第3話

ポヤポヤと幸せそうな表情で診察室を出ていく茜を見送って、我孫子はぬるくなったコーヒーカップを口に運んだ。


「山科・・・」


研修医時代、恩師が教鞭を取っている研究室のアシスタントとして、何度か母校に足を運んだことがあった。


当時はまだバース性について認知されておらず、我孫子も心理カウンセリングについてはまだまだ勉強中の身で、少しでも多くの知識が欲しかったので、アシスタントを頼まれた時には二つ返事で頷いたものだ。


山科律やましなりつは、研究室の中でもかなり目立つ学生だった。


女性が好む柔らかいイケメンをそのまま具現化したような整った顔をしていたのだ。


アイドルほどきらきらしくはなく、ちょっと影があるのもまた彼の魅力になっていた。


長身で見た目も良くて、カウンセラー志望の彼はとにかく雰囲気が穏やか。


当時心理学を学ぶ学生は女性の割合が多く、そのせいもあって、研究室の中でもいつも彼は話題の中心にいた。


人数の少ない男子学生は、当然山科の周りに集まっていて、それを遠巻きに見つめる控えめな女子学生の絵が定番だった。


資料の準備などで研究室に出入りすることが多かった我孫子は、学生たちからも慕われており、時折山科について恋愛相談を受けることもあったが、毎回答えは一つだった。


あの男は観賞用にとどめておけ。


見た目が良くて中身もいい男なんて、そうそういるわけがない。


授業の合間に研究室で時間をつぶす山科と、取り巻きの友人たちが零す話題の酷さと言ったらなかった。


奥のパソコンスペースは、手前にある背の高い本棚のせいで視界が遮られており、ある程度は遮音もされる。


元々学生たちのプライベートには関わらないようにしていた我孫子だったので、彼女が居ても居なくても、彼らの話題は変わらなかった。


『山科ー。またスマホ鳴ってるけど』


『さっきから通知やばくね?バイト?』


古い革張りのソファーとそれを囲むように置かれた不ぞろいの丸椅子が彼らの居場所で、殆ど仮眠目的で来る山科のスマホが鳴るのもいつのものことだった。


『ん?さっきのはバイト先の塾。いまずっと来てるのはー・・・・・・あー・・・めんどいな・・・カズキくんママだ』


『え、ママって、こないだ言ってたカテキョの母親!?まじで行ったの!?』


『模擬試験の対策って呼び出されたら、本人テスト受けに行っててさ、旦那出張中って言うから・・・まあ、なんとなく?』


眠たげな声で返って来た返事に、一気にその場の雰囲気がうるさくなった。


『うっわ、人妻、やば』


『なあ、年上ってどんななの?』


『どんなって・・・普通だよ・・・旦那とはご無沙汰だから、積極的ではあるけど・・・やっぱ上手いよ』


『え、上手いってなに、どっち!?』


『どっちも。舌使いがエロい』


『でもお前、バーの常連客ともいい感じじゃなかった?』


『聡子さんとはセフレ。向こうも男いるし、俺とヤりたいときだけ連絡来る感じ』


『こないだ飯行ったのはバイト先の子じゃなかった?』


『ああ、塾講師ね。うん。駅まで送るって言ったら迷わずラブホ街直行だった』


大抵交わされる話題はこんな感じで、山科の口から同じ名前が出る事はまずない。


研究室で見せる真面目な学生の顔の裏側の爛れっぷりに最初は開いた口が塞がらなかった。


『まじで!?うわー清楚な見た目ですんげぇ気に入ってたのに!』


『いや、お前ははなから相手にされてねぇだろ』


『そうだよ。最初っから山科目当てだったじゃん』


『気になるなら行ってみれば?意外と軽いよ、あの子』


誰にも愛着を持っていないらしい彼がこんな風に水を向けるのも珍しくなく、その退廃的な態度が、余計周りの男子学生を羨ましがらせていたようだ。


『お前のおさがりかよ!』


『別に俺から誘ってないし・・・まあ、でも、ヤるだけならカズキくんママかなぁ・・・』


『しみじみ言うなよ』


『でもさぁ、旦那にバレたらやばくね?』


『向こうもキャバ嬢と遊んでんだって。名刺出て来たって拗ねてた。若い子には興味ないって言ってたくせにって』


『興味はなぁ・・・あるだろ』


『人妻って響きだけでも興奮すんのに上手いとかどゆことよソレ』


『もうその発言自体が童貞な』


『うっせ!俺の身体は清らかなんだよ!』


『セーラー服女子高生シリーズ制覇してるくせになにが清らかだ』


『ほんとそれな』


『てか山科、バイト先それぞれに相手いるじゃん』


『手ぇ出してないの大学内だけ?』


『そこは徹底してんのな。なんで?』


これは我孫子も気になっていた。


どれだけ秋波を向けられても、山科は全員に紳士的な態度を崩さず、完全に一線を引いて彼女たちと付き合っていた。


『なんでって・・・面倒くさいからだよ。決まってるだろ・・・わざわざ狭い校内で相手探すことない』


『頼むからお前の顔一日借りたいわ』


『貸してもいいけど結構疲れるよ?掛け持ちバイトで睡眠時間削られるし』


『それバイト以外でも寝てないからだろ』


『まあ、それもある。でもほら、ヤったあと熟睡できるし』


『熟睡するためにヤんのかよ!』


『右手使うよりいいよ』


『俺オナホ派』


今時の大学生の赤裸々な性事情まで知りたくはない。


そろそろ咳ばらいでもしてやろうかと思った矢先、山科が話題を切り替えた。


『あー、次授業だわ』


お先、とあっさり部屋を出ていく彼を男子学生たちが追いかける。


我孫子の知る山科律という男は、こういう男だったのだ。

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