第18話 正義と恋慕の間で
11月9日午後。
「
「そう見えますか?」
「例の女子大学生の転落死についてまだ調べてるのか? お前の知り合いらしいし、入れ込む気持ちも分かるが、最近のお前はどこか追い込まれているように見える」
「……この事件だけは、納得がいくまでとことん調べたいんです。そうでないと妹を喪った友人が取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。私は彼を救いたいんです」
あまりにも非現実的な出来事が起きているため詳細は語れなかったが、繭美の根底にあるこの思いに偽りはない。一刻も早く真相を明らかにしないと、光賢を止めらなくなる。
「そんなに危ういのか?」
「少なくとも私にはそう見えます」
繭美の意味深な言葉に、曲木は被害者の兄が思いつめて後追い自殺を考えている可能性を想像した。それなら友人を思って奔走する繭美の心情も理解が出来る。
「そこまで言うなら俺は何も言わないが、あまり一人で背負い込むなよ。何かあったらいつでも相談しろ。これでもお前の先輩だからな」
「ありがとうございます。曲木先輩」
曲木がどういう想像をしたのか繭美も想像がついていたし、わざとそういう方向に誘導もした。先輩を騙すようで申し訳なく思うが、真相を語れぬ以上、今はそう解釈してもらった方が好都合だ。
繭美は光賢が後追い自殺をする可能性など恐れてはいない。恐れているのは復讐の鬼と化した光賢が誰かの命を殺めてしまうことだ。そんなことを、先輩刑事の曲木に言えるはずがない。
「そういえばお子さんは元気ですか? 上の娘さんは中学生でしたよね」
流れを変えようと繭美は新たな話題を投下する。曲木は子煩悩な一面があり、こういった話題には直ぐ乗ってくるはずだ。
「元気も元気だが、いよいよ反抗期突入かな。ちょっと前まではお父さんお父さんって俺にベッタリだったのに。最近は何だか素っ気ないし、すっかりスマホが恋人だし」
丸まった背中と苦笑顔には哀愁が漂っている。今この瞬間、曲木は敏腕刑事でかなく、悩める一人の父親だった。
「お年頃ってやつですかね。イラストが趣味なんでしたっけ?」
「そうなんだけど、最近はどちらかというと画像生成って奴に夢中みたいだ。ほら、キーワードを入れるとAIが絵を描いてくれるってやつ」
心臓を鷲掴みされような気がして、繭美は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「お、おい。大丈夫か?」
「先輩。娘さんが使っている画像生成AIって、まさか【FUSCUS】じゃないでしょうね? セピア調のイラストじゃなかったですか?」
「きゅ、急にどうしたんだよ」
「大事なことなんです」
血相を変えて詰め寄る繭美の尋常じゃない迫力に、経験豊富な刑事の曲木も思わずたじろんだ。
「違うと思う。カラフルなアニメ調のイラストだったし、俺もあまり詳しくはないが、確かテレビとかでも話題になった、有名な画像生成AIだったと思うぞ」
「そうですか。それなら良かった」
繭美は安堵してコーヒーを飲み直した。背中には嫌な汗をかいている。
「その【FUSCUS】とかいう画像生成AIがどうかしたのか?」
「驚かせてすみません。友人のジャーナリストが以前、その【FUSCUS】にウイルス感染などの危険性があるって言っていたのを思い出してつい。危ないので【FUSCUS】だけは絶対に使わせないように注意しておいてください」
「あ、ああ。分かったよ」
繭美の迫力に圧倒されたまま、曲木は頷いた。
ウイルス感染という表現はあながち間違いではない。それはコンピューター的な意味ではなく、使用者の命に直結するという意味でだが。
【FUSCUS】は今もインターネット上に存在し続ている。マイナーでアクセス数が多くないとしても、画像生成AIが市民権を得て、大勢の人々の注目を集めている現代においては、偶発的に新たに【FUSCUS】による被害者が出る可能性は排除しきれない。今回のやり取りで繭美はその危険性を改めて認識した。
※※※
「……もう、あまり猶予はないか」
鈍山警察署での勤務を終えて自宅に戻った繭美は、シャワーを浴びながら頭の中を整理していた。これまでの経緯から、被害者が自らの死の瞬間を見てから死に至るまでの日数に規則性は無く、
曲木とのやり取りで、
瞳子が一連の事件と
2年前に病死した海棠美墨は、千葉県の
そこからさらに独自に調査を重ねた結果、このアトリエは今でも変わらず残されており、名義も八起深夜のままであることも判明している。二人がパートナー関係にあったことは明白で、アトリエは二人にとって愛の巣。最後の時を過ごした思い出の場所でもある。
今も八起深夜がこのアトリエで生活していると考えるのは早計かもしれないが、亡くなったパートナーの画風を再現した画像生成AIを生み出した女だ。感情でその場所に留まっている可能性は十分に考えられると繭美を思った。訪問してみる価値はある。これは刑事の勘というよりも女の勘だった。
八起深夜と接触したところで、何が出来るのかは分からない。AIが描いた絵の通りに人間が死ぬなんていう超常現象を法律で裁くことは出来ない。警察官として八起深夜を逮捕することは難しい。仮に自供があったとしてもそれは変わらないだろう。
一番現実的なのは八起深夜を説得し、画像生成AI【FUSCUS】を消させることだろうが、説得に応じなかった場合は、脅してでもそうさせる。ないしは物理的にサーバー等を破壊するしかない。八起深夜を法律で裁けない以上、それらの行動全ての責任が繭美に降り掛かる。懲戒処分は免れないだろうが、守りたい人を守るためならその覚悟は出来ている。
海棠美墨のアトリエの住所は誰にも教えるつもりはない。明日の仕事終わりに一人で向かうつもりだ。光賢の手を汚させないためにも、彼よりも早く八起深夜に接触しなくてはいけない。
「
曇った浴室の鏡を手で拭う。反射する繭美の顔は浴室であることを加味してもかなり火照っていた。一人きりの時に光賢のことを考えているといつもこうだ。こんな状況下で女の顔をしている自分に繭美は嫌悪した。嫌悪したからといってこの感情に蓋が出来るわけではない。そんな自分をさらに嫌悪する。
「馬鹿みたい……」
繭美は邪念を打ち消すように、シャワーの水圧を強めた。
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