紫の光の矢

 

 

 聖堂内に重い沈黙が下りる。


「……そんな…。ばかな……」


 ジュリアンの、切れ切れの独り言が聞こえるほどに。


「ならば、いったい誰の子だと言うのだ。あの化け物は、いったい……」


 ゆるゆると後ずさり、ジュリアンは恋人から離れていく。


「ジ、ジュリアンさま……」


 気配を感じたオリヴィアは慌てて振り返り手を伸ばすが、触れる直前で彼はさらに後ろへと飛びのいた。


「いや……。信じて……。私の身体は貴方だけのもので……」


 姿はすっかり乱れてしまっていても、オリヴィア・ネルソンは美しい。

 床を這いつくばいながらも、はらりはらりと水晶の涙を落とした。


 ジュリアンは愛する人の泣き顔に心が揺れ、こくりと喉を鳴らす。

 自分は今、酷いことをしてしまった。


 しかし、王が冷徹な命を下す。


「埒が明かないようだな。指輪に課せられた術について、更なる説明を加えよう。ハーマン、続きを」


「はい。直ちに」


 魔導師と司祭たちが再びオリヴィアとジュリアンの周りをぐるりと囲み、歌のようなものを唱え始めた。

 高く低く高く…そして、地を這うような低音。

 幾重にも編まれた音の渦の中で二人はただただ口を半開きにして動かない。

 そして音の積み重ねがやがて聖堂いっぱいに満たされた瞬間、再びハーマンが錫杖を床に叩きつける。


「指輪よ。秘する者たちを開示せよ」


 枢機卿の朗々たる声が音を分かつと、オリヴィアの指輪から紫色の強い光が発せられた。


「きゃあっ」


 悲鳴を上げてオリヴィアは転がり、指輪を外そうともがく。


 ジュリアンは中途半端に女に向かって手を差し出したまま固まる。


 次にいったい何が起こるのか。

 想像できないことがまた始まるに違いない…。


 絶望がじわじわと彼を染め始めるなか、ジュリアンの耳元をヒュンと音が走った。


「な、なんだ?」


 音を追って振り向くと、紫の光が矢のように飛んでいく。

 多いのか少ないのかわからない。


 いくつかは天井に当たって消え、いくつかはまるで目的をもっているかのように人を目指す。

 それらはなぜかジュリアンの知っている男たちに向かっていた。


 まずは、元婚約者であるエステルの護衛騎士だったデイヴ・バリー。


 そして―――。


 ネルソン侯爵家の新当主であるアランの胸にひときわ太くて強い光が当たり、彼の全身を包み込む。



「な……」


 アラン・ネルソンであったものが紫の光に包まれ、それは膨らんだり縮んだりしている。


「いやあああ。やめて、やめて……っ。お義兄さまは違うっ!」


 指輪からはまだ光の矢が生まれている中、オリヴィアは激しくかぶりを振って叫んだ。


「ちがうの、ちがうのよおお……」


 オリヴィアの慟哭に応えるかのように光はやがて薄まり、ネルソン家一の美青年が現れる。


 しかし、そこにいたのは。


「いやあぁぁ―――。アラン、アラン。なんてこと……」


 義妹の悲鳴に、アラン・ネルソンは己の両手をまじまじと見つめる。


 なんと彼の顔から指先まで見えている部分の右半分が紫色に染まっていた。


 いや違う。

 紫色の細かい鱗に覆われていた。


 それは。

 先ほど産声を上げた禍々しい赤ん坊の皮膚と同じ……。


 それだけではない。

 彼の髪と瞳は夏の青空色。

 まさに、まさに。

 そのものではないか。



「なんだ、これは……」


 己に何が起こっているのか解っていないアランは両手で顔を探り、首や腕を何度も確かめる。


「これが、指輪の力の一つだ。オリヴィア・ネルソンと交わった者は、そのしるしが身体に浮かぶ。忠誠を誓う程度の口づけは影響ないが…。例えば唾液を交わした程度なら舌に紫のうろこが生えているだろう。ようは体液を交わらせた場所に呪術がかかるのだ」


 王の淡々とした説明に、ざわりと空気がざわめく。


 ネルソン家のオリヴィア姫は清純な外見が魅力であり、王子と恋仲である以上、不埒なふるまいを彼女に行うなどあり得ない。


 しかし、彼女と浅からぬ情を交わした男が多くいることは先ほど指輪からあふれ出て行った光の矢が証明している。


 心当たりのある男たち、いや、実際に紫の光の矢を受けた者たちがここには幾人も存在するのだ。


 その一人であるデイヴ・バリーの唇は、罪の色でまだらに染まっており、彼は思わず片手で覆い隠した。


 そこへ、男の悲痛な声が響く。



「アラン、お前はなんという不敬を…!」


 ネルソン家の席から中年の男女が転がるように内陣近くまで走り出てきた。


 二人はアランが後継者として指名される前まで彼を養育していたボイド子爵夫妻だった。

 彼らはネルソン家の家門でも下位だが、ボイド子爵自身は前当主の一つ違いの弟だ。


 血筋と地位のちぐはぐな夫婦は、派手な家風のネルソンに縁があるとは思えないほど質素な身なりで床に跪いた。



「我々のような者がこの場に割り込む無礼をどうかお許しください。王家、ならびにここへ列席しているすべての皆様へお詫びします。私、ジャック・ボイドは息子の育て方を間違えました。そのせいでこのような…。国を揺るがす事態となりました。あまりのことに、申し開きようがありません」


 床に両手をついて壇上の王たちへ夫婦で詫びる。


 しかし、当のアランは苦虫を嚙み潰したような顔で彼らを見つめていた。


「…ボイド子爵夫妻よ。立ち上がり、顔を上げよ。そなたたちには罪はない。よって今は引いてくれ。あのさまを見てさぞ驚いただろうが…。すまぬが、まだ明かさねばならぬことがある」


 諭され、二人は目を見開く。


「承知いたしました。動揺のあまり、審議の場を乱し申し訳ありません」


 王の指示により騎士たちに導かれてボイド夫妻は後方へと下がった。



「さて、アラン・ネルソン侯爵。そなたはこの事態をどう思う?」


 異様な姿に変えられてもなお、美しい造作の顔を露わにし、堂々と背筋を伸ばす長身の男に人々の視線は集まる。


 

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