴタゴタなんて些事だ。
「あら、それは喜ばしいですね」
「だね」
ま、尻に敷かれているらしいけれど。きっとワルタのことだから亭主関白でいたかったんだろうけれど、相手はあの玲香だからな。そう上手くは行くまい。というか、旦那なんぞ嫁の尻に敷かれているくらいが平和なんだ。
「それにしても後進の育成、って言うとそんなんじゃねぇ、って言うんでしょうから言いませんけど」
「言ったも同然だよね」
ぶふ、ノアーズミルを吹き出しそうになっておれは苦笑した。
「結局何だかんだ面倒見が良いじゃないですか」
「それもさー、別に自虐で言う訳じゃないんだけど、後進の育成とかって堅苦しい言葉より、単純に若い子と接してるのが楽しいってのもあるじゃない」
特にワルタみたいな良い意味での愛すべき馬鹿は一緒に仕事をしていて楽しくなる。楽しいというのはおれが一方的に感じていることだけれど、当時のワルタはどうだったのかなぁ。
「今日は誘われた呑み会を蹴ったのに?」
「一応は付き合いました」
一杯だけですが。それに僅かながらに金銭的な協力もしたし、それで良いじゃないか。
「一杯だけじゃないですか」
「ま、まぁそれはほら、年も離れすぎちゃうとね」
例えばここ十年ほどで知り合った子たちはもう三十台にもなろうという子が多い。知り合った時にはまだ高校生だったのに、だ。時の流れとは無情なものだなぁとおれも一丁前に感慨にふける年になってしまったということだ。そのくらいの年の子たちと呑む分にはおれも楽しめるし、家族同然の付き合いをしている子だっている。でもあまり人数が膨らんで、その子らの後輩たちが集まる場、ともなると何とも座りが悪くなるもんなんだよ。
「確かにアラフィフと十代ではちょっと厳しいかもですね」
「だろー」
おれはひとまず頷いたが、十代はお酒呑んじゃいけないんだぜ、六花さん。
03:他人の馴れ初めなんて語ってる場合じゃないよね 終り
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