第二王子ウォーレン
エイドリアン・ヘイヴァース公爵が去りし後、王は静かに宣言した。
第三王子ジュリアンとネルソン侯爵令嬢オリヴィアとの婚約式を三日後に王宮内大聖堂で執り行い、その後、可能な限り急いで結婚式の支度をすると。
婚約式には主だった貴族はもちろんのこと、謹慎中のネルソン前侯爵の出席を許す。
逆に、ヘイヴァース公爵は喪中にて領内に留まり慶事に参加する必要はない。
王の決断に、人々はざわめいた。
公女の葬儀に貴族の当主は誰も参列せずともよいというようなものだ。
この婚姻を機にネルソン侯爵家が公爵へ復位するのではないかという憶測がたちまちのうちに広がる。
おもねるべきはどこか。
互いに目を交わし合う。
その間も王太后は椅子に背を預け、黙って見つめていた。
渦中の恋人たちは手を取り合うと喜びの口づけを堂々と行い、固く抱き合った。
「これほどとはな」
部屋の中へ一歩踏み入れて、第二王子ウォーレンは不快気に眉をひそめる。
扉の前に立ち、取手に手をかけた時にすでに違和感があった。
この先は第三王子の婚約者であるエステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢の王宮控室。
それにもかかわらず、すでに廃れた気配がしていた。
一呼吸おいてから押し開け、見渡したそこは。
とても王宮の高位貴族の一室と思えない程に荒らされた後だった。
引き出しは開けられて中をぶちまけられ、倒された椅子、散らばった花、隣の寝室はベッドカバーをはがして枕を投げ出し、更に奥のドレスルームはもっと悲惨だった。
罪人として宴で引っ立てられたのを見た者たちがこぞって略奪したのだろう。
彼女は二度とこの王宮へ帰ってこないから何をしても良いと思ったのか。
仮にも王宮務めに選ばれた者のすることではない。
「今すぐ全てを記録し、帳簿と照合し、王都の商人たちに情報を流せ。些細な物でも売りに来た者を捕らえもしくは情報を差し出せば報奨金を出すと伝えろ」
同行している文官や騎士たちへウォーレンが命じると、彼らはすぐに手分けして動き出す。
この王宮に置いてエステルの部屋の中にあるもののほとんどは公爵家から持ち込んだものではない。
婚約者として選定したその日に王が命じて最高の設えをさせ、王妃がドレスルームを開いて心を尽くして支度した。
二年後からは長兄である王太子ハドリーと王太子妃サスキア、そしてウォーレンが常に気を配り、エステルや公爵家の侍女たちと話し合いつつ文官たちに銘じて整えさせた。
要するに、国の税金をエステルのために割り当て購入した物を盗み出したことになる。
「まさか、これも計算のうちだと言うのか……」
自らの額に手を当て、アイスグリーンの前髪をくしゃりと掴む。
王太后アレクサンドラがこの一連の騒ぎを見過ごしていたわけではないのは明らかだ。
祖母はここ一年の間に肉体的にずいぶんと衰えた。
だからと言って脳まで俊敏さを失ったとはとうてい思えない。
ジュリアンとオリヴィア、そしてネルソン侯爵家。
さらに……。
エステルほどではないが幼いころから王太后の厳しいしごきに遭っていたウォーレンには解る。
彼らは泳がされただけに過ぎない。
そして、もう間もなく。
王太后は網を一気に引き上げるだろう。
「エステル……」
王太后にとってエステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢は餌でしかなかった。
自分がこの世を去る前に大鉈を振るうための。
「エスター。頼むから」
ウォーレンが六歳の時に、父と兄と三人でヘイヴァース公爵領を密かに訪れた。
あの日は、父の異母妹であるレイラ姫が初めての出産を無事終えて十日ほどだったか。
美しい叔母の腕の中で、ちいさなちいさな赤ん坊が金色の瞳を開いてウォーレンたちを出迎えた。
なんて美しい瞳だろう。
兄と二人で見とれた。
赤ん坊は末のジュリアンを見たことがあるが、これほどに惹かれはしなかった。
その後も時々、今は他国に嫁いだ一番上の姉も交え、何度お忍びで叔母とエステルに会いに行っただろうか。
窮屈な王宮と違い、ヘイヴァース領は心地よく、そこで過ごすひと時は何にも代えがたいものだった。
裸足で野原を駆け、花を摘んだ。
真っ青な空の下でエステルが太陽のように笑っていた。
「これは……」
寝台の影から小さな耳飾りを片方見つけてウォーレンは拾い上げる。
エステルの髪の色を思わせる、ラピスラズリがはめ込まれたシンプルな意匠。
ずいぶん昔にウォーレンが贈ったものだった。
「エスター」
目を閉じて、ラピスラズリにそっと唇を当てる。
死んだなどと、信じない。
あれがあの子の全てだと、どうして断じてしまえるか。
どうか、無事でいてくれ。
そして。
心から願った。
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