あがく
暗い森の中をエステルは裸足で走る。
ドレスを脱ぎ捨て、余分な裾を膝近くの長さに裂いた上衣を下着の上に巻き付けた裸同然の姿で坂を駆け上った。
目指すは、最果て。
ジュリアンと彼の取巻きたちの思惑など分かっていた。
これほど派手に断罪劇をやった以上、早々にエステルを処分し、ヘイヴァース公爵家の力をそぐだろうと。
家の事はもうどうにもならない。
あとは、最期まで自分らしくあるためにあがくだけだ。
エステルの予想通り、近衛のダニエル・コンデレと公爵家の騎士デイヴ・バリーを責任者にさせて八人の素行の良くない警備兵を付け、特命を発令して辺境へ転移させられた。
彼らにはこの任務を無事終えたら地位や報酬が約束されているらしく、誰もが浮足立っている。
ハドウィクの騎士たちは真夜中の転移と強制送還に不審を覚えこまごまと問いただして出発を後らせようとしているが、最後は王家の指令書の前に屈した。
真夜中のピクニック気分の警備兵たちはこの先の『おたのしみ』のことで頭がいっぱいになっているのは明らかで、この先の道がどれほど危険か全く理解していない。
「おろかなこと……」
被せられたフードの下でエステルはひそりと呟いた。
これから始まるのは惨劇のみ。
彼らのほとんどは朝日を見ることもできない。
エステルにとって幸運だったのは、事故に見せかけるために馬車の籠の中を独りにされたことだった。
男たちは全員大柄でそれなりの体重があり、一番小柄な男が御者になった時点でとにかく速く走らせるのも目的の一つだと知れた。
出発するなり彼らは悪路をひた走る。
馬車は飛び跳ねながら進み、深窓の令嬢ならとっくに気を失っているであろう乗り心地の中、エステルはまず後ろ手に拘束していた縄を外した。
関節を外せば可能なことは経験済みで、何度も何度も練習させられた。
手の感覚が少し鈍いままでも次の作業にとりかかかる。
時間がない。
予想より頑丈な造りのようだが、車輪が外れた瞬間にパーティーが始まる。
身体のあちこちをぶつけながら、靴を脱ぎ、フードとドレスを裂く勢いで脱いでいく。
コルセットを外し濃紺のスリップ姿になると、クリノリンを裏返し、靴のかかとを突き刺す。
ヒールを使って糸を切り針金をいくつか取り外し、床に押し付け折り曲げる。
耳を澄ましてまだ余裕があると判断すると、次に上衣の分解を始めた。
総レースの下に目の詰まったシルク生地があり、身体に添うように細かく裁断され縫い合わせられているので、糸を切り一部は布を裂いてひざ丈程度に調整する。
『ギィィィィイ――』
車軸が悲鳴を上げ続けている。
少し前から勾配がだんだん上がってきていることを車内の傾きで感じながら、エステルは上衣に袖を通し、切り裂いた布で縛って前を止める。
膝から下は素足で、髪はコルセットの紐を使って邪魔にならないようにまとめた。
裸同然で娼婦ですらありえない格好だが、ドレスのままでいる方が不利だ。
おそらく、彼らは修道院へは向かわない。
人の通らない悪路をわざと通り脱輪させ、瀕死の状態になったところを弄んで馬車ごと渓谷に落とすだろう。
ドレスの残骸を隅に寄せ、フードマントで全身を覆い、その時を待つ。
『バキイ!』
とうとう車軸が折れた。
馬車が横倒しになるなか、なんとか受け身の体勢を取る。
護送用の馬車故に窓ガラスには仕掛けがされていたらしく、有難いことに割れなかった。
エステルは箱の中の死角になる場所に身を寄せ、息をひそめる。
九頭の馬の動きが止まり、何人か下馬してこちらへ向かう足音。
しばらくして、誰かが馬車の上に乗った気配がする。
「さてと。お姫様はどんな感じかなあ?」
扉をすぐに開けるかと思いきや覗き込むだけ。
落胆しながらもいつでも飛び出せるように構え、耳を澄ます。
しかも、警備兵と上位騎士で仲間割れを始めた。
ここで殺し合いを始めてくれれば、その隙に乗じて逃げることは可能だが、デイヴたちはあっさりと拘束されて落着してしまった。
しかし戦力が二人減り、残りの八人がかなり油断しているのは手に取るようにわかる。
「お嬢ちゃんたちはゆっくりそこで観覧してな。終わったら解放してやるからよ」
もう一人が馬車の上に乗った。
二人まとめてやるしかない。
エステルは扉を見つめ、左手はドレスの残骸、右手はクリノリンの針金で作った暗器を握りこむ。
『ギギ――』
来た。
『その時』だ。
エステルは膝を思いっきり曲げた後、跳躍した。
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