第29話 犯人《後》③
「…教頭先生」
「……」
「…腹が立ったとはいえ、あんな手紙を出してすみませんでした。あと、さっきのも…投げ飛ばしたのも…すみません」
真剣な瞳で頭を下げる。そんな凜々花をチラリと見て、木戸はまた視線を落とす。
「……君が謝るのはおかしいだろう。…全部、私のせいなんだから」
注意しなければ聞き逃してしまいそうな、弱弱しい声。全てを諦めたようにぼんやりと床を見つめる木戸に、凜々花は尋ねる。
「……先生は何で…手紙を捨てなかったんですか?」
そう問いかけられた木戸は、重たい目線を微かに上げる。
「…そうだな…何でだろうな…。あんなの、捨てればよかったのに…」
ぽつりと呟きながら、最初に手紙が置かれていた時の事を思い出す。
「写真を見た時…なんて自分は愚かな事をしているんだろうって、思ったんだ…それなのに、止められなかった…。こんな人生が、嫌だったのかな…。それとも、誰かに…誰かに気づいて、止めてもらいたかったのかなぁ…」
そう、嘆くように言いながら、また涙を滲ませる木戸。“誰か”と言っても、浮かぶ顔は一つしかない。
声を出す気力も無くなってしまった木戸は、ただ静かに涙を流す。
その姿を見て、なんか可哀想かも…と思ってしまうゆめの頭を、田原はよしよしと撫でた。
「ゆめちゃんは優しいねぇ。でも、同情しちゃダメだよっ。奥さんの事も、お金の事も自業自得なんだから。それに、ゆめちゃんが大好きな凜々花ちゃんに酷いことをしたんだよ?ね?因果応報だよ!」
ぷん!と頬を膨らませる田原。
確かに、田原が言っていることが正しい。どんな理由があったとしても、それが人を傷つけたり、犯罪を犯しても良い理由にはならない。
「そっか…そうだよね」
正直、田原のようにきっぱりと割り切るのは難しいが。木戸の姿を反面教師にしよう…と頷くゆめに、田原も笑顔で頷く。
「そうそう!だからさぁ~、私、校長先生も謝ったほうがいいと思うんだよねぇ」
「へっ?」
諭してくれていたと思いきや、急に矛先が変わる田原の棘。
ゆめはどぎまぎしながら後ろを振り返る。すると、松井が苦虫を噛み潰したような顔で立っていた。
「あっ…あ~っと!そういえば愛美から『今どこ?』って連絡きてたんだったぁ~」
「?うわっ!」
“絶対に逃がさない”という強い意志を感じる、ねっとりとした田原の怒り。その重たすぎるオーラに触れないよう、ゆめは凜々花を引っ張り、退散する。
大人達がピリついていると、居心地が悪くて仕方ない。
「……」
「私、校長先生に手紙の犯人だって決めつけられてぇ、と~っても嫌な気持ちになったんですけどぉ、謝罪の言葉ってないんですかねぇ」
「………わよ」
「えっ!何ですかぁ?全然聞こえないです~!」
悔しそうにボソッと呟く松井に、田原は耳に手を当て大袈裟なリアクションをしながら聞き返す。完全に逃げ遅れた瀬波と尾沢は、二人の様子をヒヤヒヤしながら見つめる。どうか喧嘩が始まりませんように…と必死に願う思いとは反対に、松井はグッと下唇を噛む。
しかし、ふぅ、と大きく息を吐くと、田原の方を見てピンと背を正した。
「…勝手に犯人と決めつけて疑ってしまい、申し訳ありませんでした」
伸びた背筋で深く頭を下げる。日頃から衝突している人物に、謝罪をするのはまっっったく気が進まない。だが、自分が判断を誤り、傷つけてしまったのは事実。潔く罪を認める。それが人として当たり前の行動だと松井は思う。
頭を下げ続ける松井を見つめ、田原は口を開く。
「…私も、学校の規則を破り、漫画を持ちこんですみませんでした」
両手を体の前で組み、頭を下げる。
予想外の行動に、松井は「えっ」と声を漏らす。
「あっ、でもぉ~、この喋り方は別にぶりっ子とかじゃなくて素なんでぇ、誰に何と言われようとも変えられないし、変えるつもりもないので!」
そう言ってニコッと笑う田原に、松井は戸惑いながら相槌を打つ。
てっきり「クソババアが!」とか「これだからバブルから抜け出せない老害は!」なんて言われるかと思っていたのに。
目を彷徨わせる松井の思考を察した田原は、不満そうに顔を顰める。
「…何か勘違いされてるみたいですけどぉ、私は別に“校長先生が嫌いだ”とか“嫌味を言ってやろう”なんて思った事、一度もないですからねっ。良くも悪くも思ったことが全部口に出ちゃうだけです!裏表がないっていうか~…嘘が付けないんですよね!性格的にっ」
「……そう」
だとしたら素で失礼な人間なのだな、と思うが。そんなズバズバと物を言うところが、危なっかしいけれど魅力的なんだと、前任の校長が言っていたっけ。
厳しい冬の寒さを乗り越えて、漸く雪が溶けだすような。
二人の間に長年あったしこりが徐々に消えていくのを感じ、瀬浪と尾沢はホッと息を吐く。と、安心したのも束の間。
結ばれた平和条約をぶち壊すように、田原が瀬波の腕に飛びついた。
「わっ!」
「じゃ!お互いに謝罪も済んだので、はっきりさせましょう!」
「!………な、何を…?」
ニッコリと満面の笑みを浮かべる田原は、おやつを前にした子供のように楽しそうだ。
嫌な予感しかしない。
反射的に逃げようとする松井の腕を、田原はがっしりと掴む。そして、怯える松井に向かって、悪魔のような笑顔で唇を動かす。
「そんなの決まってます…瀬波先生に、告白の結果を聞くんですよ」
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