第5話

 翌日から、あれほど毎日執拗に通っていたヴィクトルが店に来なくなった。


 既にモーニング終わりの凪時間の過ごし方はヴィクトルと過ごす時間として定着していたので、来なくなったら来なくなったで、胸にポカリと穴が空いたような気分になる。


 そしてヴィクトルと入れ替わりに、モビウスの来店頻度が上がった。相変わらず舐めるような視線で見つめられ、ぞわりと寒気がする。モビウス目当ての女性客も増えて、落ち着きが売りの店は徐々に騒がしくなっていった。


 それに、「昨日の夕方客がお皿を割ったらしいね、怪我はなかった?」であったり、「今日も色んな男に声を掛けられたようだけど、本気にしたらダメだよ」など、モビウスはまるでどこかからその日の様子を全て監視しているかのように語る。グレイシアはその姿に恐怖心を抱いた。


 モビウスはグレイシアを我が物のように考えている節があり、そのことも相まって不快感が募る。

 グレイシアは、モビウスの過度な干渉や恋人気取りな態度にげんなりとしていった。


 ヴィクトルは頭のネジがぶっ飛んではいたが、グレイシアが怖がることや嫌がることは決してしなかった。それどころかグレイシアの幸せのためならと身を引く強さも持っていた。グレイシアは今更になってヴィクトルの言葉の意味を理解しつつあった。




 そしてある日、グレイシアはモビウスにこう話しかけられた。


「そういえば、最近現れないようだね」


 グレイシアは何のことかさっぱり分からずに眉間に皺をよせた。


「何のことでしょうか」

「いやぁ、君にしつこく付き纏っていた男のことだよ」


 ニヤニヤと何が楽しいのか笑みを浮かべて語るモビウス。ヴィクトルのことを話題に上げているのだと気付いたグレイシアは、不快感を露わにした。


「誰のことをおっしゃっているのか皆目見当もつきません。もしや今私の目の前にいるお方のことでしょうか」

「ふふふ、素直じゃないところも可愛いな。いやね、君が随分と困っているようだから、あの男にちょいと釘を刺しておいたのさ。グレイシアには僕という恋人がいるから無闇に付きまとうなとね」

「なっ……」


 グレイシアはモビウスの恋人になった覚えもないし、あの日ヴィクトルが身を引いたのもこの男のせいだと言うのか。確かに改めて考えると、あの時のヴィクトルの様子はおかしかった。


「過度に干渉するのはやめてください。私はあなたの恋人でも何でもありません。あなたはただのお客様であってそれ以上でも以下でもありません」

「ああ、グレイシア…君は素直じゃないね。あの日俺の贈り物を受け取ってくれたじゃないか。俺の想いの結晶を、ね」


 モビウスが指差したのは、エプロンに付けられたお守りだった。


 ……いや、これはあんたが半ば押し付けるように渡したんでしょうが!!外したら外したで、どこで監視してるのかすぐに店に現れては付けろと言ってくるくせに!!


 グレイシアは余りに勝手な言い草に肩を震わせた。


「君を閉じ込めて、ずっとずっとずっと眺めていたいよ…グレイシア、君はとっくに私の気持ちに気付いているんだろう?気付いていて試すようなことをしているんだ。ふふ、それも君の可愛いところだけど、そろそろ素直に僕のものになってもいいんじゃないかな」


 モビウスはガタリと椅子を鳴らして立ち上がると、ジリジリとグレイシアに歩み寄った。モビウスの目にはグレイシアしか映っていない。最悪なことに今、店には誰もいない。店長はバックヤードに豆の補充に行っている。すぐ戻ると思うが、今この男と二人きりの状況は危険過ぎる。


 グレイシアの防衛本能が全力でアラートを鳴らす。店を外すことは忍びないが、我が身を守るためには逃げるしかないか、とグレイシアは足を踏み締めて入り口の扉に駆けた。


「逃がさないよ」

「なっ!?」


 だが、ドアノブに触れた途端、バチッと手が弾かれてしまった。


「……まさか、結界?」


 超高等魔法の結界を張られたらしい。状況は最悪だ。

 この男は貴族で魔法の腕もピカイチ。ごく一般的な魔力しか持たないグレイシアに結界は解けない。


 コツコツと高そうな靴音が徐々に近づいて来る。グレイシアはドアから離れて窓際まで逃げるも、すぐに壁を背に追い詰められてしまった。


 トンっとモビウスは壁に右手をついてグレイシアを閉じ込める。空いた手でグレイシアの顎を持ち上げると、頬まで口角を吊り上げた。グレイシアは精一杯虚勢を張って目の前の変態を睨みつけた。


「ああ、その目…最高だね。毛高き狼のような気品…征服欲が刺激されるようだ」


 じっとり舐めるような視線に臆することなく睨み続けるが、次第にモビウスの顔が近付いてきて、グレイシアはここまでかと歯を噛み締めた。



 まさにその時――



 バチン!!


 落雷のような音がして、グレイシアとモビウスは弾かれたように音がした方――入り口の扉へと視線を向けた。


「ヴィ、ヴィクトルさん…」


 結界を弾き、カランとドアベルを鳴らして店内に入って来たのは、目に見えるほどの魔力を携えたヴィクトルだった。

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