残された夏、このまま
そして、憎たらしいほどに清々しい朝を迎えた。夜明けの島に、虹がかかっている。一分一秒と時間が切迫していく。彼女の寿命が削られていく。やがて、虹も消えかけていく。
同じベッドの中。抱きしめても起きなければ、キスしても起きないのだろうか。寝落ちた後の目覚めは重くて、何時間経っても、ただ惰性のまま、眠り続ける白波を眺めていた。
「起きてくれなきゃ、困るよ。白波が僕のマスターなんでしょ。なんでもいいから命令してよ。このままじゃ何もできないし……このままで終わりたくない。白波がいなきゃ、僕がここにいる意味だってないじゃん。いつまでも寝てないでさ……」
喉から出る言葉を、ただ吐き出していく。それが届いているかは分からない。
「先、起きてるよ」
少しだけ雑に動きながら、足取りはゆっくりと部屋を後にする。廊下の窓からも虹が見えた。──雀の鳴き声に混じって、微かに、何かが聞こえた気がした。振り返る。
「……私も、起きます」
一瞬、遠い寝言かと思った。足早に寝室へと戻る。あの瞳に、朝日が鋭く射し込んでいる。呂律がはっきりしないまま、白波は指先を少しだけ伸ばして、僕を示していた。
「──虹、虹が見えるよ。起きてっ」
「はい。……ありがとうございます」
淡々とした喋り方で、どちらの白波なのかは分かっている。それでも、嬉しかった。起き上がろうとして起き上がれない、そんな彼女の背中を支えながら、僕はその手を引いてやる。寝起きで朦朧として、足取りは重い。けれど窓を覗くその横顔は、いつ見ても綺麗だった。
「綺麗、ですね」
「……白波のほうが綺麗だよ」
「お世辞として受け取っておきます」
照れ笑いをするその顔は、いつもの笑みに似ていた。たいてい寝起きにしか現れない、それからの彼女はどこか、態度が柔らかくなったような気がする。容姿を褒められただけで僕に気を許したのなら、チョロすぎて不安だ。……いつもの状態なら、まだしも。
ちなみに朝食は、白波のために作ったハンバーグ。もちろん懐柔には成功した。
◇八月二十七日
──残しておいたハンバーグを食べさせた次の日の夕食も、ハンバーグにさせられた。『覚えていないので』という、本当だか嘘だか分からない理由で、だ。たぶん嘘だと思うけど。
そんな彼女もハンバーグとあらば食欲には抗えないらしく、食器が上手く持てないにも関わらず、気合いだけで持とうとしてくる。危ないから僕がゆっくりと食べさせているが。
「早くハンバーグください……。フォーク噛んでソファの上で暴れますよっ」
「できるものならどうぞ。無理しない方がいいと思うけど」
「……マスターいじわるです。よわよわな女の子をいじめるなんて……」
「マスターがマスターのことをマスターって呼ぶの、おかしくない?」
「……どういうことですか。こんがらがるので、そういうのやめてください……」
非常に迷惑そうな顔で文句を言いながら、白波は口元に運ばれたそれを頬張る。
「えへへ、やっぱりこれです……。実家の味……」
「ここは君の実家じゃ……いや、実家か」
「はいっ! レモンソースがさっぱりしてて美味しいですねっ」
ところで、と白波は悪戯っぽく口を歪める。
「初恋はレモンの味っていうじゃないですか。なんでマスターは私を好きに……?」
「笑ってるところが可愛いから。愛嬌があるしね」
「じゃあ、笑ってない私は嫌いなんですか……?」
「それはそれで綺麗な子だなって……。恥ずかしいから言わせないで」
「んわっ、あぅ……!」
照れ隠しでフォークを白波の口に突っ込む。慌てたようなその顔も可愛い。
──残り少ない日常が、この一瞬に感じられた。このまま最後まで、僕は彼女のために、彼女は僕のために動くのだろう。それが唯一の覚悟であり、行く末への鎮痛剤、そして、沈みゆくこの島で過ごしたことを──二人の記憶に刻むための共同作業だ。
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