第20話
「おーい。理沙ちゃん、お客様」
ズダンッ!
居合わせた署員は全員、ヘルメットに防弾チョッキ着用でその場に伏せる。
この客が来る時はいつもそう。
さすがに10回以上、こういう場に居合わせた署員達は場慣れしていた。
しかし―――。
「へ?」
硝煙の煙をのぼらせる銃を掴んだまま、理沙は思考が停止した。
目の前にいるのは、制服姿の男。
階級章は、この署にはいないほどの高い地位を示している。
寸分の狂いもなく制服をまとう、謹厳実直を絵に描いたようなその男の七三の髪は、見事に逆モヒカンになっていた。
「……ひょっとして―――部長ですか?」
理沙は、自分の全身から血の気が引けたのがわかった。
理沙は本当のお客を連れて休憩室に移動した。
「う……恨むからね」
「懲戒免職は避けてあげましたけど?」
本当のお客―――つまり、水瀬はそっけなくそう答える。
「減俸と始末書ってねぇ、官僚世界じゃ死刑宣告なのよ?」
「いいじゃないですか。仕事で挽回すれば」
「―――で?」
「朝方、メールで頼んでいた件について」
「―――ああ。あれ?」
理沙は苦い顔でそっぽ向いた。
水瀬にはそう見えたが……。
「署に消防車が止まっていたの、見た?」
「ええ。何でもボヤ騒ぎとか」
「そう。原因不明の出火で倉庫一戸が丸焼け」
「災難ですね」
「ええ。ご依頼の件の調書、証拠と一緒にね」
「……先手を打たれたか」
「そういうこと。警察署まで焼いてくれるとは、さすがに君に依頼だけはあるわ」
「お褒めにあずかったとはとれませんね」
「これが褒め言葉に聞こえたら、君、おかしいんじゃなくて狂ってるわ」
「……先日、南雲先生のマンションで発生した第三種事件、立ち会ったそうですね」
水瀬が事務的に話題を変えた。
「ええ―――おかげでホラー映画が怖くなくなったわ。見た?深夜やってたの」
「いい経験でしたね」
「イヤミねぇ」
「こちらからのお願いは、この通りです」
「……」
書類を出す水瀬の顔を見ながら、理沙は思った。
普段のオチャラケがかけらもない。
何故?
不思議に思いつつ、理沙はもう一度、水瀬をまじまじと見つめた。
眼が真面目だ。
珍しいこともあるとは思うが、それで理沙はわかった。
水瀬は真面目にならざるを得ない立場なのだ。
つまり、これは近衛からの依頼だ。
正式に、近衛から宮内省経由で捜査依頼が出た。
そういうことだ。
だからこそ、近衛に恩を売るつもりで、警備部部長わざわざ激励に来て……まぁ、事故はあるものだ。
とにかく、この子は今、公務でここに来ている。
今までのような私的に近い理由ではない。
ただ、その仏頂面というか、機械のような反応が、理沙にはどこか寂しい。
「警備部部長の毛髪は、僕が復活させましたし」
「そういうものじゃないけどね」
理沙は水瀬から書類を受け取り、中を読んだ。
「―――えっ?」
「……」
水瀬は、理沙の顔を見るだけ。
「あ、あんたさぁ」
理沙は驚き半分、あきれ半分で水瀬に言った。
「この内容、知ってるの?」
「当然です」
水瀬はあっさりと認めた。
「それ、草稿書いたの、僕ですから」
「……なんで、自分で調べないの?」
「僕が動くと、混乱が発生する恐れが」
「混乱?」
「僕に真実を告げる可能性は低いですし、僕が調べていることを感知すれば、それだけで捜査を混乱させようと画策するのは目に見えてます」
「成る程?」
理沙は、再度書類に目を通すと、水瀬に訊ねた。
「とにかく、対象の過去72時間以内の行動を調べればいいのね?」
「はい。それと」
「ん?」
「後で話させてもらえませんか?」
「誰と?」
「……村上速人と霧島那由他。警察で保護しているんでしょう?」
ルシフェルが目を覚ましたのは、それから少し後、宮内省付属病院のベッドの上。
ベッドの脇にあるパイプ椅子に腰を下ろすのは理沙と岩田だ。
「薬物の反応が出たそうだ」
岩田の言葉に、薬物が抜けきらず、意識がはっきりしないルシフェルが弱々しく反応する。
「……そんな、嘘です」
「嘘?」
「私、任務中には対毒薬を服用しています」
近衛軍特殊部隊で使用されている魔法薬。
予め飲んでおくと、胃の中に落ちた一切の物質を体に吸収させない効果がある。
青酸カリをラッパ飲みしても死なないとされる代物。
定期的にたっぷり嘔吐しなければならないが、死ぬよりマシだ。
それが効果を示さないことにルシフェルは納得出来ない。
「しかし」
岩田は言う。
「君が旅館で意識不明のまま発見されたのは事実だ」
「ガスの使用は」
「あんな狭い室内で君一人が被害を受けるだけで済むと、本気でそう思うか?」
「……」
「君が何を疑いたくないのか、それは我々とてわかる」
岩田の優しい声を受け、ルシフェルは小さく鼻をすすった。
「近衛の要請を受けての捜査だ。既に近衛の調書は読んだが、君に改めて聞きたい。協力してもらえるね?」
「……」
ルシフェルは、小さく頷いた。
「まず、昨日一日の君の行動から確認したい」
岩田は手帳を開いた。
「君の申告だと、午前10時丁度に葉月駅から国営放送局のある渋谷区に電車で移動。10時35分に放送局入り。以降、瀬戸綾乃の護衛の任務に就く。昼食は?」
「学校から支給されたレーションで済ませました」
「その後、放送局から瀬戸綾乃と共に都内を移動。その間に口にしたものは?」
「何も……瀬戸さんに勧められたこともありましたが、任務中の食事は一切禁止されていることを伝えて了承を」
「警護任務は、瀬戸綾乃の棒温泉の坊旅館到着をもって一応の終了となった」
「はい」
「それ以降は?」
「瀬戸さんと一緒にいました。それと、万一に備え、旅館で出された食事は摂りませんでした。残念でしたけど」
「何を食べたんだ?」
「同じく、レーションです」
「……それでよくそのプロポーションが維持出来るわねぇ」
「レーションは水瀬家特製の丸薬です。栄養価は高いですけど、ローカロリーで、空腹感を無くす効果が」
「ダイエット食品で売れば儲かるわね。持ってる?頂戴」
「村田、黙れ。しかし、それだけというわけはあるまい?」
岩田がバッグから取り出したのは、
「これだけは口にしたはずだ」
ビニール袋に入った茶碗。
「……」
ルシフェルは、それを黙って見つめるだけ。
「床にこぼれたお茶と一緒に、特殊な薬物の反応が出た―――警察の科学捜査部門は、人体には無害と報告してきたが、近衛の防疫班の分析は、強い睡眠効果があると言っている」
「……」
「かなり特殊な、一種の魔法薬だそうだ」
「……でも」
「それで」
岩田はバッグに茶碗を戻しながら声を大きくした。
「問題はここからだ」
「?」
「君が眠っている間、瀬戸綾乃が何をしていたか、近衛からは聞いているか?」
「いえ」
「……君がこたつで眠ったまま、ゆすっても起きないとフロントに通報したのは彼女だ。その後、彼女の連絡により旅館へ近衛の専門部隊到着、その間、彼女は確かに君の側にいた。目撃情報からしても、それは間違いない」
「……」
ずっと看病してくれた友達に、ルシフェルは無言で感謝した。
「問題は、瀬戸綾乃の証言だ。彼女はこう答えたそうだよ。“気がついたら眠っていて、目が覚めたらルシフェルさんも眠っていた”……ヘンだと思わないか?」
ルシフェルは、岩田の言いたいことがわからない。
「?……いえ?あの、瀬戸さんも一緒に薬を?」
「それだと話が合わないんだ」
「え?」
「よく考えてご覧」
岩田は諭すようにルシフェルに言った。
「君は薬物の影響でこのザマだ。対する瀬戸綾乃は、その場で君を看病するほどピンピンしていた。同じ部屋。他に出入りしたことのない部屋。いわば密室で」
「まるで推理小説ですね」
ルシフェルはちょっと笑いながら思った。
こんな話なら、私じゃなくて桜井さんか水瀬君がお似合いだ。
あの二人なら、本格的推理小説に出てくる探偵顔負けの推理力で、今、岩田が言わんとすることなんて見通してしまうだろう。
“目に見えるモノだけが真実じゃない”
“闇の中に眠る真実を見いだせ”
子供の頃、教官からよく聞かされた言葉が、ふと、ルシフェルの脳裏によみがえったが、どうやら、私はこういう方面とはよほど相性が悪いらしい。
「いいところが三文小説だ」
岩田はそう言って笑う。
「予め薬物が仕掛けられていて、偶然、君がそれに当たった?馬鹿な。だったら、なぜ、瀬戸綾乃も一時的に意識を無くした?なぜ、彼女だけが後遺症がない?」
「……」
「若干の薬物をわざと服用したか、それとも眠っていたという証言そのものが虚偽か……とにかく、疑うしかない」
「……それで?」
「我々の現在の仕事は、瀬戸綾乃のここ数日間の行動の洗い出しだ」
岩田はそう言って、ルシフェルの布団の上に書類の入った封筒を置いた。
「穴だらけだ。後で見ておいてくれ。……この所、彼女は何度も行方をくらませている」
「……」
ルシフェルは、友達の行動を弁護しようとして口を閉ざした。
否定したい。
でも、出来ない。
大切な友達の不審な行動を弁護するだけの証拠も根拠も、ルシフェルにはない。
「そろそろ、面会時間が終わるな」
岩田は腰を上げ、理沙もそれに続く。
「とにかく、我々は、瀬戸綾乃の行動に不信感を募らせている」
ルシフェルは、言葉が出てこない。
瀬戸さんは無実だ。
そう言いたいのに、言葉が、出てこない。
「容疑は、魔法薬取締法違反、それの使用による傷害罪。最悪、今回の事件に一枚噛んでいれば、薬物による殺人未遂罪、共謀罪」
「そんな」
「もし、彼女が無実だというなら、物的な証拠をあげてくれ―――じゃ、お大事に」
岩田達は、後ろを振り返ることもなく、病室から出ていった。
ルシフェルに出来ること。
それはただ、彼らの背を見送ることだけだった。
軽い検査の後、付属病院を退院したルシフェルが真っ先に向かった先。
そこは―――。
「ふぅん?」
ルシフェルの前で書類が動く。
ベッドに座りながら、ルシフェルは、ただじっとその動きを見つめていた。
「それで?」
メガネをかけた少女が、その動きを止めてルシフェルに訊ねた。
「これ、警察の書類でしょう?私に見せていいの?」
「いい」
ルシフェルは言った。
「警察の人は、私に“調べろ”っていっている。だから、問題ない」
「ふぅん?理沙さんかな?」
「知っているの?」
「そりゃ、何度かお世話に」
「不純異性交遊とか?」
「何で!?」
「どうせ、水瀬君絡みだから」
「もうっ。ルシフェルさん?からかいに来たなら、書類返すわよ?」
そう言って笑うのは、美奈子だ。
「それにしても」
ルシフェルは美奈子を見ながら言った。
「桜井さんって、メガネかけるんだ」
「普段はコンタクトなのよ」
「へぇ?」
「それにしても」
書類に素早く目を通しながら、美奈子は感心したように言った。
「警察って、本当によく調べるのねぇ。個人情報なんて関係ないって言いたいみたい」
「捜査の裏付けとるためには必要なんだよ」
「そうねぇ。ただ、一般市民としては、知らない方が幸せって言うか、知らなければならない事実というか―――それにしても瀬戸さんとはね」
美奈子は書類をめくりながら唸った。
「品田君あたりなら、実家のお寺売り払ってでも手に入れたいでしょうね。この書類」
「どうしたの?」
「通話記録まで全部調べられている。会話の内容はともかく、送受信の相手の名前、住所、職業、年齢、……うわ。メールの送信内容まで?すごいわねぇ」
美奈子の手の中でページがペラペラ音を立ててめくれていく。
そのスピード故に、ルシフェルの眼には、とてもマトモに美奈子が読んでいるようには見えなかった。
「桜井さん、そんなに早くめくっていて、よく内容がわかるね」
「え?速読術よ」
「速読?」
「そ。ほら。アナウンサー目指しているからね?読み上げる文章はすべて一瞬で理解して、頭にたたき込めなければならないって思って、小学校の頃から練習しているの」
「へぇ?」
今度、やって見ようかと思うルシフェルに、美奈子は言った。
「でね?ただ、“見て欲しい”っていわれたけど」
「うん」
「これ、瀬戸さんの行動についての調査でしょう?瀬戸さん、何の事件に巻きこまれたの?」
「う、ううん?事件というわけじゃ」
「ふぅん」
美奈子は、ルシフェルに書類を返した。
「ごめんね?」
「えっ?」
「これほどの情報、警察だって趣味で集めるはずない。ということは?瀬戸さんが何かの事件に絡んでいるってこと。そうじゃない?」
「……」
「でね?それを隠して調べて欲しいっていうのは、私は感心出来ないの」
「……桜井さん」
「友達が事件に巻き込まれている。だから一緒に助けよう。そう言ってくれるなら、私は喜んで手を貸す。でも、ルシフェルさんの言い分は違う。ルシフェルさんは、私を大切なことから遠ざけようとしている」
「べ、別にそんなつもりは」
「あるの」
美奈子は言った。
「瀬戸さんを助けたいから私の所に来た。そうでしょう?」
「う、うん」
ルシフェルもそれは認める。
大切な友達が警察に疑われている。
だから、それを助けたい。
そのために必要なのは剣でも魔法でもない。
的確な状況判断とそれに基づく推理。
そのために、推理が得意な美奈子の所に来た。
「あのね?本当に大事なことを、ルシフェルさん、忘れている」
「大切な、こと?」
そう言われて、ルシフェルは美奈子の顔を見た。
美奈子がまるで母親のような穏やかさでルシフェルを見つめていた。
「私にとっても、瀬戸さんは大切な友達だって事」
「……あっ」
「そっ。瀬戸さんはルシフェルさんだけの友達じゃない。だから、こういう時は、一緒に助けようって言ってくれればいいのよ」
「ご……ごめんなさい」
ルシフェルは、目頭が熱くなった。
確かにそうだ。
何故、この調書を自分は美奈子に見せた?
美奈子に、助けて欲しいからじゃなかったのか?
誰を?
自分?
違う。
大切な友達を。
そして、見失っていたのだ。
その大切な友達とは、誰にとっての友達か。
自分だけ?
違う。
みんなにとって。だ。
私は、そんなことすらわからなかったんだ……。
「本当に、反省している?」
美奈子の問いかけに、ルシフェルは涙を拭きながら頷いた。
「うん……ごめんね?」
「うん」
調書を引っ込めた美奈子は、再度それを開くと、ルシフェルに言った。
「罰ってわけでもないけど……」
「えっ?」
「これ、じっくり読みたいから……1時間でいい。葉子の相手してあげて」
美奈子は机に向き直りながらそう言う。
その目は真剣そのものだ。
ルシフェルがドアの方を見ると、少し開いたドアの隙間から葉子が絵本片手に中をうかがっていた。
「クスッ……いらっしゃい。葉子ちゃん」
「―――というわけで、おじいさんはおばあさんの生命保険で余生を老人ホームで過ごすことが出来ました。めでたしめでたし」
桜井邸のリビングで膝の上に葉子を乗せたルシフェルが絵本を読んでいる。
「わーっ!パチパチ」
よほど面白かったのか、葉子は興奮気味に手を叩く。
「面白かった?」
ルシフェルは、膝の上に感じる葉子の感触が嬉しくさえ感じられてしまう。
「うんっ!」
そう、無邪気に答える葉子の目は、澄みきっている。
どこかの誰かとは大違いだ。
「お姉ちゃん!次はこれ読んでください!」
葉子から本を受け取りながら、ルシフェルは思った。
本を読んでもらって喜ぶのが葉子ちゃんなら、
それを読んで喜ぶのは私だ。
本一冊で、こんなに世界が楽しくなるんだ。
もし……もし、自分に子供が出来たら、こうやってたくさんの本を読んで聞かせてあげたい。
ルシフェルは、そう思いながら、優しい声で本のタイトルを読み上げた。
「みんなのお友達、耽美戦隊ビスコンティー。悪の幹部・ジョルジュと愛と性技の味方・耽美戦隊ビスコンティーのブラックとの性別を超えた禁断の男と男の愛の物語……ね、葉子ちゃん。これ、どこからもってきたの?」
サイズはB5変形。やたらと薄い本の表紙を読みながら、ルシフェルは葉子に訊ねた。
「お姉ちゃんのお部屋」
「な、なんだか……正義って言葉が違っている気が」
ルシフェルはぺらりとページをめくり、そのまま自分のバッグの中へ本をしまい込んでしまった。
「えーっ!?何でぇ!?」
「あ、あのね?これは子供が読むとお母さんに叱られるって決まりがある本で」
結局、渋る葉子をなんとか説得してルシフェルが読んだのは―――
「大きな株〜楽しい株価操作。めざせヘッジファンド」だった。
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