喜びの歌

平 遊

喜びの歌

 僕は、リオ。

 バイオリンのリオ。

 うんと昔に、ストラじいちゃんが生み出してくれたんだ。

 ストラじいちゃんは、僕以外にもたくさんのバイオリンを生み出していたんだって。

 でも、なかでも僕が1番のお気に入りだって言ってくれて、どんなに頼まれても僕を手放すことはなかったんだ。


「リオや、お前の可愛らしい声を聴かせておくれ」


 ストラじいちゃんは、僕のことをすごく可愛がってくれたし、大切に扱ってくれた。

 ストラじいちゃんは、バイオリンを弾くのもとても上手で、ストラじいちゃんが奏でる僕のは、他の誰が奏でるどんなバイオリンよりも美しく響いたよ。

 だって、あまりに気持ちよくて、体中を震わせて思い切り歌ったんだもの、僕。

 大好きなストラじいちゃんに喜んで貰いたくて。

 聴いている人間誰もが、ウットリと聴き惚れてしまうくらいに。

 だから僕は、とても幸せだったんだ。

 ストラじいちゃんが、天に召されてしまうまでは。



「なんだこれ、全然鳴らねぇじゃねぇか」


 ストラじいちゃんが天に召されてすぐ、僕は知らない人間に乱暴に扱われて、どこか知らない場所へ連れて来られてしまった。

 何度もガタンゴトンと揺られて、その度に飛び跳ねてアチコチに体をぶつけて、僕のお腹には小さなキズがいくつもできてしまった。

 体中が痛くて痛くて。

 でも、それ以上に心が痛くて。

 ストラじいちゃんが恋しくて。


 僕は心を閉ざしたんだ。


 ストラじいちゃん以外の人間が信じられなかったし、ものすごく怖かったし。

 ストラじいちゃん以外の人間には触られたくもなかった。

 それから僕はしばらくの間、眠りについた。

 眠っている僕を鳴らそうとした人間は何人もいたようだけど、僕は知らない。

 心を閉ざした僕を歌わせることができる人間なんて、誰ひとりいやしない。

 たとえ音が出たとしても、それはただの音でしかない。

 ストラじいちゃんが愛してくれた、僕の声では無いのだから。


 やがて、僕は人間たちから忘れられた存在になっていった。

 僕は、暗い部屋の中で、ひとりきりで眠り続けた。

 心無い人間に乱暴に扱われるくらいなら、もう、ずっとこのままでも構わないと思いながら。




 そんなある日。

 僕は、あまりに気持ちよくて目を覚ました。


「嘘だろ?!なんてこったい!」


 優しくて温かい手が、僕の体をあちこち触る。擽ったくなるくらいに。

 思わず少しだけ声をあげると、


「マジか…」


 そんな呟きと共に、僕の体がそっと抱きしめられた。


「信じられない…奇跡だ、奇跡が起きている、今ここでっ!あんなところリサイクルショップで、本当にストラに出会えるなんてっ!」


 その人間は、確かに懐かしいストラじいちゃんの名前を口にした。


 ストラじいちゃんを知ってるの?!


 という僕の呼びかけが聞こえたかどうかは分からないけれど、その人間は言った。


「間違いない。キミが、リオだね。俺はタクミ。ずっとキミを探していたんだよ」


 ストラじいちゃんよりツルンとしてツヤツヤした顔のその人間の名前は、タクミ。

 タクミは、僕の名前を知っていた。

 リオって、呼んでくれた。

 ストラじいちゃん以外で、僕をリオって呼んでくれた、初めての人間。

 僕はほんの少しだけ、タクミに興味が湧いた。



 気づけば、僕のお腹にあった無数のキズは、綺麗に無くなっていた。全部タクミが直してくれたみたい。

 おまけに、眠っていた長い間に付いてしまった汚れも綺麗に拭き取ってくれたみたいで、僕は生まれたてのようにピカピカと光っていた。


「ん〜、もっと艶も深みもある音のはずなんだけどな。なぁ、そうだろ?リオ。お前の力は、こんなものじゃないよな?」


 どうやら僕は、『幻の名器』という名で、世界中のバイオリン奏者やお金目当ての人間たちに探されていたらしい。

 タクミは、ストラじいちゃんのことや、ストラじいちゃんが天に召された後のことを、古い本を読んで調べていたんだって。

 バイオリンが好きで、ストラじいちゃんが生み出したバイオリンの音色が好きで、ストラじいちゃんが一番に愛していたリオ音色が、どうしても聴いてみたくて。

 だからタクミは、僕がストラじいちゃんから“リオ”って呼ばれていたことを知っていたんだね。

 でも。

 タクミは、こう言っちゃなんだけど、ストラじいちゃんよりもバイオリンを弾くのがだいぶ下手くそだった。僕の扱い方は、ストラじいちゃんと遜色ないほどに優しくて気持ちよかったけれども。


 タクミのためになら、もう一度だけ、歌ってみようかな。


 タクミの温かな想いを感じ続けた僕は、次第にそんなことを思うようになっていた。


 …そのためにはもっと、タクミに上手になってもらわないとね。



「あれ〜?えっ…わっ!」


 僕の扱い方は、じゃなくてだよ!


 僕は、ストラじいちゃんがどんな風に僕を歌わせてくれていたかを、一生懸命タクミに伝えた。

 タクミのために、ストラじいちゃんが嬉しそうに笑って聴いてくれた、あの最高の歌声を響かせたくて。


「もしかして…リオが、俺に教えてくれてるのか?いや、まさか。でも…」


 最初こそ驚いて戸惑っていたタクミだったけど、そのうちに慣れてきたみたいで、タクミは僕の扱い方を少しずつマスターしていった。もともと、才能はあったのかな。コツを掴んだタクミの腕は見る見るうちに上達して、僕も気持ちよく体中を響かせて歌声を響かせることができるようになった。

 本当に心の底から、気持ちよく。

 そんな僕の歌声を、タクミは嬉しそうに聴いてくれた。

 タクミのクシャッとした笑顔は、なんとなくストラじいちゃんに似ていた。



「お前が持ってていいモンじゃないだろ、コイツは。早いとこ売れよ。結構な金になるだろ?その金があれば、なんだってできるぞ」


 しばらくすると、入れ代わり立ち代わり、タクミを訪ねて色々な人間がやってきた。

 どうやら目当ては、僕らしい。

 ストラじいちゃんといた時もそうだった。

 みんな、僕を売ってくれと、ストラじいちゃんにお願いに来ていたんだ。

 ストラじいちゃんは、頑として僕を手放さなかったけど、タクミはどうするのかな…


 もし、タクミが僕を手放すのだったら、その時はまた眠りにつこう。

 永遠の眠りに。


 そう決意した時。


「俺はどんなことがあっても、コイツは絶対に誰にも売らない」


 タクミはそう言って、僕を温かい手で優しく撫でた。

 僕は嬉しくて嬉しくて。

 心も体も全てをタクミに預けようと、心に決めたんだ。



「ありがとうな、リオ。お前は俺の最高の相棒だ」


 燕尾服を着てカッコよく決めたタクミが、優しく微笑みながら僕を撫でる。

 ストラじいちゃんといた時、たくさん可愛がって貰って、気持ちよく歌わせてもらって、僕はふたりきりでも最高に幸せだと思っていたけれど、今は最高よりももっと幸せだと思っている。


 あれ?

 最高の上って、何て言うんだろう?


 タクミはオーケストラの団員で、僕はタクミのお陰で他のたくさんの楽器と歌を歌う喜びを知った。

 タクミが僕に、みんなと一緒に音を奏でる歌を歌う楽しさと喜びを、教えてくれたんだ。

 たまに音が合わなくて大変なこともあるし、周りに合わせる難しさもあるけれど、それだって、ストラじいちゃんとふたりの時には経験できなかったこと。

 今の僕には愉しくて仕方がない。


 こちらこそ、ありがとうだよ、タクミ。


 今宵も僕はタクミと共に、体一杯で音を奏でる歌を歌う

 聴いている人間誰もが、ウットリと聴き惚れてしまうくらいに。

 でも。

 誰よりも、僕の大切な相棒の、タクミのために。


 お空でストラじいちゃんも喜んでくれているといいな。


 そんなことを、思いながら。


 終

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