第35話 探偵②
「方泉様!」
「こらっ。あっちからここが見えなくても、声は聞こえるんだから」
「…申し訳ありません」
「で、どうしたの?」
付き合いの長い方泉にしか分からないかもしれないが。無表情の奥で明らかにシュンとしている匠真に気付き、小声で問いかける。
「…方泉様が仕事で知り合った方と仲良くなさるなんて、初めてじゃないですか」
「…うん」
「今までこんな事なかったのに…何故、瀬波様と連絡先を交換したのですか?いつの間に、そんなに…」
「方泉さん」と呼ばれるほど仲良くなったのだろう。と、目を伏せる。
方泉の事なら何でも知っている。そんな相棒としての自信やプライドが、瀬波の登場でぽっきりと折れてしまった。
曇っていく顔を見て、方泉は漸く匠真の異変に気付く。
…そっか。急に僕が誰かと仲良くなったら、戸惑うよね。
戸棚から来客用のカップとソーサーを取り出しながら、方泉は自分の説明不足を反省する。
「…ビックリさせて、ごめんね」
そう言って眉を下げる方泉を、匠真は不安そうに見つめ返す。
「実は…クラスの見学が終わって、最後に職員室で先生達に挨拶をした後にね、瀬波さんが声をかけてくれたんだ。『漫画友達になってくれませんか?』って」
「……漫画友達…」
「うん。僕も凄く漫画が好きでしょう?でも今まで話し合える人が居なかったから、良い機会かもと思って連絡先を交換したんだ」
「そっ、それなら私が漫画を…」
「匠真は漫画に興味がないでしょう?僕のために、好きじゃない物を無理して好きになって欲しくないんだよ」
ね。と言いながら、方泉はやかんを火にかける。
「……」
「僕がコーヒーを淹れるよりも匠真が淹れた方が美味しいし…お客様をずっと一人にしたら悪いから、僕は戻るね」
ニコッと微笑んだ方泉は、立ち尽くす匠真の肩を叩き、応接間に戻っていく。ぺこりと頭を下げた匠真は、遠ざかる足音に溜め息を吐くと、コーヒーミルを手に取った。
ゴリゴリと豆を挽く音に混ざり、談笑する声が薄っすらと聞こえてくる。
「仕事には慣れましたか?」「まさか方泉さんが僕と同じ32歳だったなんて」「田原先生と校長先生はよく一緒に出かけてるみたいです」「教頭先生は退職した後、元奥様に会いに行ったそうです」
途切れ途切れにしか聞こえないが、二人は世間話や調査の後日談を話しているようだ。
会話に耳を
“漫画友達が欲しい”
だから瀬波と連絡先を交換したと方泉は言っていた。
しかし、それだけの理由で方泉が人と関わるだろうか。
方泉に何か別な意図がある?いや、そんな風には見えなかったか…と、悶々としながら手を動かす匠真。その脳裏に、ふといつかの出来事が蘇る。
「依頼をお願いしたいんですけど」
そう言ってやってきた、どこにでもいそうな20代の女性。
ストーカーの正体を暴いてくれと頼まれた二人は、二つ返事で調査を開始した。しかし、彼女の日常を観察していても、ストーカーらしき人物は全く姿を見せない。にも関わらず、変な手紙が来たり、ベランダに干した洗濯物が無くなるのだと彼女は主張する。
不審に思った方泉が問いただしたところ、実は近隣の探偵事務所がこちらの評判を貶めるべく仕組んだ、嘘の依頼だという事が分かった。
解決できない事件を調査させ、“結果が出せない事務所”として、女性に噂を広めさせるつもりだったらしい。
何ですぐにばれる悪事を働くんだ…と思うが、現在、探偵業を営む会社は全国に5000社以上。気が付けば近隣に新しい興信所や探偵事務所ができていた、なんてことも少なくない。弱小探偵事務所は生き残るために必死なのだ。
そう言えば、あの時の女性は口が達者で、方泉と距離を縮めるのも上手だったな…と思う。
…もしや、瀬波も同業者からの刺客…?と考えて、いやいやいやと頭を振る。
予想外の出来事に動揺しすぎて、あり得ない想像をしてしまう。
学校で出会った人なのに、他の事務所と繋がっている訳がないだろう。と、自分の斜め上の想像力に呆れながら、手早くコーヒーを淹れる。フッと軽く息を吐き、背を正す。キリッと表情を引き締めた匠真は、ソーサーにカップを乗せ、応接間に向かった。
ソファで向かい合わせに座り、額を近づける2人にムッとしつつ、「どうぞ」とカップを置く。
「ありがとうございます」
とにこやかに言う瀬波に頭を下げ、トレイを脇に抱える。
瀬波がコーヒーに口をつけたのを見届けて、方泉は匠真に顔を向けた。
「あっ、そうだ。僕、ずっと事務所にお花を飾りたいって言ってたでしょう?これから定期的に、瀬波さんのお店に注文しようかなって思ってるんだけど…どうかな?」
「!」
「わぁ、嬉しいです!」
名案じゃない?と微笑む方泉に、瀬波はパアァッと顔を明るくさせる。
「っ、あの、花なら私が買いに行きますが…」
「ダメだよっ。うちの事務所は二人しかいないから、雑用から書類作成まで、匠真が一人でやっているでしょう?これ以上仕事を増やす訳にはいかないよ」
「いや、私にとって全然苦では…」
「何言ってるの!お店も近いし、僕が買いに行くよ」
「うちは配達もやってるので、ここまで届けますよ」
「本当ですか?助かります!ねっ、良いでしょ?匠真」
方泉は顔の前で手を合わせ、キラキラの瞳で匠真を見る。
「……かしこまりました」
こんな子犬のような目をされては、断る物も断れない。
匠真はズーン…と重くなる頭を下げ、溜め息を呑みこむ。
急な距離の縮まり方に、戸惑いと違和感を覚えるが…方泉がそうしたいのなら、仕方がない。
再び和気藹々と話し始めた二人に背を向けて、汚れたキッチンを片付けに行く。
スポンジの泡を立たせながら、匠真は呑みこんだ息を吐きだした。
瀬波と話す方泉は、古い友人と接するような力の抜けた表情をしている。
あんな顔は殆ど見た事がない。余程波長が合うのだろう。
――と、するならば。
瀬波との出会いは方泉にとって良い事だ。
方泉の人付き合いの希薄さは、実は心配していた部分でもある。閉鎖的だと、何か問題が起こった時に一人で抱え込むしかなくなってしまうから。
気を許せる人が見つかったのなら、何よりだ。
そうだ、方泉の成長を喜ぼう。
食器についた泡を流しながら、匠真は状況と感情を整理する。
大分クリアになった思考のおかげで、肩の力が抜けていく。
後は微かにざわつくこの胸騒ぎが、杞憂だと良い。そう思いつつ、濡れた食器を拭いていく。
「匠真、瀬波さんが帰るって」
丁度手を拭き終えた匠真に、方泉が声をかけに来る。
応接間に出ていくと
「匠真さん、コーヒー美味しかったです。ありがとうございました」
と言って、瀬波がぺこりと頭を下げた。
「お花については、またご連絡しますね」
「はい、今後ともよろしくお願いします」
フカフカの絨毯を歩きながら、二人はにこやかに挨拶をする。扉を開けてくれた方泉にお礼を言うと、瀬波は「じゃあ、また」と手を上げてその場を後にした。
ふんふーんと鼻歌を歌いながら戻ってくる方泉。
そのご機嫌な様子に、まるで遠足前の子供のようだ…と、匠真は微笑む。
方泉が楽しそうで良かった。
そう思いながら瀬波のカップを下げようとした匠真は、ソファに近付いた瞬間、顔を強張らせた。
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