第8話 ゲーム本編の開始
ついに来た。来てしまった。
「ジャスティナ社長、連れてきました」
「……ありがとう。MaTsurikaのみなさん。突然、お呼び立てしてすみませんね」
来てしまった、MaTsurikaを見捨てる日が!
事情を知っている緑さんは、MaTsurikaを連れてきたもののとても気まずそうな顔をしている。突然呼ばれたメンバーも、緑さんの表情を見ていい報告ではないと理解しているのだろう。とても不安げだ。
昨日、ついに社長の引き継ぎ作業が一段落した。マツショク内で実際何月何日にこの移籍騒動が起きたのかは分からないが、早いに超したことはないだろう。と、早速MaTsurikaを呼びつけたのである。
順に部屋に入る彼らを、私の前へと立たせた。足の震えがバレないように、私は社長席に当然のように座っているけれど。
大丈夫、何度も練習した。大丈夫。
「……今日は、皆さんに大事なお話があります」
ごくり、という音が聞こえてくる。緊張感でまた心臓が痛みそうだったが、深呼吸をしてなんとか鼓動を落ち着かせた。
「MaTsurikaは私が結成したこと、皆さんも覚えているかと思います。ですが……」
ゲームのジャスティナに抱いたイメージを思い出して、できるだけ、冷たく、突き放すように……
「申し訳ありませんが、本日限りで私はMaTsurikaのプロデュースから手を引かせていただきます」
私が発した言葉は、自分でも想像以上に冷淡で、私は本当にゲームと同じでジャスティナなのだと実感する。突然突き放されたメンバーは、それぞれ動揺を見せていた。
静かに眉を顰める蒼、苛立ったような目をする紅夜、悲しそうに瞳を震わせる燈真、ただただ困惑している紫音。
それが辛くて見ていられなくて、早く終わらせたい私は言葉を乱暴に続けた。
「……なんというか、パッとしないじゃないですか」
「ジャスティナ」
蒼が、まっすぐ私を見つめる。幼なじみだから分かる。彼は、この期に及んで私を信じようとしているのだ。でも、それではダメだ。特に蒼は……蒼には、傷付いてもらう必要がある。
「……売り出すのも疲れたっていうか」
蒼が傷つかなかれば、松田桃菜は彼のルートに入ることすらできない。
「もう、嫌なんです、疲れたんです。売れる望みのないあなたたちを育てるの……」
蒼ルートならば、私の生存確率はグッと上がるから。そんなわがままな理由で、私は幼なじみを傷つけなければならないのだ。
社長室が、水を打ったように静かになる。怖くて、彼らの顔を見たくない。でも、ここで弱った姿を見せてはいけない。毅然と、酷い人間にならないと彼らは優しいから私を心配してしまうだろう。
見上げて、真っ直ぐ一人ひとりに視線を合わせた。
「ただ、これまで一緒に過ごしてきた情はこれでもありますからね」
私はファイルの中から書類を取り出す。そして、蒼に手渡した。
「移籍先は探しといてあげましたよ」
「移籍……?」
「ほら、ここです。【NEXTプロダクション】」
言葉を失ったメンバーが、呆然と渡された紙を見ている。
……私がゲームで知っているのはここまでだ。ジャスティナが移籍をさせる際に伝えた言葉は、ここまでしか知らない。だから、ここからは私の知らない場面。ジャスティナが本当にMaTsurikaを追い出すシーンだ。
「……なぁ、何でなん? 社長、おかしいやろ」
「そう、ですよ。あんなに応援、してくれてたのに……」
やっぱり。あのMaTsurikaが、簡単に認めるわけがないのだ。ジャスティナは一体、ここからどうやって彼らを追い出したのだろう。愛おしい彼らを残酷に切り捨てることができたのだろう。
「申し訳ありませんが、伝えた通りです。もう、無理だと判断しました。社長として」
「……ジャスティナ、なら、どうして移籍を」
「全員、要らないからです」
「要らないなら、解雇でいいだろ。何で移籍なんだ」
「それは……」
「僕が、無理を言いました」
返答に詰まったところで、それまで静観していた緑さんが口を開く。全員が、彼を振り返った。
「社長が、MaTsurika全員を解雇するとおっしゃるので……せめて移籍という形にしてほしいと、お願いしました」
最後までこの計画に反対していた緑さんが、自ら協力してくれるとは思っていなかった。心の中で感謝をのべて、ありがたくその嘘に便乗させてもらう事にする。
「……違うな。ジャスティナが、委員会であんまりいい扱いじゃないのは知ってる。MaTsurikaを捨てろって、上から命令があったんだろ?」
「……蒼、それは希望的観測です。私が、いち社長としてMaTsurikaは捨てるべきと判断しました」
「嘘だ。ジャスティナは、父親に逆らえなかっただけだ。俺らを守るために、移籍って形を取ったんだろ?」
「……いいえ。移籍については、緑さんが提案しました。彼自身も事務所を移る覚悟で移籍を提案していたので、その熱意に免じて承認してあげただけです」
「違う、違う! ジャスティナは、そんな――」
「ところで蒼、さっきから、敬語を忘れてませんか」
その一言から、蒼は言葉を発しなくなった。彼にとってタメ口というのは、私たちの大きな親密さの現れだったのかもしれない。蒼以外は、私に言い返したくなるほどの信頼は無かったようで、蒼が黙り込むと自然とMaTsurikaは社長室を退室する流れになった。
バタン、とドアが閉じ、すぐにガラス窓をスモークに切り替える。私はカウチに倒れ込んだ。
「……最悪だなぁ」
本当に、ここまでしなければならなかったのだろうか。なんて、今になってそんな後悔が溢れてくる。しかし、明日から早速彼らは別事務所に移り、松田桃菜と出会うはずだ。それが、正しい道筋のはずなのだ。
「早く、一年経って……」
今すぐ、彼らが成功する姿を見たい。自分の判断は間違っていないのだと確信が欲しい。
IDGPでMaTsurikaが優勝するというある種の確信がある私でさえこんな気持ちなのだ。ゲームのジャスティナは、どんなに苦しかっただろう。彼らをあんなに傷つけた自分を、許せなかったに違いない。逃げるように、心臓手術を受けたんじゃないだろうか。それは、一種の自傷行為のように――
溢れ出る涙を、拭うこともできずに、私はカウチへとただただ身を沈めていった。
それから目を覚ましたのは、緑さんが社長室へと戻ってきた夕方のことだった。明らかに泣き腫らした姿の私を見て、買ったばかりのペットボトル水を手渡してくれる。
緑さんもMaTsurikaと共にNEXTプロダクションに移籍することが決まった。ただ、引き継ぎ作業はこれから行うため、彼らに合流するのはもう少し先のことになるが……それでも、緑さんのこういった優しい気遣いをこれからは受け取れないのだと思うと寂しくなる。以前言ったように、彼は前世での私の最推しでもあった。ここがゲームの世界だと気づいても暴走せずに済んだのは、彼の存在があったからだろう。
「みんな、怒ってた?」
「……というよりは、傷付いてましたね」
「そっか……」
「でも、あなたほどじゃなかったです」
そんなに泣くならやめればよかったのに。と少し呆れたように笑う緑さんに、また涙がじわりと滲む。
「大丈夫です。敏腕マネージャーの僕が、MaTsurikaにあなたが笑える未来を必ず掴ませます。だから……これからしばらくは、安心して待っていてください」
「……はい……ありがとうございます……」
「……あぁ、そうだ。もしもMaTsurikaが上手くいかなかったら、僕がジャスティナさんと結婚しましょうか?」
「え! な、なんですか急に」
「以前、僕のことを見て結婚と仰ったので、結婚したいのかな〜と」
「恥ずかしいことを掘り起こさないでください……」
しんみりと、でも穏やかに時が流れる。涙はどうしても止まらなかったけれど、すぐに移籍するMaTsurikaに見られることはないはずだ。それだけが、今の救いである。
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