第十一話 激昂

 すっかり孤立した美星だったが、同胞の小鈴だけは変わらず友人でいてくれた。

 失った友と同じ名を呼べる事は美星の心を落ち着かせてくれたが、小鈴はやけに暗い顔をして俯いていた。


「小鈴、どうしたの? 具合悪いの?」

「私は平気。ただ弟の具合が悪くて」

「ご病気? 薬なら宮廷備品で頂ける物もあるわよ」

「ううん。水が合わないの」

「水って飲み水のこと? 合わないってどういうこと?」

「水道水よ。あれ駄目なのよね」


 天藍が皇太子に立ち、真っ先に整備されたのが水道だった。

 これまでは街中にある井戸を使えるのは獣人だけで、人間と有翼人は遠く離れた川まで汲みに行かなければならない。

 これが国民最大の重労働だったが、どんな奇跡を起こしたのか一年足らずで『水道』というものが国内に導入された。蛇口を捻れば水がでるという画期的な設備で、人間社会では当然のように用いられるものらしい。蛍宮では獣人と一部の人間の居住区画にのみ存在していたのだ。

 国民は皆歓喜したが、しばらくして有翼人は落胆した。どういうわけか水道水を使うと体調を崩したのだ。

 みるみるうちに羽の色が濁り、川を流れる天然の水に戻した途端に回復した。この時に初めて自らの生態を知った有翼人も多いようだった。

 だが美星は水道水を使わなかった。水道水は体に悪いということを幼い頃に経験済みだったからだ。


(うちは昔から水道があった。だからお父様は氷を買ってくれてるけど、普通の家はそんなことできないんだ)


 響玄は人間だ。住居も人間の居住区画にある。そのため幼いころから自宅には水道が存在し、物心ついた頃には水道水は駄目だと理解していた。

 代わりに響玄は氷を大量に仕入れ、美星はそれが溶けた水を使っている。美星は水汲みなどすること無く生活をしてきたのだ。


(そうだ。氷を少し分けてあげれば)


 氷は台車で移動するのでさしたる労働ではない。美星でもできることだ。

 けれどふと浩然の言葉を思い出した。


『配給は一度じゃなくて永続的にやらなけりゃ駄目だ。けどその配給にかかる食材費は誰が出す?』


(……ずっとは無理だわ)


 響玄は面倒を見ている有翼人ですら氷を与えていない。分け与えるくらいなら保管し家族で消費する。そう簡単に仕入れられる物ではないのだ。

 美星はぐっと唇を噛んで言葉を呑み込んだ。


「あーあ。どうして弟だけ良くならないんだろう」

「弟さんだけなの?」

「うん。私もそうだったけどもう平気。美星は?」

「あ、ああ、そう、そうね」


 美星は名言せず、言葉を濁した。

 水道水で起きる体調不良がどんなものだったかなんて覚えていない。具体的な症状や改善策の話になってしまったらすぐにぼろが出るだろう。


「配給で飲み水くれないかなあ。食べ物なんてそれなりでいいし」

「そ、そうよね! 頼んでみましょうよ。そうすればきっと」

「初日に言った。でも『検討する』で終わり」


 再び浩然の言葉を思い出した。


『単にお金と人が足りないから全種族いっぺんに対応はできないってだけ』

 

(予算が無いんだわ。食料より氷の方がうんと高い)


 決して無視しているわけでは無いのだろう。だがそれは『検討』などと言う単語で伝わりはしない。

 それを説明し理由に納得できたとしても、生活が苦しいことに変わりはない。そんなの無視してるのと同じだ。

 国民に誠意を見せない姿勢は護栄への苛立ちを再燃させた。


「川をこっちまで引ければいいのに」

「獣人保護区はそうらしいわよ。川から水路作って天然の水を流してるって」

「は? じゃあ分けてくれればいいだけだわ!」

「って思うでしょ? でも『検討する』ですって。やっぱり獣人優位なのよ」

「そんな……」


(分けたら獣人の分が減る。ならそれはできないでしょうね。うちと同じことだ)


 美星には解決案など思い浮かばなかった。できたのは水汲み手伝うわ、と言うことだけだった。

 その後はなんとなく小鈴とも話にくくなり、重い足取りで開始ぎりぎりに出勤すると下働きの控室がやけに騒がしい。


(何してるのよ。蘭玲様に怒られるわよ)


 呆れながらひょいと覗き込むと、そこでは数名の下働きが取っ組み合いをしていた。

 その中央で床に這いつくばっているのは小鈴だった。罵声を浴びせられ服を剥かれ、背が顕わになり羽の付け根が見えている。


「小鈴!」

「美星……」


 美星は慌てて上着を脱ぎ小鈴にかけてやる。痩せ細った肩はかたかたと震えている。

 有翼人を囲んで羽を蔑む。それはまるで有翼人狩りのようだった。


「ちょっと! どういうつもりよ!」

「どうって、だって見てよその子の背中」

「変な病気なんじゃないの」

「入廷の健康診断どうやって誤魔化したのよ」

「ち、ちが……わたし……」


 小鈴は何も言い返せないでいた。

 有翼人は世界に危害を加えたことなど一度もない。迫害されて殺されて、それでも仕方ないと思える理由などありはしない。

 美星は小鈴を抱きしめ取り囲む少女達を睨みつけた。


「これが何だというの。何の問題があるの」

「問題って、だって気持ち悪いじゃない!」

「茸か虫の繭みたい」


 小鈴の身体がびくりと震えた。

 耐え切れず、美星は上衣を脱いで背を見せつけた。そこには小鈴と同じ、羽の付け根が残っている。


「私は有翼人。これは有翼人狩りを逃れるため羽を落としたその名残」

「羽? 嫌だ。嘘でしょ」

「嫌? 何が? これに何の問題があるというの。獣人が獣化するのと同じ事よ!」

「いや、でも、単純に気持ち悪いじゃない」

「そもそも有翼人てなんなの? 羽生えてるってのが意味分かんないし」


 差別だ。

 これが未だ蛍宮にも残る有翼人差別の概念なのだ。

 だが蛍宮でそれはもう許されない。


「それは全種族平等を掲げる殿下を否定すると分かって言ってる?」

「そんな大袈裟なことじゃなくて」

「嫌なものは嫌なのよ」

「先代皇は『気に入らない』という理由で有翼人狩りをしたわ。それと同じことを殿下の宮廷で言うのね!」

「何よ! 生きてるだけいいじゃない! 殺されなかったんでしょ!」

「そうよ。それとは話が別だわ。大体あんた生きてるじゃない。お父様のお金でぬくぬくと」

「七光りのあんたが有翼人代表気取っても説得力ないわよ。羽無しのお嬢様!」

「何ですって!?」


 美星は怒り心頭立ち向かったが、中心核の少女がばんっと机を叩いた。


「有翼人は水道水が苦手だそうね」

「だったら何よ」

「私知ってるわよ。天一は氷をたくさん買ってるの。あれあんたのためなのね」

「え……?」


 疑問の声を上げたのは小鈴だった。

 水道水が使えず苦しいと訴え、美星から水汲みを手伝うと言われた小鈴だ。


「庇うならそれ分けてあげなさいよ! 配給で出して!」

「そ、それは」

「できないんでしょ。なら偉ぶらないで。凄いのはあんたじゃなくてあんたのお父様なんだから!」


 昨日と同じ展開に何も言い返せずにいると、ぱんぱんっと手を叩く音がした。現れたのは蘭玲だ。


「何をしてるんです! 殿下のいらっしゃる宮廷で有翼人差別をするなど言語道断ですよ!」


 全員が黙り、蘭玲はあからさまなため息を吐いた。


「美星。小鈴に新しい規定服の用意をなさい」

「はい」


 言われて小鈴に手を差し伸べるがその手は小鈴に弾かれた。


「自分でやるわ。お嬢様に庶民の事なんて分からないでしょうからね」

「小鈴……」


 小鈴の目は他の少女達と同じ様につり上がり、美星を睨みつけ部屋を出て行った。

 美星はただ立ち尽くすだけだった。


*


 浩然は下働きの控室で起きた騒動を終始こっそりと覗いていた。


(また面倒なことになったなあ)


 蘭玲の説教が始まった控室を離れ、浩然が向かったのは天藍の執務室だ。

 そこには天藍と護栄もいて、一連の騒動を報告した。


「これだからお嬢様育ちは嫌なんですよ。莉雹殿も無責任な採用をしたものだ」

「でも珍しいですよね。莉雹様が私情で人事に口を挟むなんて」

「まったく。せめて私に言ってくれれば適当にしたというのに」

「護栄様の適当は莉雹様の思う適当じゃないんですよ」

「分かってます。だがこれでは有翼人、特に羽無しの扱いが難しくなる。どうしたものか」

「どうにかしろ」


 護栄は小さくため息を吐いたが、天藍はこんっと机を小突いて当然のように指示をした。


「遅かれ早かれこうなることは分かっていただろう。せっかくだ。やれ」

「簡単に言ってくれますね……」

「難しいことを簡単に終わらすの得意だろ。やれ」


 護栄は大きくため息を吐いた。しかしその表情は困ったような顔ではない。

 天藍はぽんっと護栄の肩を軽く叩くと執務室を出て行った。

 残された護栄はまた一つため息を吐き、浩然はくすくすと笑う。


「ああいうとこ卑怯なんですよね、殿下って」

「天藍様の望みならば仕方ありません。手を貸して下さいよ」

「もちろん」


 浩然は幾つかの書類を護栄から受け取ると、それを手に部屋を出た。

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