第27話 犯人《後》①
「…尾沢先生」
ぐすっぐすっ、と鼻を鳴らす尾沢に、方泉はもう一度声をかける。目元をゴシゴシッと腕で拭った尾沢は、ニカッと明るい笑みを作り振り返った。
「いや~…千葉君、探偵だったんだなぁ!すげぇなぁ、探偵なんて!カッコいいよなぁ~!いや~、ほんとすごいわぁ…って、思うんだけど…。ははっ…俺のこと『尊敬してる』って言ってくれたやつ?あれ、嘘だったんだなぁって思うと…ちょっと…う~ん…ショックっつーか…」
はは…と頭を掻きながらお道化て笑おうとするものの、抑えきれない涙がじわっと浮かんでくる。「うっ、うぅっ…」と嗚咽を噛み殺す姿に、方泉の胸がズキッと痛む。
「…先生が言う通り、僕が先生になりたいというのも、尾沢先生に憧れてこの学校に来たというのも、嘘でした。…すみません」
体の前で両手を重ね、深く頭を下げる。
ああ、やっぱり嘘なんだ。
と、事実を突きつけられた尾沢の目から、堰を切ったように涙が溢れ出す。いつものうざったいくらい明るいオーラは跡形も無い。肩を揺らして泣く尾沢に、方泉は躊躇いつつも口を開いた。
「でも、パンフレットを見て先生の言葉に感動したのも、生徒に対する姿勢を見て凄いと思ったのも、素敵だなと思ったのも、本当です。信じてもらえないかもしれないけど…僕は今日尾沢先生と一緒に居て、こんな先生と学校生活を送りたかったなぁ…って、心の底から思ったし、皆が羨ましくなりました」
真剣に、ちゃんと伝わるように。真っすぐ尾沢の目を見て話す。
「ほっ…本当に?」
「はい!本当です!」
「…本当の本当に?」
「本当の本当です!」
ズルッと鼻水を啜りながら方泉をチラ見する尾沢に、力強く頷く。すると、
「そっか…俺、良い先生だって思ってもらえたんだな…」
と言い、尾沢は嬉しそうに鼻水を拭った。
「千葉先生~!…あっ、先生じゃないのか」
凜々花の腕を引っ張りながら歩くゆめが、興奮しながら寄ってくる。
「なに?」
「調査で学校に来たって事は、やっぱり手紙の件で来たんですか?それに、うちのクラスに来たって事は、手紙を書いた人が組長だって分かってたから来たんですか?」
捲し立てるように尋ねるゆめ。その隣で、凜々花がハッと顔に緊張感を走らせる。ゴクッと喉を鳴らす凜々花を見て、方泉は松井に声をかけた。
「松井校長」
「はい」
「依頼のこと、皆さんの前でお話しても良いですか?」
ふぅ、と疲れを吐き出す松井は、左上を見ながら考える。
「あぁ…えぇ、もう皆知っているようなものですし…構いませんよ」
依頼者からの同意を得た方泉は、「分かりました」と言うと、ゆめと凜々花に見えるように手紙を顔の前で掲げた。
「時系列に沿って話すね。…三日前、松井校長にこの手紙を出した犯人を探してほしいと依頼されたんだけど、便箋を見せてもらった時に、ある事に気付いたんだ」
そう言うと、方泉は“あのことをばらすぞ。このまま続けるなら黙っていない”と書かれた便箋を開く。
「これ。貼られている文字が、とある漫画の題字なんだけど、分かる?」
“る”を指差す方泉を見て、凜々花が「あっ」と声を上げる。
「う~ん…組長の事だから、“松極”?」
「そう、正解。“松野さん、極道ベビーシッターになる”の“る”」
筆で書かれた文字のような、迫力のある独特なレタリング。
「確かに使った…っていうか、文字…“松極”のページからしか切り取ってないかも…」
「ふふ。僕も毎月、本誌で読んでるからね。手紙に貼られた文字を見てすぐにピンと来たし、実際光に透かした時に、透けて見えた文字の裏が“松極”の絵…しかも最新号の絵だったから、犯人は月刊の青年誌を読む人なんだな…って思ったんだ」
ニコッと笑う方泉に、凜々花は気まずそうに口を噤む。
「で、送ったのが職員なのか、生徒なのか…って考えた時に、青年誌を読むなら職員かなって思ったんだけど、この前“松極”のイベントがあったのを思い出してね」
「あっ!もしかして組長と行ったやつ!?外にステージがあった、あれ!」
休日に偶然凜々花と出会い、無理矢理ついて行った、あれ。
大型ショッピングモールのイベント広場は、普段家族連れで溢れかえる場所とは思えない程、大人のお友達でいっぱいだった。
「うん。あの時ね、行方不明の猫を探す依頼を受けていて、たまたま僕達もあの場に居たんだ。そうしたら、おじさんとか強面の人がわんさか集まってる中に、二人だけ若い女の子が居たから、凄くビックリした記憶があってね…。工藤さん、笹野さんと仲良く写真を撮ってたでしょう?その後すぐにスマホを弄ってたから、もしかしたらSNSに何か投稿してるかも…と思って、調べたんだ」
申し訳なさそうに言いつつ、指でスワイプの真似をする方泉に、ゆめが目を大きくさせる。
「あっ…そう言えばゆめ、イベントのこと呟いたかも…」
「えっ!?写真を撮っても良いけど、ゆめは鍵アカじゃないから勝手に載せないでねって言ったじゃん!」
「うっ!だっ、大丈夫!組長の顔は…うん!ちゃんとスタンプで隠したはず!!」
グー!と親指を立てて、必死にこくこくと頷く。
「うん。ちゃんと笹野さんの顔は隠れてたよ」
と方泉がフォローすると、ゆめは安堵の息を、凜々花は不服そうな息を吐く。
「写真を投稿してるアカウントに飛んだら“SMJ2年”って書いてあったんだけど、県内の高校で“SMJ”が当てはまるのは“仙ノ宮女学園”しかないから、ここの生徒なんだと確信して…」
「ひえぇっ!」
平然と話す方泉の言葉に、ゆめは思わず顔を覆う。
「?どうしたの、ゆめ」
不思議そうな凜々花。その横顔を、ゆめは指の隙間からチラリと見る。
「……自分の通ってる学校って、こんなに簡単にバレちゃうんだ…」
“SMJ”が略称の学校なんて、全国に沢山あるから大丈夫だと思ってた。それなのに、あっさり特定されてしまうなんて…恐ろしい。恐ろしすぎる。
ゾッと身を震わせるゆめに、松井は呆れたように目を細める。
「例え探偵じゃなくても、あなたのアカウントを見れば、この学校に通っている事も行動範囲もバレバレですよ。これに懲りたなら、自分の身元がバレるような事はSNSに書かない事です」
「はぁい…」
ピシャリと言われたゆめは、叱られた子犬のように目尻をしょぼん…と下げる。
「そうだね。工藤さんの写真を勝手に悪用する人も居るから、はっきりと顔が映ってる写真も、控えたほうが良いかもね」
「はぁい…」
方泉からも優しく諭され、ゆめはさらにしょんぼり肩を落とす。
「工藤さんの写真を見た時に…これはもう、“長年の探偵の勘”としか言えないんだけど…二人を調べた方が良い気がして、校長先生に工藤さんが居るクラスを教えてもらったんだ。そして、僕が“授業を見学に来た大学生”としてクラス内の調査を。匠真が“シフトの穴埋めに派遣された清掃員”として学園内の調査をすることにしたんだ」
そう淀みなく話す方泉に、尾沢が「すげぇ…本当に探偵なんだ…」と、涙の筋を擦りながら呟く。
「…校長先生は、工藤さんの写真を見せられた時に、工藤さんが犯人かもしれないと疑わなかったんですか?」
ギョッとするゆめの視線を感じつつも、湧いた疑問を口にする瀬波。
「あぁ、全く疑いませんでした」
「!!」
「だって、工藤さんですから…そんな事しないし、できませんもの」
そうきっぱりと言う松井に、落ち込んでいたゆめのお目目がパアァァッと輝き出す。
嬉しい!自分の誠実さをちゃんと分かってくれているんだ…!と、感動的な目で松井を見るが、当の本人の心の内は違う。
ゆめが手の込んだ脅迫状を作れる訳がない。
仮に作れたとしても、差出人の欄に自分の名前を書いてしまうだろうし、挙動不審全開だろうし、挙句の果てには、手紙を机に届けるタイミングで相手と鉢合わせするに違いない。
勿論、“人の嫌がる事をするような子ではない”というのが大前提なのだが、日々全力でふにゃふにゃしているゆめを見ている者にとっては、前述した理由がとても…いや、かなり大きい。
ゆめが誰にもバレずにこんなことをするなんて、絶対にあり得ないし、絶対にできない。
そう言わんとする松井の眼差しに、瀬波は噛み締めるように「確かに…」と頷いた。
「校長先生がゆめちゃんを疑っていなくても、千葉君は犯人だと思ったから近付いたんだよね?いつ疑いが晴れて、いつから凜々花ちゃんが怪しいと思ったの?」
人差し指を頬に当て、小首を傾げる田原。
「僕はあくまでも“犯人候補の一人”として、工藤さんを見ていました。だけど、実際に会ってみると、先程松井校長が仰った通り、こういう事件を起こすような子には思えなかったので…すぐに候補から外れました」
ニコッと微笑む方泉に、ゆめはホッと胸を撫で下ろす。
自分はやっていないと分かっていても、何故かドギマギしてしまう。
「…私の事は、みんなから極道漫画が好きだって聞いたから、気付いたんですか?」
生物室に移動する時。友人達が好き勝手に自分の事を説明していたのを思い出す。
「ううん。一限目の授業が始まった時に気付いたよ。ペンケースのファスナーに付けてるチャームとか、下敷きに貼ってるステッカーとか…ちょっとしたところに沢山“松極”グッズがあったからね」
ふふ、と笑うと、キョトンと目を丸くした凜々花の顔が恥ずかしそうに赤く染まっていく。
「それに、授業中に窓の外を見ていたでしょう?景色を見てるのかな…って思ったら、たまに笑ったりしてるから、とても気になって…これで録画して、匠真に送ったんだ」
「…眼鏡?」
スッと眼鏡を外す方泉に、瀬波の心が踊りだす。方泉が指先で持つそれは、パッと見、フレームが太いただの眼鏡だ。
「これは匠真が作ってくれたんですけど…眼鏡のフレームにある小さい穴がカメラになっていて、ブリッジを一回押すと録画、二回連続で押すと、匠真が持っているすべての通信機器に録画した映像が飛ぶ仕様になっているんです」
「こちらはGPS機能も付いております」
「うわっ!喋った!」
「へ~、凄い!!漫画みたいだ…」
ビクッと驚く田原の側で、「わぁ…」と瀬浪が感嘆の息を吐く。各々がそれぞれの反応をする中、凜々花は嫌そうに顔を顰めた。
勝手に自分が撮られていたと知って、不快になったのだろう。
実際、探偵といえど、何でもかんでも盗撮・盗聴をしていい訳ではない。特に今回のように、依頼人とは関係のない第三者が多く関わる場合は、慎重に行動しないと訴えられる場合がある。
「ごめんね、なるべく顔は映らないようにしたんだけど…」
と、謝る方泉に対して、匠真はスンと澄ました顔で口を開く。
「映像は調査が終了次第即時消去いたしますので、漏洩やその他のご心配は不要です」
「はぁ…」
事務的に話す匠真に、そういう事じゃないんだけど…と思いつつ、でもこんな事になったのは自分のせいだし…と、思いつつ。何とも言えぬもどかしさが心の中でせめぎ合い、凜々花はガックリと肩を落とす。
「方泉様から受け取った映像を見て、凜々花様が見ているものを探れという指示だと判断したので、校舎の地図と方泉様の位置を照らし合わせ、ちょうど凜々花様の席から見える“何か”がありそうな場所へ向かったところ、康様を発見しました。その際、手首に笹野組の紋章である萩の花が入れ墨されている事に気付いたので、生物室に向かう方泉様の元へ行き…読唇術で報告をしました」
二限目が始まる前に、急いで生物室の前に向かった匠真。すれ違いざまにサラッと報告して立ち去ろう。と思っていたのだが、ここで一つ問題が起こった。
目立たずに行動をしていた筈が、何故か、生徒達から異様なほど注目を浴びたのだ。
中には悲鳴を上げている子もおり、匠真はとても戸惑った。
どこからどう見ても“ただの清掃員”なのに、何故悲鳴が起こるのだ。
そう疑問を抱きつつも、このまま声を出したらもっと騒がしい事になる気がする…と、察した匠真は、読唇術で方泉に報告し、方泉からも読唇術で指示をもらった。
ちなみに、あの悲鳴がなんだったのかは未だに分かっていない。
「読唇術!?すごぉーい!」
手を叩きながら興奮する田原に、「読唇術なんて練習すれば誰でもできます」と匠真がツンとする。一気に不機嫌になった田原に内心ヒヤヒヤしつつ、方泉は話し始めた。
「…笹野組の人が外をうろつくなんて何か理由がありそうだし…松井校長から久保田さんの事は聞いていたから、久保田さんが何か知らないか、匠真に探ってもらったんだ」
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