第5話 上機嫌
56-05
三月の初めに商談に行き、二週目には製品の納入が決定する猛スピードの商談。
赤城課長は送られて来た契約書を持って京極専務の決裁を伺いに行く。
「全く条件的には不満は無い!支払いは三十日サイトで、送料は先方持ち、当社は宅配の会社が貸してくれる伝票発行器を設置して、貼付けて発送するだけだ」
「ただ、将来売上げ増加時には支払いサイトは両者で協議となっていますが?」
「売上げが大きく増えれば当然支払いサイトも伸びるだろう?常識だよ!六十日程度なら普通だ!」
「は、はい!」
京極専務は契約書に印鑑を押しながら「柏餅に使う国産の葉は手に入るのか?」と思い出した様に赤城に質問すると、赤城は「今仕入れ先に問い合わせをしていますが、数が数ですから・・・」と不安げな返事をした。
「外国産と見分けられるのか?食べる物ではないので誤魔化せないのか?」
「専務がその様な事を口走っては駄目ですよ!壁に耳ありですよ!」と急に声を小さくして話す赤城課長。
二人の間では暗黙の了解の様だ。
カシワの葉は、ほぼ全量が中国からの輸入だろう。製造販売している和菓子店に葉の出所を聞いてみるとよい。「問屋、仲買人から購入しているから知らない」と答えるはず。
サルトリイバラの葉は国産(直売所)と輸入(和菓子店)であるが、国産葉の生産量は不明。
統計上は「さるとりいばらの葉」だが、実際に卸売り、小売される際の表示は「かたらの葉、がめの葉、柏餅の葉」など、各地の名称であることに注意が必要だ。
現在の輸入元は中国だけである。韓国からは一九九三年の二十トンが最後、北朝鮮からは一九九五,一九九六年に合計三十一トン、台湾からは一九八九、一九九一年にそれぞれ五・二トンの輸入実績が有る。
元々一七世紀の中頃の江戸では、端午の節句に柏餅(当時の表現、かしわもちのこと)を贈答品として使う風習が始まった。こうなると、サルトリイバラの葉が足りなくなったので、八王子郊外にカシワの葉を取り扱う市が出来、奥多摩などから集められた葉が柏葉市を経由して江戸の市中に出回っていたという記録がある。
かしわ餅の形は、ちまき(粽)のように中国の風習が輸入されたのではなく、日本で発生した風習であるとの説が有るが、その根拠は判らない。
「穀物の粉を水で練って、葉で包み、蒸す」という調理法は、農耕文化としては特別なものではない。各地域で最も便利なものが選ばれたとすれば、サルトリイバラが最も広く使われていてもおかしくはない。それに比べて、毛の多いカシワの葉が好まれたとは考え難い。これは作って売る側の都合が優先しているのだ。サルトリイバラに馴染んだ者に売れるわけはない。そこで「縁起が良い」という言い訳が必要になった。そしてそれが当たったことで、現在も続いている。
数日後モーリスから正式な契約書が届くと、早速箱の発注、原料の手配が始まり千歳製菓は大忙しになった。
製造の責任者でもある酒田常務も「専務には完全に脱帽です!大口の注文を頂き、製造部も久々に張り切っています」そう言って褒め称えた。
「テーマパークのキャラクターの方は進んでいるのか?」
「大手で海外の会社ですので、中々進みません!それに引き換え国内の会社は早い!」そう言って嫌味をちくりと言う。
月末からちまきと柏餅の製造を始めて、毎日残業が四月の末まで続く事になった。
赤城課長の娘、美沙も四月から大学に通い始めたので、生活がこれまでと大きく変化した。
連日の残業で赤城課長も夜には工場に入って製造の手伝いをしている。
短時間で商談から納品まで進んだが、相手は上場企業で年商一千億以上、利益も八十億の優良企業なので、何の不安も無い。
別会社ではあるがモーリス衣料品販売の売上げも、八百億と本体と遜色無い規模だった。
今回の納入も三十日サイトの振り込み、京極専務は毎日、近くの営業冷凍庫に商品が次々と納入されるのを見ながら笑みを浮かべて確認作業をしていた。
四月の二週目から箱詰め作業を始めると同時に注文先へ順次発送予定である。
ピークはゴールデンウィークの前後だとモーリスから聞かされていた。
「連休中は泊まり込みもあると思う!」深夜に自宅に帰った信紀は妻妙子に話した。
「でも凄いわね!いつも定時に帰れるって事務の女の子喜んでいたのに、今はあなたと同じく残業でしょう?」
「九時まで手伝っているよ!でも夏のボーナスは期待出来ると、みんな張り切っているよ!」
「臨時のバイトも大勢雇っているのでしょう?」
「急だから、派遣社員で補っているのが現状だ!」
「派遣社員って高いのでしょう?」
「でも必要な時だけだから助かっている。ただ問題は単純な作業しか出来ない事だよ!結局は正社員にしわ寄せが行く」
「二ヶ月だけの急場凌ぎよね!」
それだけ話しをすると、風呂場に向かい機嫌良く鼻歌を歌う信紀。
その鼻歌を聞いた美沙が「お父さん上機嫌ね!」と言うと「二十億も売れない会社が一億も特注が入れば嬉しいのでしょう?」と妙子が答えた。
「本当に何も無いのかな?大きな会社が簡単に取引を初めて、少し調子が良すぎる気がするわ!」美沙が不安を口走ると妙子が口に人指し指を当てて、言わないで!言わないで!とジェスチャーをした。
今は上機嫌、それが一番だと思う妙子だった。
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