第7話 深夜の名を冠する者
「
「目ぼしい情報は何も。これまで通り事故、ないしは自殺で事件性は低いというのが警察の見解。錯乱状態に陥った被害者が自ら車道に飛び出していく様子を、多くの通行人が目撃しているからね」
「あの異様に黒い出血はどう説明する? 突然の錯乱に関してもあまりに不自然だ」
「遺体からは薬物反応などは検出されていないし、黒い血液についても科警研で分析を行ったけど、科学的には通常の血液とは変わらないとの結果が出ている。外部からの干渉が認めらない以上、被害者が突拍子もない行動をとった末に事故死したという事実が残るだけ。どんなに異様な死に様であったとしても、事件として扱うのは難しいわね」
「それが警察の限界か?」
「私だって現状を憂いている。十分な証拠が集まれば一連の不審死についての再捜査を直訴するつもりだよ」
「代わりと言っては何だけど、直近で発生した類似の不審死について調べて来た。部外秘だからデータは取らずに頭に叩き込んで」
繭美はブリーフケースから捜査資料のコピーを数枚取り出した。一般人である光賢に提示するのは本来ご法度だ。
「いいのか? 万が一露呈すればお前のキャリアに傷がつくぞ」
「親友の妹の死の真相さえも突き止めれないような地位なんて、こっちから願い下げよ」
「恩に着る虎落。情報源は絶対に漏らさない」
親友の覚悟を感じ取り、光賢は深々と頭を下げた。そのまま差し出された捜査資料のに目を通していく。
「都内だけでもこの二週間の間に六件か」
「まだ調べが及んでいないけど、地方も含めれば被害件数はさらに増加するでしょうね」
捜査資料によると、東京都内では光賢の把握している三件とは別にもう三件、被害者が異様に黒い出血を伴った死亡事案が確認されている。
時系列順に並べると――
10月14日・
10月16日・
10月18日・
10月18日・
10月21日・
10月26日・佐藤根佐那(20)大学生・突然錯乱状態に陥り車道へと飛び出し、走って来たトラックと接触し轢死。その場に居合わせた友人の段永樹ら数名から、異様に黒い出血の目撃情報をあり。
――となっている。
「生熊ら三人も【FUSCUS】を利用していたのか?」
「その可能性は十分に考えられると思う。生熊季里は美大生で、吉比友則は専門学校でプログラミングのスキルを学んでいた。どちらも画像生成AIに興味を抱いた可能性はある。知人同士でもあったし、片方が相手に【FUSCUS】を紹介したという筋書きもあり得るね。すでに自殺と事故で処理されている以上、踏み込んだ捜査は出来ないから、あくまでも想像の域は出ないけど」
「真柴堅太郎については?」
「真柴は【FUSCUS】を利用していたと見てまず間違いない。彼は会社勤めの傍ら、趣味で自分で描いたイラストを【ヴィオレッタ】名義でネットに投稿していた。SNSの投稿を確認したら、セピア調で描かれた風景画が載せられていたよ」
繭美は自身のスマホに、まだ残されていた【ヴィオレッタ】のアカウントの投稿を表示した。最近の画像生成AIのクオリティに驚嘆する文言が添えられた、セピア調で描かれた湖畔の城は、【FUSCUS】の画風と完全に一致している。
「まだ知名度が低いとはいえ、【FUSCUS】自体は誰でもアクセス可能な画像生成AIだ。利用者の明暗を分けたのは【未来の私】というキーワードを知り得たかどうかか」
そうでなければ被害者はとんでもない数に上ることになる。鍵を握るのは【FUSCUS】以上に【未来の私】というキーワードの方だ。
「玖瑠美ちゃんのサークルには、二輪和仁から伝わったのよね」
「二輪は元々、
「私は二輪についてもう少し掘り下げてみようと思う。ひょっとしたら他の被害者とも繋がりが見つかるかも。本来の仕事もあるし、少し時間はかかるかもしれないけど」
「助かる。こればっかりはお前が頼りだ」
「そういう雨谷くんの方では何か分かったの?」
玖瑠美が警察官としての立場で情報を収集している間、光賢はITジャーナリストとしての目線で【FUSCUS】についての調査を行っていた。知識、人脈共に、この分野の情報収集に関しては警察官の繭美を凌駕する。
「各方面から情報を収集したが、【FUSCUS】の開発元である【MEDIA NОX】について詳細を知る者は誰一人として見つからなかった。もちろん既存の企業や開発チームにも当てはまらない。このことから【FUSCUS】は個人製作の画像生成AIである線が濃厚だ」
「素人の私には、このクオリティは個人製作の域を越えているように思えるけど?」
「普段からこの分野を取材している俺も同意見だよ。だが、天才というのは存在するものだ。業界内では開発者の【MEDIA NОX】の正体ついて様々な憶測が飛び交っている。過去にも高性能AIを個人で開発して世界を驚かせた天才、ラーヒズヤ・バクシの名前がよく候補に挙がるが、【FUSCUS】が完全に日本国内向けの仕様であることから、俺は日本人プログラマー
「何者なの?」
「十四歳でMITに合格した神童だ。情報工学に精通し、世界最高峰のプログラマーの一人とされている。フリーランスとして各地を渡り歩き、多くの重要なプロジェクトに関わって来た生ける伝説だが、ここ数年は表舞台から完全に姿を消している。極秘裏に巨大なプロジェクトに関わっているとも、これまでに開発したプログラムで得た莫大な特許料で悠々自適な隠居生活を送っているとも言われている。それ自体が業界内ではちょっとした都市伝説だ」
「その八起深夜が、独自に【FUSCUS】の開発を行っていた可能性があると?」
「少なくとも、それだけの技術力と資金力を彼女は有している。現在は国内在住との噂もあるし、調べてみる価値はあると思う。彼女が無関係だったとしても、専門家としての立場から意見を仰げるかもしれない」
「私の方でも八起深夜の名前は覚えておく。被害者との間にも何か接点が見つかるかもしれないしね。何か彼女の人相が分かるものは?」
「直近だと4年前に雑誌のインタビューを受けた時の写真が残っているはずだ。画像を送るよ」
「直近で4年前なの?」
「ここ数年は表舞台から姿を消していると言っただろう。以前はSNSで一般のフォロワーとも気さくにやり取りしていたようだが、そのアカウントも3年程前に削除されている。どういった心境の変化かは分からないが、その頃から彼女は外界とのあらゆる接触を断っているようだ」
険しい表情のまま、光賢はパソコンから繭美のスマホへと八起深夜の画像を転送した。
画像の八起深夜は色白な肌とショートボブの黒髪が印象的な細身の女性で、印象的な大きな瞳には、見る者を捕らえて離さない、独特な引力のようなものが感じられた。何の根拠も存在しないが、現在も過去も未来さえも、この4年前の写真と変わらぬ存在感で彼女は存在し続けていると確信出来る。さながら現代に生きる魔女のように。
「左手の薬指に指輪をしてる。既婚者かしら?」
「どうだろうな。流石に私生活までは分からない」
インタビューを受ける八起深夜は左手の薬指に、月桂冠をデザインに落とし込んで特徴的な指輪をはめていた。本人が過去に私生活を公表していない以上、指輪をはめている以上の情報はない。
「雨谷くん。全ての真相が明らかになった時、その中心に八起深夜がいたら、君はどうするつもり?」
親友として、何よりも警察官として、これだけは確認しておかなければいけなかった。妹の死の真相を知りたいという兄としての感情は理解出来るが、その奥に潜む復讐心への懸念を排除しきれない。
玖瑠美の死が完全にオカルトか何かだったなら別の可能性もあったかもしれないが、人為が介入していたとすれば、光賢は決して相手を許さないだろう。平時では解放されることのない攻撃性が開放される条件を今の光賢は恐ろしい程に満たしている。
「真実が明らかになれば俺はそれで十分だよ」
微笑む光賢に、繭美は何も言葉を返すことが出来なかった。
光賢は復讐を躊躇わないだろう。いざという時は、自分が制御装置にならなくてはいけない。
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