沈みゆく船



「…国王陛下。そして、王太后殿下どうか。お願いしたいことがあります」


 ボイド子爵は妻と、亡くなった赤ん坊を抱きしめたまま、王と王太后を見上げた。


「申してみよ、ボイド子爵」


「これから先どのようなことを暴いたとしても。この哀れな子どもたちには罪はございません。どうか、どうか。私たちに彼らを授けて頂けませんか。わが領地にて安らかに眠らせたく思います」


 この場に居並ぶ者たちも、同じ儀式を行わずともある一つの予想に囚われ始めている。

 それを裏付けするかのような夫妻の行動に、ざわめきが起きた。


「あんな不吉なモノ! 魔物の巣に投げ入れなさい! 共食いさせればいいのよ!」


 拘束されてもなお止まらないガートルードの金切り声に、ボイド夫人はさらに涙を流して腕の中の子を強く抱きしめる。


「…よかろう。ただし、そなたたちはこれからの審議の証人として必要だ。全てを見届けるまでこの場に残ることを約束するなら、子たちを譲る」


「ありがとうございます」


 そんなやり取りがなされる間も、何事もなかったかのように微笑みを浮かべている男が一人いた。


 いつも見慣れた彼の優し気な笑みに、側にいる者たちは狂気を感じてじわりと後ずさり始める。



 そして。


 とある一角では焦った声で話を交わしている人々がいた。

 そこはガートルードの実家、オズボーン侯爵の家門の席だ。


「これはいったい、どういうことだ…、カール」


 当主ケヴィンは小声で息子に詰め寄る。


 カールは年の近いネルソン侯爵の新当主アランと親しく、そこから全ては始まった。


「…わ、私も驚いて、何が何だか…。まさか、こんなことになっていたなんて…」


 青ざめ、うろたえる親子の元へ、突然ひとりの男が割って入る。



「カール。あれほどネルソンと関わるなと言ったのに、なぜ聞き分けなかった!」


 カールとガートルードの母であり、オズボーン侯爵の妻である、今は亡きマグノリア夫人の兄、トゥール伯爵だった。


「トゥールよ、下がれ…。今はそれどころでは…」


 元妻の実家とはいえ格下の伯爵などから跡継ぎがこのような場で堂々と叱責されることに怒りを感じたケヴィンは肩を押すが、トゥール伯爵は顔色一つ変えないばかりか一歩も引かない。


 無礼にも割り込んだ男を家門の騎士たちは扱いに窮す。



「妹の名誉のためにと口をつぐんだ私が愚かだった。いや、トゥール伯爵家は今までネルソンの密偵に監視されていたからもあるが、こうなったらもう秘匿の必要はどこにもない」


 ネルソン侯爵家の前当主のゲイリーはヘイヴァース公爵家への暴挙の責で蟄居。


 現当主アランは今、醜聞にまみれ、この場で断罪されようとしている。



「王家は、どこまでご存じなのかわからぬが…。オズボーン侯爵家は、もう終わりだろう。せめて血のつながった甥と姪だけでも救いたかったが…」


 トゥール伯爵家はこの国では中堅程度の家門だ。


 美貌の誉れ高いマグノリアはケヴィンたっての願いで格上の公爵家へ嫁いだものの、妊娠すると飽きられ、さほど関心を持たれなくなった。


 ケヴィンの姉が離婚して戻り家政を握っていたこともあり、冷遇されないものの置物扱いで存在感は薄く、ガートルードを産んだ後に亡くなり、異例なことながら遺骸をトゥール伯爵家が引き取り、互いの家の関係も希薄なままだ。


 まさか、この一大事の最中にここまで出しゃばる男とは思ってもいなかったケヴィンは、ただならぬものを感じ、さすがに尋ねる。


「いったい、何が言いたいのだ。はっきり申せ」


 促されて、声を潜めトゥール伯爵は語り出す。



「では言わせてもらいます。妹は、カールを産んでようやく体調が戻ったころ、気分転換に出かけた庭園でゲイリー・ネルソンにさらわれました。

 解放されたのは三日後。

 我がトゥール家から送った護衛の騎士と侍女は当然殺されたにもかかわらず、オズボーン侯爵家は一切関心がなかったようで、外出に同行しなかったため関わらなかった侍女の一人の通報でことを知った両親がすぐに捜索しなんとか妹を保護しました」



「……!」


 オズボーン父子は衝撃の事実に、血の気を失う。


「まさか……そんな……」


 ケヴィンは悪阻に苦しむマグノリアが醜いと遠ざけ、新たな恋に夢中になっていた。


 姉も、静養を口実にマグノリアを別邸に押し込み、乳飲み子を取り上げた。


 このころのマグノリアに対する記憶は一切ない。



「産後の肥立ちが悪いようなので我が家で静養させると、侯爵家へ知らせると、いくらでもどうぞと言われ、オズボーン侯爵も姉君も、それから二年余り、儀礼的なやりとりはあるものの一切様子を尋ねて来られませんでしたな」


「今は嫌味を言っている場合か。はっきりと言え。それがなんなんだ」


「我が領内の隠れ里で、狂気に片足を突っ込んだまま妹は産みましたよ、男児を。それはそれは美しい夏の空を思わせる色の髪と瞳の、ね」


「―――――!」


「ネルソンの手の者が我が領内に紛れていたらしく、直ぐに妹と男児は攫われました。今度はその場にいた使用人全員虐殺されてね」


 それは明らかに見せしめだった。

 他言は無用との。


「しかし数日後、悪阻と心の病で見た目が大きく損なわれた妹はネルソンの騎士たちにより我が家へ届けられました。私たちは、妹が無事なだけで良かった。このまま離縁させて引き取るつもりでしたが…」


 度重なる惨劇に高熱を発し、生死の境をさまよったマグノリアは。


 拉致されてからの全ての記憶を失っていた。


 それにより元の朗らかな表情へ戻ったのをみたトゥール家の人々は全て封印することに決めた。


 そして、つかの間の恋に飽きたケヴィンが妻を思い出し、花束を抱えて迎えに来た時、マグノリアは――。



「まさか、まさかまさかまさか! そんなはずは!」


 アラン・ネルソンは先ほどガートルードの中から出て来たモノを抱いて号泣していたボイド子爵夫妻の子どもで、男児のいないゲイリー・ネルソンが養子縁組して後継者とした男で。


 オズボーンとネルソンとのつながりは。


「ネルソンは。あの父子は。全てわかってやった。アレは。アレらは、悪魔だ…。マグノリアは産む器にされた…。だから、トゥール家は一切関与していないと。もし罪を問われたなら、私は奏上する」


 吐き捨てるように告げると、トゥール伯爵は二人に背を向け、立ち去った。


「ガートルード…」


 マグノリアに生き写しの絹のようなホワイトブロンドとラベンターの瞳。


 面差しは清らかで、『白百合の聖女』と誰もがたたえた。


 しかし。


 今、彼女は髪を振り乱し、血にまみれながら笑っている。

 涙をあふれさせた紫の瞳は踏みしだかれた花のように濁っていた。



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