中編(リリア)

 まるで魔法が解けたようだった。リリア・ホッジズは惨憺たる状況を前にして、そう思った。


 実際のところ、まだ魔法はかろうじて解けていない。しかし魔法が解けていたからの惨状なのだと言われたほうが、マシだった。


 リリア・ホッジズは魅了魔法の使い手だ。とは言っても、リリアの手に触れた人間の胸中に、なんとなくの好意の感情を芽生えさせるていどの力しか発揮できない。


 けれどもそのていどでも、リリアにとっては強力な武器だった。本物のお嬢様のような生活は望むべくもないが、魅了魔法のお陰で飢えたことはないし、それなりに着飾って暮らすことができていた。


 その魅了魔法にもっと上手い使い方があると思いついたのは、もっといい生活をしたい、もっといい思いをしたいという欲望からだった。


 これまで通り、慎ましく、ほどほどに使っていれば、破滅がリリアを見つけることはなかっただろう。しかしそうはならなかった。


 「それなり」のいい思いをしていたころで、止まっていればよかった。リリアは後悔するが、今さら悔いてもすべてが遅かった。


 端的に言えば、リリアは増長したのだ。長年にわたって魅了魔法を使い続けてきたがゆえに、それを使いこなせる自分を無敵だと錯覚した。加えて、自分がさる子爵家の血を引く落胤だとわかったことで、舞い上がってしまった。


 魅了魔法でやりくりしながらの生活ではなく、本物のご令嬢の生活ができる。


 そう思っていたころで、止まっていればよかった。でも、もっと、もっとと欲が出た。それは王立学園に転入して、マリア・ウィンズレットと出会ったことで頂点に達した。


 リリアと同じピンクブロンドの髪を持つマリアは、名前も境遇もなんとなく似ていた。顔の傾向は違っていたが、リリアだって愛らしさでは負けていないと思った。だから、欲しくなった。マリアの立場になってみたいと、思ってしまった。


 手も届かないような、影も踏めないほどの距離があれば、きっとリリアもそんなことは思いはしなかっただろう。けれども現実にリリアはマリアの立場をそっくりそのまま奪うことができてしまった。


 それも、びっくりするほど簡単に。


「これ、あげます。きっとホッジズ嬢に似合うと思って」


 エマニュエル・リントンはマリアの取り巻きのひとりだ。なんでも、マリアとは庶民だったころからの知り合いで幼馴染だという。平民だが抜群に学業に優れており、常にマリアと首席の座を争っている。後見を務める公爵の覚えもめでたく、将来は宮廷の高官になるだろうと言われていた。


 そんなエマニュエルから贈られたイヤリングが転機だった。リリアはすぐにそれが魔法を増幅する力を持つ、魔道具と呼ばれるものだと見抜いた。


 見抜いたが、知らないふりをした。知らないふりをしてそのイヤリングをつけたまま、マリアの取り巻きたちに近づいた。効果はすぐにあらわれて、マリアの取り巻きだった男たちは、たちまちリリアに夢中になって行った。


 知らないふりをしたのは、あとあとイヤリングの効能が衆目に晒されたときに、知らぬ存ぜぬで罪を逃れられるだろうと思ったからだった。けれどもそれは、凡人の浅知恵に過ぎなかった。


「イヤリングをあげた覚えはありません」


 エマニュエルのほうが一枚うわ手だった。エマニュエルは続けてリリアが魅了魔法を使えることを挙げて、魅了状態にされてイヤリングを自分から強引に奪ったのだとほのめかした。


 たしかにリリアはエマニュエルからイヤリングを贈られた。けれども、それを証明する手立てはない。同時に、エマニュエルにもリリアに奪われたという確固たる証拠はなかったが、状況はリリアに不利に働いた。


 マリアから奪った取り巻きたちを、リリアは統率することができなかった。リリアは、自分はちやほやされるだけでいいと勘違いした。褒めそやされて、お姫様みたいに扱われて、有頂天になっていた。


 けれども現実は厳しかった。取り巻きたちも人間なのだ。リリアの寵愛を得て優越感に浸りたいと思うときもあれば、他の取り巻きに嫉妬心を抱くこともある。そういった負の感情をリリアは上手く制御しきれなかった。


 やがてリリアの取り巻きたちは、互いに足を引っ張り合い、陰口を叩き、讒言ざんげんするかの如く、リリアや他の取り巻きに悪口を吹き込んだ。


 リリアはそれらを上手く処理できず、ハッキリしない態度を取り、期せずして片方に肩入れをする形になったりするなどの失態を犯した。


 そうすれば、リリア自身に憎悪の感情が向けられるのは当然の成り行きと言えた。


 そしてリリアが魔法の効果を増幅するイヤリングをつけていることが暴露された。


 エマニュエルが、自身が開発していた魔道具をリリアに奪われたかもしれないと、彼女の取り巻きのひとりに相談したことがきっかけだった。


「ハ、ハメられたの……エマニュエル・リントンに!」

「なぜ俺がホッジズ嬢をわざと陥れるような真似をしなければならないのですか?」

「それは……」


 リリアは言葉に詰まった。頭からは冷静さが完全に失われていて、エマニュエルがリリアを陥れた、もっともらしい理由など出てこなかった。


 リリアは、少なくとも、取り巻きだった男たちを納得させられるだけの反論をすることはできなかった。


 エマニュエルに陥れられたことだけはたしかだったが、なぜ彼がそうしたのかは、リリアにはまったくわからなかった。


 こうして学園のカフェテリアという衆人環視の中で、「魅了魔法を使い、他人をいいように操っていた女」という致命的なイメージを植えつけられたリリアの学園生活は、終わったも同然だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る