人と獣の境界線 羽無し侍女の復讐

蒼衣ユイ

序 有翼人狩り

 この世には三つの種族がいる。人間と獣人、そして有翼人だ。

 人間は何の力もない脆弱な存在だった。だが知恵を絞り高度な道具を駆使し、目覚ましい勢いで文明を発展をさせた。繁殖力も高く、今や地上で最も多い生き物となった。

 獣人は獣が人間の姿になれる種族である。獣の習性に従い生きるため人間とは文化や生態が大きく異なり、相容れず対立している。

 しかし近年、新たな種族が確認された。人間でありながら獣の羽を持つ有翼人である。

 彼らは突然現れた出生も成り立ちも不明の種族だ。人間は獣人が食物連鎖の頂点に立つため進化したのではと考えた。獣人は人間が獣の領域を脅かすために作った兵器なのではと疑った。

 両種族からありもしない疑念を向けられた有翼人はいつしか迫害されるようになった。

 中でも絶対強者である肉食獣人と、正しく羽を持つ鳥獣人は有翼人を毛嫌いした。同一視されたことで獣人の血を汚したと怒り狂ったのだ。

 そしてその怒りは『有翼人狩り』という虐殺になって現れた。それは獅子獣人・宋睿そうるいが皇王に立つ『蛍宮けいきゅう』で始まった。

 蛍宮は獣人優位の国家である。人間もいるが、区画をきっちりと分けているため交流は少ない。おかげで目に見える大きな争いは無かった。

 しかし有翼人に用意された区画は無い。許されたのは薄暗く汚い路地に詰め込んだように並ぶ古い建物や、人が住むには険しすぎる森の中といった住みにくい場所だけだ。

 窮屈な日々に有翼人の表情からは希望など微塵も感じられず、通りを歩けば避けられ重苦しい空気が漂う。それが有翼人の日常だった。

 お世辞にも楽しい日々とは言えないが、それ以上の地獄があるとは誰も思っていなかっただろう。


「宋睿陛下は有翼人根絶をお望みだ」

「な、なに、止めて! 止めて!」

「羽を持ち生まれた己を恨め」

「きゃあああ!」


 蛍宮の暗がりから有翼人の悲鳴が多数上がった。

 彼等は粛々と、ただ大人しく暮らしていた。そんな有翼人の住処に武装した獣人部隊が突入したのだ。老若男女問わず対象となり、親は子を連れ逃げ惑った。


美星めいしん! こっちだ!」

「は、はい!」


 有翼人として生まれた美星が二十三歳の|誕生祝をしたばかりだった。

 しかし祝う場を捨て人間である父・響玄きょうげんは家も財も全て捨て国を出ようと走った。しかし国外へ出られる門全てに兵が立ち、有翼人を切り捨てる場所と化していた。

 そして、その中には美星の友人の姿もあった。


小鈴しゃおりん!」

「駄目だ! 出るな!」

「でもお父様! 小鈴が!」


 ふいに小鈴と目が合った。けれど小鈴から助けを請う声は出なかった。その前に剣が突き立てられ、ぱたりと動かなくなってしまったのだ。


しゃお

「声を出すな。来なさい」


 美星は響玄に口を押さえられ、涙をこぼしながら獣道を走った。

 逃げて飛び込んだ先は響玄が賃貸をしている別荘の一つだ。街から遠く森深いため買い手が付かない家だった。


「ここならすぐには見つからない」

「でもどうしたら……」


 響玄は美星の肩をぽんぽんと叩くと戸棚の前に立った。そこから取り出したのは短刀だ。それの切っ先を迷うことなく美星に向けた。


「……お父様?」

「許せ、美星」

「お、お父様? お父様!?」


 響玄は流れるような手つきで刃を振り下ろした。


 しばらくして、どんどんと壊れんばかりの勢いで扉を叩く音が聞こえてきた。

 響玄はごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと戸を開く。


「住人の調査をする。主人はお前か」

「はあ、左様でございます。軍の方が何故このような辺鄙な場所に」

「宋睿陛下が有翼人根絶をお望みである。有翼人はいるか」

「ここには私と病気の娘だけ。二人とも人間でございます」


 響玄は何も分からないふりをして、布団に横たわる美星をそっと抱き上げた。

 だがそこに羽は無かった。人間と同じ服を着ていて羽を出す穴も無い。

 兵はつまらなそうにふんと息を吐くと、くるりと背を向け外へと向かった。


「人間なら良い。この近辺に有翼人はいるか」

「ここは別荘地でして。定住している者はおりませんよ」

「そうか。見かけたら宮廷へ連れて来い。隠せば共犯として死罪となる」

「承知致しました」


 そうして兵は家を出て次の獲物を狩りに向かった。すぐに悲鳴が聞こえて来たが、美星はそれをぼんやりと聞くしかできなかった。

 響玄はしばらく窓から外の様子を窺っていて、少しすると安堵したようにため息を吐き美星の傍に腰を下ろした。


「大丈夫か、美星」

「布団ってこんなに薄いものだったのね……」


 先程響玄は美星に刃を向けた。切ったのは美星ではなく美星の羽だ。

 寝にくくて邪魔に思うこと多かったのに風通しの良い背が物悲しい。


「痛くないわ。本当にこれっぽっちも神経が通っていないのね……」


 有翼人の羽は一見すると鳥の羽だがそれとは性質が全く違う。触れられても感覚は無く、飛ぶどころか動かす事もできない。

 しかしそれは切り落としたとて痛みが無いということだ。だから響玄は羽を切り落とし人間に擬態させた。

 だが何も影響が無いわけではない。美星の視界はぐるりと周り、響玄の腕の中に倒れ込んだ。


「動いてはいけない。有翼人の羽は心が具現化したもの。切り落とせば心――精神を失うと同意義」


 絶対数が少なく、迫害を恐れて隠れ住む有翼人は生態が解明されていない。羽が生えた経緯も構造も不明だが、ただ一つ分かっていることがあった。

 有翼人の羽は心と紐づいている。切り落としても肉体的な痛みはないが、その痛みは精神に現れるのだ。


「大丈夫だ。必ず治してやる。だから今は病に臥せっている事にする。いいな」

「はい……」


 視界が定まらず内臓が掻き回されているような不快感。美星は高熱で動くこともできなくなっていった。

 けれどそんなことは苦しみには思わなかった。


(小鈴……)


 最期に見た小鈴は苦しそうな顔をしていたけれど、悲鳴をあげる間もなく地に伏した。もう二度とその声を聴くことはできない。

 小鈴との最後の会話は、あまりにも普通の日常だったから記憶にすら残っていない。こういう時になって初めてその些細な日常がどれほど大切だったかを知る。


(……殺してやる。宋睿も宮廷も全て殺してやる!)


 美星は宮廷への復讐を誓った。熱が下がり動けるようになったら宮廷へ乗り込んでやろうと決意した。

 しかしこの翌日、響玄から告げられた言葉に驚き目を見開いた。


「今なんて言ったの?」

「陛下が解放軍を名乗る者達に討たれ亡くなった。平和になったぞ」

「平和……?」


 有翼人狩りが始まってわずか三日後、蛍宮は平穏を取り戻していた。

 その中心にいたのは解放軍を率いた兎獣人の天藍(てんらん)という青年だった。兎でありながら獅子獣人の宋睿と鷹獣人の皇后、鷹獣人の皇太子を討った彼は新たな皇太子として宮廷を率いることになったのだという。



「そうだ。天藍様は全種族平等を掲げているという。人間も獣人も有翼人も、境界の無い平和な国にすると宣言なさった」


 激動の三日間は『蛍宮解放戦争』と称された。

しかし戦争と言うにはあまりにも短く、奇跡的に死者は一人もいなかったという。


 無駄死にした有翼人を除いては。


「……平和って何?」

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