第一部 第一章 エルフに育てられた少年
第一話 エルウェンデへ①
それから八年が経過した聖暦九九三年、春もまだ早い時期。
ここはエルウェンデとタリオンの中間よりもやや西側に位置するニテアス。人口およそ四千人、テララ=テミスという女性が長老を務め特殊加工が盛んな集落である。
一般的な雑貨、日用品、衣類、武具などは各集落や各家庭で賄われており、ニテアスで作られているのは特別な武具・装飾品、魔道具など技術が必要な物である。それらの品は主にエルウェンデとの交易や警備兵の装備用にスカニア、タリオンへ運ばれていく。
余談になるが『エルフは菜食主義で木を伐る事を厭い火とミスリル以外の金属を嫌う』というのは単なる俗説である。彼らは森に入って採集も行うが狩猟も能くする事は知られており狩猟を行うのに肉を食べないというのは生命に対する冒涜であろう。彼らがそのような事をするはずがなく、森の恵みに感謝しつつしっかりと肉を食する。
小鬼妖族や豚人族などの魔物や危険は猛獣が徘徊するとは言え、森は彼らの生活全般を支える重要な生活基盤である。過剰な狩猟や伐採を行わないのは当然だ。
彼らが”鍛冶を行わない”というのは正しい。だがそれは火を嫌うためではなく鉱石や原石から鉱物や宝石の分離、錬成、成形を精霊魔法で行うからであり調理には火を使う。
閑話休題
ニテアスは東側のカセメル川と西側のリルランディーネ川が合流する三角地にあり、外側が垂直に近く内側は斜面になった巨大な堤防で全周が囲われている。水害対策だけではなく外敵にも備えた造りになっており下手な防壁よりもよほど頑丈だ。
このような作りになっているのは周辺の森を徘徊する小鬼妖や豚人だけではなく南側一帯に湖沼地帯が広がり、蜥蜴人族の生活圏と接していることが大きい。そのために警備兵二百名が常駐し警戒にあたっている。
蜥蜴人族は自分たちをドラゴンの眷属であると考えており怯懦をもっとも嫌う非常に勇猛な種族である。全身を鎧う硬い鱗は刃物を弾き返し、素早い動きと巧みな槍遣いで死を恐れずに向かってくる。精霊魔法を扱うエルフ族にとっても恐るべき外敵だ。
寒さに弱い蜥蜴人族という種族の特性上、暖かい時期に活動が活性化する。
◆◆◆◆◆
外は決して安全とは言えないが集落の中には平和な日常がある。早春の雪解けにはまだ早い今時期に吹き付ける風は肌を刺すように冷たい。それでも花の蕾は膨らみ始め空気は澄み渡り晴れた空を編隊を組んだ鳥の群れが横切っていく。生命が溢れほころぶのを待ちわびている雰囲気が濃い。
ニテアスの内部は南西側に住宅街、北西に工房街、中央広場には市が開かれ北東に商店街、南東に兵の詰め所や宿舎があり、訓練場では剣がぶつかり合う甲高い金属音や弓を射る鋭い音が響き、精霊魔法の光が弾ける。
東西と南の三方に門があり中央から東西に集落の規模からするとかなり立派な、馬車がすれ違える幅を持つ大通りが伸びている。
職人達は仕事に精を出し、市場や商店街では人々か覗き込んでは品定めをする。買い付けや素材の納品にやってくる馬車が行き来し、子供達がかけまわり、妖精たちが花に戯れたり時々人々にたずらをしてまわる。
そんな雑踏の中を一人の少年がトコトコと歩いていく。年の頃は七、八歳ほどであろうか。生成り色の布ズボンに革の短靴、淡い緑色のローブを羽織っている。
肩上あたりで切りそろえられた栗色のサラサラな直毛が時折風に吹かれて乱れているが気にする様子もなく屈託のない笑顔を浮かべている。少年は人混みを器用に縫って市場を抜けると迷わず工房街の方へ向かって行った。
彼の名前はリンランディア。フィンゴネル家の養子である。赤ん坊の時に引き取られて養子となったが実に素直に育っている。それは本人の資質もあるだろうが、フィンゴネル家の家族が実の子と別け隔てなく愛情を以って接しているからに他ならないだろう。
◆◆◆◆◆
フィンゴネル家はニテアスの南西の一角にある。
フィンゴネルは魔道具職人の親方で妻と子供二人ーーー妻ミゼリエラ、長女カレナリエルと養子リンランディアーーーの四人家族である。
フィンゴネル家は小ぶりな前庭と敷地を囲う生け垣に門。煉瓦造りの二階建で切妻屋根を基本に一部片流れ屋根が組み合わされ橙色の瓦で葺いている。冬場は雪が積もるので屋根の傾斜は強い。外装は煉瓦の上から塗られた漆喰の白が目に明るい。玄関の左右にある出窓に花が飾られているのはミゼリエラの趣味だろう。
玄関の上、二階部分にも大きめの窓がある。
中に入ると優しい板張りの壁と正面に据えられた石組みの暖炉、その中で赤々と踊る炎がまず目に入る。壁は床から七シギル(約四十センチメートル)ほどは外装と同様に漆喰が塗られ、その上側が板張りになっている。板壁と漆喰のコントラストが室内を明るく感じさせるのと同時に暖炉の存在感をぐっと押し出しており暖かく感じさせる。
暖炉から石組の煙突が凸型に上に伸びており、部屋の中央付近にはローテーブルとソファーが置かれている。
部屋の右側は二階への階段があり、壁にはドライフラワーが飾られている。家具も少なめで質素なのはエルフ全般の好みといって良いだろう。階段の奥は扉のないくり抜きでキッチンへ繋がり、その左側の空間は浴室になっている。
視線を上へ向けると階段から暖炉の上を通るコの字型の廊下と胸高の手すりがあるのがわかる。左に子供部屋が二部屋、右に夫婦の一部屋がある。吹き抜けの天井には大きな天井扇がゆっくりとまわっているのはフィンの作品だ。
室内の左側の壁には大きめの窓があり、四角いダイニングテーブルと椅子が四脚置かれている。窓と向かい合う席に萌黄色のローブに白の前掛けをしたミゼルが腰掛け縫い物をしていた。
作っているのはリンが来週出発する予定になっている『神樹の祝福』を受ける儀式に参加するための衣装である。
作業に併せてまっすぐなのハニーブロンドの髪が優しく揺れる。
(あの子が来てからもう八年になるのねぇ。一時はどうなることかと思ったけれど元気に育ってくれて本当によかったわ。)
そんな感慨に耽りながらもミゼルの手は休み無く動いていた。
◆◆◆◆◆
「ただいまー!」
大きな音とともに開け放たれた扉から入ってきたのは長女のカレンだ。
燃えるような赤毛と釣り眼がちなアイスブルーの瞳が対照的である。
膝下まである編み上げのロングブーツ、暗緑色に染められた細身の革パンツ、上半身は白のシャツの上から臙脂色のバルカン=ブラウス。邪魔にならないように肘の上部を革ベルトで留めている。
その上にパンツと同じ色に染められたジャーキンを着けている。
この暗緑色の染料は虫除けの効果があり木陰に潜むにも適しているためエルフの猟師達が好んで使うものだ。
腰に巻かれた二本のベルトには物入れやダガーなどが吊るされ、背には使い残しの矢が数本はいった矢筒とコンポジットボウを背負い、手には今日の獲物の取り分と外した籠手をぶら下げている。
「おかえりなさい。カレン。いつも言っているでしょう?『扉はもうちょっと静かに開けるように』って」
縫い物の手を止めて振り向いたミゼルが嗜める。
「ごめんなさ~い。」
そういうなり、大げさに頭をさげた拍子に赤毛が大きく揺れる。
「それはそうと、今日も獲物はばっりち仕留めて来たわよ!」
直後には反省したのかしないのか、自慢げに満面の微笑みで獲物を持ち上げて見せる。頬と鼻先が少し赤くなっているのは寒かったせいだろう。
「しょうがない子ねぇ。いつものように保管庫にしまおいてね。」
「はーい。」
そう返事をするとカレンは軽い足取りでキッチンへ向かっていった。
◆◆◆◆◆
「ねぇ、お母さん。」
上から声が降ってきたので見やると、ゆったりとした水色のローブに着替えたカレンが二階の手すりにもたれているのが見えた。
「さっき浴室を使ってたでしょう?はやく降りてらっしゃい。」
「う…うん…。」
「髪の毛を乾かさないと風邪ひくわよ。」
手元に視線をもどしつつ、そうカレンを促す。
(カレンにしては歯切れが悪いわね。どうしたのかしら?)
「ん…あのね、それってリンの儀式用のローブだよね?」
ソファーに腰を掛けたカレンが後ろから声をかけてきた。
「えぇ、そうよ。もう来週には出発だから急いで仕上げなきゃね。」
キュッと口を引き結んだカレンはじっと縫いかけのローブを見つめている。
「どうしたの?カレン。」
手を止めて向き直ったミゼルが水を向けると、しばらく迷った後に両手を強く握りしめたカレンが口を開いた。
「わたしがリンに付いていくから大丈夫だよ。」
「唐突にどうしたの?祝福の儀には母親が同行するのが習わしよ。」
「わかってる…。わかってるけど、お父さんだって休みも取れてないじゃない。」
というのも、二百五十年ほど前にノルド大公国が南の大カルマル王国の支配から独立して以降、徐々に交易が増えており、ここ百年ほどはフィンもまとまった休みを取ることができないほどに忙しい毎日を送っているのだ。
「お母さんだって長くは家を空けられないでしょう?」
ニテアスから神樹までの道のりは遠い。エルウェンデ経由で片道八五・三一ヒルファロス(約六五一キロメートル)余り。馬車での往復は順調にいっても一月以上に及ぶ。
フィンの状況を考えればミゼルが長期間家を空ける事は難しい。
娘の言うことも尤もだということは彼女にも理解できるのだ。
「そうねぇ…。その話しはまたフィンが帰ってきてからにしましょう?」
娘の性急な言葉をやんわりと受け流し結論を先送りにする。
母親としては同行したいという気持ちも強く、決めかねるのである。
「…わかった。お父さんと話しする。」
渋々ながらも納得するように頷いた。
「それよりも、カレン。リンを迎えにいってくれないかしら?」
「えっ!?リン、いないの?」
さっきまでと打って変わって、パッと立ち上がるともう歩きだしている。
リンの事となると反応が早いのはいつものことだ。
「えぇ。またフィンの工房に行ってるのよ。そろそろ夕飯の時間だし寒くなるわ。ケープも持っていってあげて。あなたもよ。」
「わかった!行ってくるね。」
言うなり、カレンは家を飛び出して行った。
苦笑を漏らすとミゼルはキッチンに足を向けた。
(今日の夕飯は温かいものを用意したほうがいいかしらね。)
ミゼルは三人で帰ってくる姿を思い浮かべると縫いものを一旦片付けて、パタパタと忙しく夕飯の支度を始めた。
ーーー
あとがき
今回はフィンゴネル家の人々やニテアスの街の様子などのさらっとした説明が主になっています。
今回の登場人物のまとめ
・フィンゴネル フィン ニテアスの職人
・ミゼリエラ ミゼル フィンゴネルの妻、リンランディアの祖母の妹
・カレナリエル カレン フィンゴネル家の娘
・リンランディア リン フィンゴネル家の養子、ミゼリエラの姉の孫、本作の主人公
ーーー
・テララ・テミス ニテアスの長老、女性
1/9 18:00 更新予定
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