第25話 犯人《前》⑩



「な、なんですか!?」


 あまりの迫力にたじろぐ松井。

 「ゔ~~」と赤子のように唸り声を上げる木戸は、両手の拳を振り上げると、ドン!と自分の膝を叩いた。


「大体なぁ!俺がこんなことになったのは、校長!あんたのせいだろうがぁ!」

「わっ…私!?何で私のせいになるんですか!」


 ムッと怒りで目尻が上がる。木戸は


「三年前!あんたがこの学校に来なけりゃなぁ!」


 と言ってフシュー!と鼻から息を出すと


「俺は今頃校長になれたし、離婚せずに済んだんだよ!」


 と悔しそうに叫び、膝を叩いた。

 木戸は今61歳。校長になる為の管理職選考試験を受けられる年齢は過ぎているし、今まで何度も試験に落ちていた事も知っている。しかしそれは自分の実力が足りないだけだと思うし、離婚に至っては何の関係があるのか全く分からない。

 怪訝な顔をする松井に向かって、木戸はボタンを連打するように指を差す。


「あんたがこの学校に来る前!私は前校長から『次期校長を任せたい』ってず―――っと言われてたんだよ!でも中々試験に受からなくて、俺は毎年毎年たっくさん対策を練って挑んでいたんだ!なのに!選考試験を受けられる最後の年!前校長は俺の試験を待たずに、あんたを後任として連れてきた!『お前には無理だ』…そう言われた気になったよ!結果、俺のモチベーションはガタ落ち!試験も散々!そしてご覧のとおり、私は永遠に教頭止まり確定さ!」


 両手を上に掲げ、お手上げのポーズをとる木戸。


「…それはご自身に素質がないのが問題では?もしくは努力の仕方が間違っていたのかと」

「そうだそうだー!」


 ボソッと呟く匠真に便乗して、田原も冷めた目でヤジを飛ばす。


「お、俺の女房とおんなじ事を言うなぁああ~~~!!」


 羞恥心でさらに顔を真っ赤にさせた木戸が、再び手足をバタバタと動かす。


「確か教頭先生の元奥さんって…」

東雲律子しののめりつこ、59歳。現在、県立伊達沢高校の校長を務めておられ、ご両親は共に校長、お祖父様は教育委員会の委員長をお勤めになられた、教育者家系のサラブレッドです。と、清掃員の久保田さんが仰っていました」

 

 スン…と澄ました顔で話す匠真に、瀬波は「久保田さんが言うなら確実だね」と頷く。

 実は五つ子なのでは?と言われる程、校内のあらゆる場所に出現する、頭の三角巾がトレードマークの小太りの掃除のおばさん。

 開校時から掃除をし続けていると噂される彼女は、学校の事なら何でも知っている“校内一の情報通”と呼ばれている。


「え~…なにぃ?もしかしてぇ、中々試験に合格できない教頭先生がぁ、トントン拍子に出世した奥さんに愛想を尽かされて離婚されたのを~、校長先生のせいだと思ってるとかぁ、そういう事ぉ?」


 「逆恨みじゃ~ん…」とダルそうに言う田原に、木戸はカッと目を見開く。


「そうだよ!逆恨みだよ!逆恨みして何が悪いんだよ!俺はなぁ、律子が大好きだったんだ!あんたさえ来なければっ…俺は試験に合格して!今頃校長になれてたんだよ!夫婦関係だって続いてたんだよ!!うっ…!うぅぅ…!」


 うあー!と泣きながら膝をドンドン叩く木戸の脳裏に、若かりし頃の律子が浮かぶ。

 お団子頭に黒縁メガネがよく似合っていた律子。「あなたの笑うとなくなる目が好き」と言ってくれた律子。子宝には恵まれなかったけど、その分生徒達に沢山愛を注ごうと一緒に誓った律子。だけど、五十歳を過ぎたあたりから、段々冷たくなっていき、最後には「こんなに試験に落ちるなんて…あなたには教育者を纏める素質がないんじゃない?」と呆れたように言い、去ってしまった律子。


「律子ぉ…戻ってきてくれよぉ、律子ぉ…!律子ぉ~~!」


 繰り返し名前を呼んで泣く木戸の姿は、まるで遠吠えのようだ。

 そんな風に泣かれても…と皆が顔を顰める中、匠真がポケットからサッと何かを取り出した。


「?それは?」


 指先で摘まれた四角い紙を見て、松井が尋ねる。


「これは木戸様の机に大切に保管されていた“高級赤ちゃんパブ BAR♡BOOOOバー・ブー”に在籍されている“みゆきママ”の名刺です」

「うわ――――――!!」

「うお―――――い!!」


 どんな店かを察した瀬波と尾沢が、大声を上げながら凜々花とゆめの前に立ち塞がる。

 しかし、時既に遅し。二人はドン引きを通り越した軽蔑の眼差しで木戸を見ている。

 当の本人の木戸は、そんな二人の視線にも気付かない程、ぽかんと口を開けて匠真の指先を凝視している。


「高級…パブ…」


 目を丸くしたまま固まる松井に、匠真は「はい」と答える。


「名刺には“よしおくん、今日もドンペリいれてくれてありがとう♡毎週来てくれてとってもウレシイよ♡これからもたくさんバブバブしようね♡”とメッセージが書いてあります。ちなみにこちらのお店は90分4…」

「わ―――!!それ以上言うなぁぁ!!」


 慌てて飛び跳ねた木戸が、バタバタと音を立てながら匠真の元に走っていく。こけながらも辿り着き、バッ!と名刺を奪い取った木戸は、はぁと息を吐くと大事そうに抱えながらへたり込んだ。

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