【神田夜宵視点】借り物競争②
体育祭だ。
一年の中で、萩ちゃんが一番輝くイベント、体育祭がやって来た。萩ちゃんは日常的に色んな部活から「ぜひとも我が部に!」と勧誘されるほど、運動神経が抜群なのである。助っ人くらいなら、とたまに引き受けているけど、断固として入部はしない。どうして? と尋ねると、「練習とかだるいし、上下関係が嫌」とのこと。ああ、まぁ確かにそういうのは煩わしいかもだよねぇ。
とにかく、萩ちゃんはすごいのだ。ここが共学だったなら、このイベントで恐らく校内の女子が全員萩ちゃんのことを好きになってしまうだろう。それくらいに恰好良いのである。あっ、でも、男子校だからって油断出来ないよね?! 僕知ってるんだ、実は同性のカップルも何組かいるらしい。らしいっていうか、ウチのクラスの南雲君となゆ君がそうだ。二人が手を繋いでるところにばったり遭遇しちゃって、それで、こっそり教えてもらったのである。その流れで「俺ら以外にも案外いるんだぜ」って。
だから、ここに女子がいないからと言って安心は出来ない。
しかも今年は――、
「今年は敵だね、
別チームなのだ。
ウチの学校は二年生から特進クラス(AB組)と普通クラス(CD組)に分かれるのだが、特進クラスはやはり普通クラスと比べて運動が苦手な生徒が多い。そのため、それぞれから一クラスずつを組にして三学年分まとめたものを一つのチームとしている。僕らAD組が白、萩ちゃんのBC組が赤だ。
萩ちゃんの首にかかっている、緩いネクタイ結びの赤いはちまきが揺れる。騎馬戦の時以外は頭に巻かなくても良いことになっているので、皆同じようにして首から下げている。僕もだ。
「萩ちゃんほんと頼りになるから、敵になるとおっかないな」
「いやいや、夜宵だって頭使うやつは強いだろ」
「頭を使う競技なんてないよ」
「騎馬戦とかさ。俺は夜宵が参謀としてついててくれないと、マジで真っすぐ突っ込むだけの猪だからな」
「猪って……、もう。萩ちゃんは人間でしょ」
まさか自分のことを猪なんて言うとは思わなかったけど、確かにまぁ萩ちゃんは良くも悪くも真っすぐすぎるのだ。こちらが指示を出せばそれをしっかり遂行する器用さはあるんだけど、それがなければ本当に真っすぐ突き進んでしまう。それでも案外どうにか出来ちゃうのが萩ちゃんのすごいところではあるんだけど。
「萩ちゃんはこの後、リレーの他に何出るの?」
「俺はあと、借り物競争と百メートル。夜宵は?」
うわぁ、もう恰好良いのばっかりだ。萩ちゃんが走ってるところなんて、もう絶対全校生徒が見とれちゃうやつじゃないか。もっとこう……玉入れとか綱引きとかあったじゃん! ああでも、萩ちゃんが走ってるところは僕も見たいしなぁ……。
「僕は玉入れと騎馬戦」
「うわ、夜宵、騎馬戦出んの?」
「出ないつもりだったんだけど、無理やり……」
「うう……。夜宵が出なけりゃ勝てると思ったんだけど……お前の作戦エグいんだよなぁ」
がく、と萩ちゃんが肩を落とす。待って待って。僕そんなエグいことした覚えなんてないよ?
「いーや! 何かほら、V字に配置して、敵の周りをぐわっと囲むとか、何かそんな作戦立てたじゃんか、去年は。そんで圧勝したろ」
あぁ、まぁ、確かにね。でもあれはさ、大将が萩ちゃんだったから出来たやつだから。言い方はアレだけど、ぶっちゃけまぁ、囮っていうかさ。だけど、萩ちゃんなら絶対にはちまき取られることなんてないと思ったし! ていうか実際に取られてなかったしね?!
というようなことを説明すると、萩ちゃんは、「そりゃあ一対一なら負ける気がしねぇからな!」と得意気に胸を張った。こういう素直な反応もものすごく可愛い。
だけど、その手は今回は使えない。なぜなら。
「僕なんだよね」
「は?」
「大将、僕なんだ」
僕なのである。
いやいや、僕なんてどう見ても大将タイプではないよね?!
「はぁ?! なんっ、何で?! 夜宵かよ!」
そりゃあ萩ちゃんだってそんな反応になるよね。そりゃそうだよ。
「うん、何かそういうことになっちゃって」
「いやいやいやいや! そっちにもいるだろ! 何かすげぇやつ! 村井(サッカー部)は?!」
「南雲君は代表リレーに出るって。あと借り物にも出るし」
陸上部は代表リレーに出られないから、それ以外の運動部が選ばれるのである。ウチのクラスの南雲君も萩ちゃんには負けるけど、サッカー部のエースだけあって足は抜群に速いのだ。
「あの野郎! えっと、あと、ほら、山田(D組・野球部)とか、島崎(A組・野球部)とか、三船(D組・ボート部)とか!」
「その山田君と島崎君と三船君が馬なんだよね。だからまぁ、土台はしっかりしてるというか」
神田なら軽いから楽勝だな! ってむしろ言われたくらいだよ……。
「土台がしっかりしてても! あああ、もう、マジで怪我すんなよ夜宵ぃ。落ちるなよ? ちゃんとしがみつけな? いや、ていうかもう逃げろ! 棄権しろ、棄権!」
「ちょっともう、何でそんなこと言うの? どうしたの萩ちゃん」
「だって、ウチの大将、角田(ムキムキ空手部)だぞ!」
「……わぁ、そうなんだ」
成る程、角田君か。確か、空手部のあのでっかい人だよね。あんないかつい癖にさ、可愛いものとか大好きなんだよ、可愛くない? って同じ図書委員の
「まぁ、何とかなるよ。僕だって男なんだし」
むしろ、うん、角田君か。角田君なら何とかなるかも。
「男、だけどさぁ」
「それとも萩ちゃんには、僕がそんな頼りなく見える?」
「見えっ……なくはないけどさ」
とりあえず、真正面から戦ったら負けるのは確実だから、やっぱり僕を囮にして数人で囲んだ方が良いだろうな。だけど、向こうだってそうやすやすと背後をとられるわけはないだろうし、僕が囮だということにすぐ気付くだろう。弱そうな
ただ、角田君がイメージ通りの猪突猛進タイプじゃなければ、この作戦は使えない。一応、慎重派だった時のためにもう一パターンくらい考えておいた方が――、
「夜宵のことは」
!?
戦い方を模索していたら、急に両肩を掴まれた。
焦ったような、困ったような、苦しそうな顔をした萩ちゃんが、僕の顔を覗き込むようにして見つめている。
「ちゃんと男だと思ってるし、案外やる時はやるやつだって頼りにもしてる。だけど、心配なんだ。角田は悪いやつじゃないんだけど、俺みたいな単純馬鹿だから、絶対真正面から突っ込んでくしさ。空手部だし、夜宵に万が一のことがあったら――」
萩ちゃんは、額にうっすらと汗まで浮かべて必死だ。そんなに僕のこと心配してくれてるんだと思うと、何だか愛しさが込み上げてくる。と同時に、胸がぎゅっとなって苦しい。萩ちゃんが僕のこと、親友として大事に思ってくれてるのが痛いほど伝わってくる。でもね萩ちゃん。あんまり大事にされすぎると、僕、勘違いしちゃうからね? もしかして萩ちゃんも僕のこと好きだったりしないかな、なんてさ。
駄目駄目。
勘違いするな、神田夜宵。
僕は男だ。
何度もそう言い聞かせて、「大丈夫だよ萩ちゃん」とその肩を叩く。
萩ちゃんほどタフでもないけど、そんなにヤワじゃないから。
だって、男だから。大丈夫。
「いまので確信持った。大丈夫、絶対大丈夫。僕は絶対に角田君に負けない。だから逆に萩ちゃんは自分のチームの心配をした方が良いかもよ?」
余裕ぶって、軽口を叩く。勝てると思ったのは本当だけど。
「大将が角田君なら手加減しなくて良いよね?」
角田君が萩ちゃんと同じタイプなんだったら、勝てる。……って言うと語弊があるけど。でも、要は、真正面から正々堂々と戦わなければ良いのだ。囮を使って、数を味方につけて、さんざん翻弄させて隙を突けば良い。
あっ、もちろん、萩ちゃんにだったらそんなことしないよ。脇目も振らず真っすぐ突き進める素直さは、萩ちゃんの良いところだ。名前に『矢』がつくだけあって、目標に向かって一直線なのが、彼らしい。萩ちゃんと一騎打ちすることなんてこの先もたぶんないとは思うけど、そんなことがあったら、僕は策なんか全部捨てて、白旗を振ると思う。惚れた方が負けって、決まってるから。
とりあえず角田君だったら、うん、そうだね。たぶん僕を見て完全に油断してくれると思うから、むしろそれを狙っての布陣ではあるんだけど……、うん、オッケー、固まった。イケる。
そんなことを呟いていると、萩ちゃんが何やら不安そうな顔でこちらを見つめて来る。
「え、いや、あの、夜宵?」
いけない。
いまの聞かれてたかな。
大丈夫だよ、大事なクラスメイトだもんね、怪我なんてさせないよ。空手部のエースだし、うん。
「萩ちゃんが出るんなら、負けても良いから正攻法で行こうと思ってたけど、いないんだったら話は別だよ。騎馬戦は
見ててよ萩ちゃん。
萩ちゃんがいなくてもちゃんとやれるってところ見せるからさ。だからそんなに心配してくれなくて大丈夫。これ以上僕を勘違いさせないで。
無理やり笑顔を作って、親指を立てる。
「角田に夜宵には注意しろって言っとくわ」
「ふふ、注意するのは僕だけで良いのかな?」
「何だよ、そんなこと言われたら周囲が皆敵に見えてくるだろ」
「あはは、それが狙いだもん。大丈夫、僕にだけ注意してれば良いんじゃない?」
「それも罠だろ、どうせ。良いや、とりあえず夜宵が大将とだけ言っとく」
「それくらいが良いかもね。あ、ねぇ、萩ちゃんが出るやつは、僕普通に応援するからね。敵でも」
駄目って言っても応援するけど。
すると萩ちゃんは「夜宵の応援があれば負ける気がしねぇ」なんて返してくるんだ。こういうことをさらっと言ってくるから、ほんと心臓に悪い。
俺らの方が優勝するかもしれないぞ? なんて悪い顔をするもんだから、僕だって負けじと言い返したりして。本当は勝ち負けなんてどうでも良い。ただ、萩ちゃんばっかり恰好良いのずるい。どんなに気持ちに蓋をしても、僕の『好き』はどんどん膨らんで溢れてしまう。ねぇ、萩ちゃんも僕のこと、好きになってよ。
「お前だって十分カッコいいよ。くそ」
そんなことを返してくる萩ちゃんは、僕の気持ちになんて一切気付いていないような屈託のない笑みを浮かべて、立ち上がった。
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