動かぬ証拠



「面白いことを仰るのですね。そこにネルソン侯爵令嬢を侍らせておられる殿下のそれは、いったいどのような理由なのでしょう」


 わずかに口角を上げて指摘すると、バルコニーに両手をかけて今にも飛び降りんばかりの勢いで食いついた。


「黙れ! オリヴィアはお前の不貞行為に悩まされ夜も眠れぬ私の心労を癒すために傍にいてくれただけだ。お前のようなあばずれとは違う!」


 躾のなっていない犬のように吠える姿を晒したところで、彼が第三王子であることは変わらない。

 オリヴィアは両手を握り合わせてはらはらと涙を流した。


「ジュリアン様、おかわいそうに……」


 ぱちりと開いた大きな瞳は涙とシャンデリアの光できらきらと光り、それがますます庇護欲をそそる。

 振り向いて彼女を見た途端相好を崩し、ジュリアンは満足げに腰を引き寄せ額に口づけを落とす。


「ありがとう、オリヴィア。お前は私の天使だ」


「ジュリアン様……」


 オリヴィアは頬を染め、うっとりと応じひとりを見つめた。



 ――いったい何を見せられているのか。



 余興どころかずいぶんと退屈な三流芝居だとエステルは内心ため息をついた。

 詭弁なのはこの場にいる誰もが分かっているし、色々と雑過ぎる。

 しかし、王子の蛮行をいさめるような気骨のある者はいない。

 誰もが固唾をのんでこの先の展開を見守る、いや、愉しむのみだ。


「あばずれ、ですか」


 ゆっくりと首を傾げ、青く塗られた指先を頬に当てた。


「いったい何を証拠に仰っているのか、お尋ねしてもよろしいですか?」


 いたずらに過ぎる時間が惜しい。

 エステルは、ジュリアンの筋書きに乗ることにした。

 彼は、きっと。


「ははは! 証拠だと? 山ほどあるわ。お前と寝た男をいちいち全員並べるのは時間の無駄だ。とりあえず、一番の被害者を出してやろう」


 にたりとジュリアンは嗤い、高らかに宣言する。



「いでよ、バリー伯爵令息、デイヴよ!」


 王子が大仰に肩手をあげて指し示した先に、扉の前で別れた護衛騎士が胸元に手を当てて頭を下げていた。


 参加者たちはいっせいにどよめく。

 長きにわたって公爵令嬢の護衛として顔の知られている男だ。

 これ以上の醜聞はない。



「やはり……ね」


 噂雀たちのさえずりがかしましいなか、エステルは呟く。


 やはり、お前は駄犬だった。



「それで? これが一体何なのでしょう」


 エステルは閉じた扇をデイヴ・バリーへ向けた。


 彼はこの騒ぎのなか密かに紛れていたらしく、エステルを囲んで大きな輪になっている招待客の群れからすんなり抜け出て、女主人と一緒にこの大広間最大のシャンデリアの灯りに照らされる。

 二人がスポットライトに当てられているかのような状態。

 いや、そういう段取りなのだ。


「お嬢様……」


 苦しそうに顔を歪めたデイヴはいきなり床に両ひざと両手をついて頭を下げた。


「申し訳ありません。これが家臣の務めと言われても、私は耐えられませんでした」


 肩を震わせて見せる男を冷たくエステルは見下ろす。


「お前は……犬だと思ったけれど。猿だったのね」


 ざわりざわりとざわめきが膨れ上がる。

 その様子に己の立場の有利を確信した王子は高笑いした。


「ははははは。聞いたか皆のもの。これがエステルの本性だ! 長年身骨砕いて仕えていた忠実な騎士に犬だの猿だの罵倒するような女に王子妃の資格などないだろう」


 調子に乗ったジュリアンの口はさらに滑らかになる。


「お前はその忠臣を寝台に引きずり込み、共寝を強要した。拒み続けるバリーに伯爵家を潰されたくなかったら言うことを聞けと迫ったらしいな」


「そんな記憶は、まったくございませんが……」


 エステルの呆れはてた声は、ジュリアンの勢いを増すだけだ。


「他にもあるぞ。媚薬を盛ってことに及んだり、婚約者を襲わせて仲を裂いたりもしたそうだな。令嬢にあるまじき淫行だと調査に出ているぞ」


「いったいどなたの事なのでしょうか、それは。私は全く心当たりありません。あいにくどう考えても、殿下の都合の良いように作られた話にしか思えないのは私だけでしょうか。 長年この婚約を白紙に戻したいと公言しておられたのは殿下、貴方様です」


 あくまでも淡々とした態度を貫くエステルに、ジュリアンは拳を何度もバルコニーに叩きつけ、怒りを爆発させる。


「黙れ黙れ! ここで引き下がって素直に罰を受けおれば、少しは優しい刑にしてやったものを。私の慈悲を無下にしたのはお前だ。デイヴ・バリー、立ち上がるがよい、発言を許す。証拠として、寝た者にしかわからぬその女の身体の特徴を述べるが良い!」


 観客たちの熱気は最高潮に上がった。

 流行に流されず、常に修道女又は女教師のように慎み深いドレスばかり身に着けていたエステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢。

 彼女の身体の秘密を、事細かに述べよというのだ。

 誰もが興奮を隠しきれない。


「……はい。その御方の……。右の乳房の下部に一つ、小さな黒子が。そして左膝裏にも二つ。それから……」


 ジュリアンに促されるまま、たどたどしくも具体的に応えはじめたデイヴをエステルは表情を変えぬまま眺める。


「ずいぶんとすらすら簡単に挙げられるのこと。私に強姦されたというわりには」


「な……」


 デイブは目を見開き、エステルを振り返った。


「まるで、誰かに教えてもらったみたいね? デイヴ・バリー」


 金色の瞳はただ平らかに光るのみ。

 怒りも悲しみも何も浮かんでいない。


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