三千世界の賢者覚醒譚 ~元商社マン、不運続きの果てに世界と時間を超越する~【改稿版】
雷神 透
第一部 奇跡と助力は土下座してでも求めよ
第一章 嘘つき賢者、白猫と美鬼に出会う
第〇〇一話 嘘つきは終焉の始まり I
「――いいか。きみがウソつくと、それがげんじつにニャる。たとえ、そのウソが、せかいのはめつ、のぞむものでも」
――今俺は、とんでもない与太話を聞かされている。
聞かせてくる相手もまた、俺の想像の遙か彼方にあった――そいつは俺のベッドの上にちょこんと座りながら、驚きの余りに腰を抜かした俺を見下ろして、〝人間の〟言葉を、あどけない幼顔で真剣に、尊大に言い放っている。
思いつく以上の奇想天外なシチュエーションに、俺は恐怖や驚きといった生易しい感情を持ちえず、ただただ唖然としていた。
もう一度言おう。
――今俺は、とんでもない与太話を聞かされている。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
『――おい、危ねえなお前! 何処見て歩い……』
肩がぶつかりそうになり、男が威勢よく啖呵を切ろうとして、顔を引きつらせた。俺は男の怒声に反応すらせず、くたくたのシャツとよれよれのトレパンにサンダルという着の身着のままで、梅雨空の下で街路をふらふらと歩いていた。そんな俺の姿を見た男は、そのまま何も言わずに俺から距離を取った。汚物を見るかのような視線を投げかけながら悪態をついて離れていった男に、俺は何も感じていなかった。
『――――』
家に鍵をかけたかどうかも覚えていなかった。きっと、俺の顔はヤバい程不審者のそれだっただろう。両目の下には隈が色濃く浮かび、髭もずっと剃っていなかった。そんな男が雨に打たれてふらふらと歩いていれば、ヤバくない方がどうかしている。
――家族からも、友人からも、会社からも、恋人からもあっさりと見限られた――少なくともそう思っていた俺は、とうとう自分からも見限られた。近所を走る物流の大動脈が見下ろせる陸橋へ、おぼつかない足取りでフラフラ歩いた。道を歩く人々は奇異な目で見ながら俺に道を譲ってくれた。
『……ん……何だ、この妙な――』
とある雑居ビルの隙間に積もる、社会の闇。その中に奇妙な気配を感じた。注意を向けると、白い雑巾のようなものが横たわっている――生後数週間程の白猫だった。まだ息はあったが、相当弱っていて今にも死にそうだった。
今までに他人から受けた仕打ちの結果、俺は極度の人間不信に陥っていた。そんな俺が動物に救いを求めたのは、ある意味で必然だったかもしれない。俺が裏切りさえしなければ彼らも裏切らない……俺はそう考えていた。そして、そんな俺が目の前で倒れている子猫を見て、何もしないという選択肢を取ることはできなかった。
『お、おい……お前さん大丈夫か――いやどうみても大丈夫じゃないな』
死に場所に向かって歩いていた俺はその考えを一旦棚に上げ、白猫を拾い上げる。綿毛の塊でも抱えたのかと思うほど軽かったそれを両腕の中で温めながら、一旦俺のマンションに戻ることにした。以前飼っていた黒猫が使っていた道具があったので、とりあえずそれで何とかしようと思った。
水を含ませ、体をこすって温めた。ブランケットにくるんで、ベッドに寝かせた。後はエサを何とかしないといけなかったが、流動食はあいにく置いていなかったので近所のコンビニへ買いに走った。
その後も俺は猫が目を覚ますまで寝ずに世話を続けた。身体が全く汚れておらず、ノミやダニなどの類も見当たらなかったのはびっくりした。更に、耳たぶが桜の形にカットされていなかったので、手術をされているのかいないのかが分からなかった。もっと言えば、猫は女の子だった。
やがて頑張って世話をした甲斐があったか、子猫が意識を取り戻した、俺は心から安心して買ってきておいたエサを与えたのだが、スンスンと臭いを嗅いだと思ったら力なくそっぽを向いてしまった。まだ食べる元気が戻っていないのだろうとその時は思った。とりあえず、汚れが見られないとは言ってもあんなゴミだらけの所で倒れていた子猫の体を洗おうと風呂の用意をした時、異変は突然やってきた。
『ぼく、どこも、きたニャくニャい。ふろ、ひつようニャい』
俺は数秒間呆気に取られた後、思いっきり叫んでしまった。そのせいでまた警察を呼ばれてしまったが、そんなことがどうでも良くなるくらいの、衝撃だった。
□■□■□■□■□■□■□■□■
「な、ななな…っ!? ね、ねね猫が、しゃ、喋っ――」
「だいじょうぶ、おちついて。たすけてくれて、ありがとう。しぬところだった」
目の前の子猫が俺にも理解できる言葉を操って意思の疎通をしている。その事実で俺の頭はパニックとパンクを同時に味わった。俺がなおも言い募ろうとすると、突然部屋の中の空気が一変する。まるで空気がガラっと入れ替わったような感触が、俺の肌を包み込んだ。不快な感じはしないが、一体何だろうか。
「
白猫の全身が水色に光り輝き始め、俺はその光を目の当たりにして浮足立った心が何故か平静さを取り戻してゆくのに気づいた。何だろう、今まで慌てふためいていた自分自身が少し恥ずかしいとすら思える。何と言っても、眼前の白猫が俺にも分かる言葉を話しているという驚きすら、和らいでいるのが自分でも実感できた。
「おちついた? きみのこときずつけるつもり、ぜんぜんニャいからあんしんして。はニャしだけでも、きみにきいてほしい」
「――な、何だって言うんだ、猫が喋るなんて……俺は夢でも見ているのか――」
「ぼく、ディアという。きみのニャまえ、おしえて」
「えっ――お、俺は、
猫に自己紹介をするのも猫から名前を聞くのも初めての経験だった。そして更に、家族の名前はどっちかと聞かれ、黒埜が姓だと教えてやった後の質問が、また想像を絶するものだった。
「――じゃあ、ケン。きみ、しんでしまいたいと、おもってるの?」
その質問はあまりにも唐突で不躾で、更に不可解だった。何でこんな白猫風情が、俺の内心をえぐるような質問を飛ばしてくるのだろう? 確かに俺は白猫と出会った時には、まさしく自らの命を断とうとして街を歩いていたけど……
「だ、だったら何だって言うんだ?」
「はい、いいえ、どっちかでこたえて。きみ、しにたいの?」
――駄目だ、話が通じそうにない。俺の都合も気持ちもお構いなしに、この白猫はずけずけと踏み込んでくる。こういう時は適当にあしらってさっさと終わらせよう。
「うん、そうだ。よく分かったなあ、賢い子猫ちゃんだ。それよりもお前さん、腹は減っていないのか? エサも買ってきて――」
「ウソ、だニャ。しにたいとおもってる、これほんとう。でも、しにたくニャいともおもってる。きっときみ、しぬのおそれてる。りょうかい。じゃあつぎの――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。勝手に話を進めないで欲しいんだが、何故お前さんに俺の気持ちが言える? 何で俺が嘘をついているなんて適当なことを言う?」
「ぼく、ウソみぬくちからもってる。ぼくに、ウソニャんかつうようしニャいんだ。そんニャことより、つぎのしつもん。きみ、このせかい、きらいニャの? せかい、ニャくニャってほしいの?」
――な、何なんだこの猫はっ!?
さっきの質問といい、どうしてこいつは俺が抱えているマイナスな感情ばっかりをつついてくるんだ? というかそもそも何で俺はこんな猫に問い詰められている?
ああもう、面倒くさい。本当に適当に答えてさっさと解放されたい。
「いや、別に嫌いじゃあない。確かに今まで何をやっても駄目だったし、頑張っても行き着く先は貧乏くじだった。傷つきたくないというのは本音だし、死にたくないと思っているかいないかで言えば、否定がはっきりとはできないのも事実だよ。でも、だからと言ってこんな世界なんかなくなっちまえとまでは、思っちゃいない」
「――うん。それがかくにんできて、よかった。このせかい、すきニャんて、ウソ。でも、ニャくニャってほしいとおもってニャい、これほんとう」
「だから、どうしてそんなことがお前さんなんかに言えるんだって聞いているだろ。俺はもう生きていくのに疲れたんだ。もうこんな話は止めにして――」
「ダメ。きみ、しニャせない。きみ、にがさニャい。ぼくが、きみまもる。きみが、ぼくまもる。やっと、みつけた。せかい、こわすひと」
「ちょ、そ、そそ、それはどういう――」
何を口走ってるんだこの猫は!? 死なせないだの世界を壊すだの訳が分からない。おまけに、俺がこの猫を護る? この猫が俺を護る? 一体何の話をしているんだ。
「ま、待ってくれ。俺はお前さんの面倒を見るだなんて一言も――」
「――いいか。きみがウソつくと、それがげんじつにニャる。たとえ、そのウソが、せかいのはめつ、のぞむものでも」
「――は、はあああっ!?」
――今俺は、とんでもない与太話を聞かされている。
「俺がついた嘘が……
だが、残念ながら、その馬鹿げた話を、俺自身が一蹴できなかった。
い、一体、この白猫は何なんだっ!?
何故こいつはこう――俺の古い記憶から心の傷から、えぐり出してくるんだ……?
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