石田三成「勝利の栄光を、君に!」

(2023年10月29日 第41回「逆襲の三成」視聴後)


石田三成「上杉討伐に徳川の軍勢を差し向けさせるのは、西軍として初めての軍事作戦であった。

 この作戦で西軍の働きを見せてもらい、感動している。

 これらの作戦の締め括りとして、伏見城を攻略してもらう」


 サブタイトルに「逆襲の三成」と銘打たれたので、「逆襲のシャア」と被ってしまう、筆者なのねん(笑)


石田三成「この大阪城は、豊臣恩顧の大名と徳川に与する大名を繋ぎ合わせて運営されている、極めて不安定な政権である。

 それも太閤殿下の逝去の為に、急遽(徳川を排除できずに)組閣されたものだからだ。しかも徳川家康が行った施策は、徳川を中心にすればよしとして、豊臣に権力を返還する事はしなかったのである。

 私の上司・前田利家が豊臣の復権を徳川に要求した時、前田利家は都合よく死去した。

 そして徳川家康は秀頼様から軍資金を得て、上杉に戦争を仕掛けたのである。

 その結果は諸君らが知っている通り、伏見城の落城で終わった。それはいい。

 しかし結果、徳川に付随する大名達は同情し、徳川の軍勢は結束し、細川幽斎のような反西軍運動を生んだ」

島左近「殿、細川の件は、人質の対応に非が…」

石田三成「(無視して続ける)これが、せっかく集まった十五万の軍勢のうち、三万を細川幽斎討伐に割く理由である!」

島左近「殿、その三万が、ここ関ヶ原で手元にいれば、徳川の東軍十万を、十五万の軍勢で迎撃出来たのですぞ。ただでさえ寄せ集めなのに、二万程度の差ではキツいですぞ」

石田三成「(無視して脂汗を流しながら続ける)ここに至って私は、西軍が今後絶対に兵力分散を繰り返さないようにすべきだと確信したのである!

 それが、関ヶ原の戦いで、徳川本陣に対して毛利軍(西軍の最大戦力)を配置する作戦の真の目的である。

 これによって権力闘争の源である、徳川に味方する人々を粛清する。

 諸君!

 西軍の道を拓く為、豊臣の為の政治を手に入れる為に、あと一息、西軍の力を私に貸していただきたい!

 そして私は、太閤殿下のもとに召されるであろう!」

島左近「ダメだこりゃ」


 

 今回は、これまでにいたしとうございます。

 アテブレーべ、オブリガード



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