第16話

「初めまして・・・・・・じゃなかったですね・・・ご無沙汰してます。我孫子さん」


メディカルセンターと目と鼻の先にあるオメガ療養所コクーンは、山科の第二の職場になる。


まずは一番身近な同僚になるオメガ療養所コクーンの医師に挨拶するべく足を運べば、久しぶりに会う白衣姿の女医が、くすっと笑って肩をすくめた。


そうか、彼女が同僚になるわけか・・・


正直言うと、やりづらい。


「オメガ専門医になられたんですね」


松島教授の研究室に出入りしていた頃、教授が助手として便利に使っていたのが我孫子だった。


サバサバとした態度と化粧っ気のなさに、あんな女医は面白くない、とぼやく者と、逆に気楽だと歓迎する者がいたが、山科はどちらかというと後者のほうだった。


女子学生たちほど我孫子に近しいわけでもなく、煙たがるほど彼女の容姿に興味があるわけでもなければ、二人の間で奇跡的に起こる何かを期待しているわけでもない。


あの頃の山科は、一番爛れていたので、授業を抜けて人妻が待つ住宅街に向かうのはしょっちゅうだったし、塾講師とは授業の打ち合わせと称して会議室で何度かコトに及んだ。


ホテル代をケチったのではない。


何となくそういう雰囲気になって、移動するのが単に面倒くさかったのだ。


乱れた着衣を気怠そうに直す彼女の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、明日の今頃落ち合っているであろうバーの常連客の身体のラインを思い出してすらいた。


そしてそういう自分を隠そうともしていなかった。


帳尻合わせさえできれば、後は好きにしていいと思っていたから。


そんな当時の山科を間近で見ていた人物が、女医の我孫子である。


いまの山科を値踏みするように白衣姿を上から下まで検められて、早速居心地が悪くなる。


仁菜と出会ってから綺麗な生活に戻ったし、臨床心理士の資格を取ってからも真面目なカウンセラーとして勤務にあたって来た。


そのおかげでこうして推薦状を手に入れて、超高待遇で有名な人気企業に入れたのだ。


どうか、昔の俺ではなくて、今の俺を見て欲しい。


切実に祈りつつ愛想笑いを浮かべる。


「そっちはやっぱりカウンセラーなんだ。山科くんがカウンセラーねぇ・・・」


相談持ち掛けたが最後、よからぬコトが起こりそう、とその顔に書いてある。


まあ、たしかに、昔の自分だったらそうだろう。


わかりやすく秋波を向けてくる相手が好みなら、喜んで答えていた。


これでも一応相手は選んでいたので、ドラマみたいな危険な展開になる事もなければ、性病にも冒されていない。


が、あの頃の自分を振り返って、信用が置けるかと問われれば、答えは否。


「言いたいことは沢山あると思いますけど・・・一旦飲み込んで、今の俺を評価して頂けるとありがたいです」


「あ、うん。知ってる。経歴書見せて貰ったし。さつき病院の病棟勤務激務だったでしょ。よくやりきったねぇ」


「・・・はい、まあ、仕事なんで」


心因的ストレスや事故が原因で身体や心に障害を負ってしまった人をケアするセラピー病棟の仕事は見た目よりずっとハードだ。


心を癒すためには相手を知ることが必要だが、その相手の心の鍵が見つからない事の方が多い。


毎日頭を悩ませながら、文献と論文と先輩カウンセラーに教えを請いつつどうにか乗り越えたあの日々。


昔の山科なら、投げていただろうか、今となってはもう分からない。


仁菜を得てから価値観が根こそぎ変わってしまったから。


「うちでもしっかり働いてね。あと、ここで女遊びすんなよ。私の職場荒らしたらマジで潰すよ」


どこをどうやって潰すのか一瞬想像しそうになってやめた。


「遊んでませんよ」


「あれ、結婚した?」


「まだしてません」


「あ、そう。まだってことは、彼女いるんだ」


「・・・俺的には、いますね」 


「え、なによそれ。イマジナリーフレンドならぬイマジナリーラバー?」


想像上の友人は、心理学的には知られているが、現実でそれを語れば異邦人だ。


「そこまで壊れてないですよ、俺」


あの頃の自分の酷さがどの程度だったか分かる返事にげんなりした。


「どうしても結婚したいんですけど、これ以上追い詰めるのもアレなんで、一旦引いて見守ってます」


「あらー引いて引いて引き続けても魚が釣れてた男が、駆け引き覚えたんだ。そりゃあ私も年取るわぁ」


本当は逃げられないところまで追いつめて、さっさとチェックメイトでゲームを終わらせたい。


どう転んでも仁菜がほかの男を選ぶことはないし、もしも彼女がどこかの男に惹かれても、山科と仁菜の母親がそれを絶対に許さない。


というか、仁菜が別れたことにしているこの三年間だって、会う機会は減ったし、恋人としてのスキンシップこそしてこなかったが、定期的に電話もメッセージもしていたし、月に一度は会っていた。


仁菜がほかの男現を抜かす暇なんてあるわけもない。


そう簡単に仁菜が新しい恋に行けないことなんて、誰より山科が知っているのだ。


だって自分がそうだから。

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