お掃除ロボットのみが知る真実と、これから起こる残酷な結末
お掃除ロボットのみが知る真実と、これから起こる残酷な結末 1/1
河川敷の桜がつぼみをつけはじめたころ、僕とユリエの同棲生活は始まった。
ユリエの部屋は1Kの賃貸アパートだ。
玄関をあけると右手にちいさなキッチン、左手にはユニットバスとトイレ、せまい廊下の先には7畳の一室がある。
二人で暮らすにはすこし手狭におもえたが、駅の近くにしては家賃がそれほど高くなく、いい物件だ。ただ、築年数がけっこう経っていて防犯セキュリティがあまいのが残念だった。でも男である僕が一緒に住めば、すこしは防犯対策にもなるだろうと思った。
一緒に暮らしはじめることで、それまで見えていなかったユリエの新しい一面をしることができた。
しりあって間もないころ、僕は彼女の整った容姿からこの子はきれい好きにちがいないと勝手に判断していた。
しかし実際はそうではなかった。こんなことを言うと彼女は怒るかもしれないが、けっこうずぼらな性格だったのである。
食器を洗うのがめんどくさいのか、洗い物はシンクにためがちだし、服だって脱いだら脱ぎっぱなしだ。
彼女のベッドはパイプ製で、脚の長さが30センチほどあるのだが、ベッドの下には様々な物があふれかえっている。まったく、困ったものだ。しかし彼女のそのずぼらさすらも、僕にはたまらなく愛おしいものに思えるのだった。
ユリエと一緒にいられるのなら、部屋がちょっとくらい汚れていたってまったく問題ない。でもユリエなりに散らかり放題になった部屋に対して危機感をもっていたらしい。
ある日、ユリエがとつぜんお掃除ロボットを買ってきた。
お掃除ロボットのボディーは円形で、色はブラック。サイズはちょうど目玉焼きを二人分焼くときにつかうフライパンくらいの大きさだ。
厚さ7センチくらいで、ベッドやソファの下などの手が届きにくい場所でもしっかり掃除できるのが売りなのだそうだ。
それにしても、自分でするのではなく、お掃除ロボットに掃除をやらせようとするところがなんともユリエらしい。
「ねえ、ヒロキ。ルン子ね、昨日もおうちに生還してたんだよ」
ルン子というのはユリエがお掃除ロボットにつけた名前である。
お掃除ロボットは充電式であり、付属品の充電ステーションのことをユリエは「おうち」と表現した。なんともかわいらしい表現だとおもう。
また、お掃除ロボットは部屋の汚れを取りきると自動的に充電ステーションへ戻るのだが、それについては「生還」と呼んだ。もとの場所に戻るだけなのになぜ「生還」などという仰々しい言葉をなぜつかうかというと、スマホ用の充電コードなどに引っかかって行動不能になることが多々あったからだ。
「おうちへ生還できてなりよりなんだけどさ、ちゃんと部屋の掃除はできていたの?」
「もちろん。ルン子のお腹をあけたらゴミがいっぱい入ってたもん。あの子、ずいぶんお腹がへってたんだね」
名付けるという行為には個体を識別する以外に、もっとおおきな意味をもっているということを、僕はユリエから学んだ。
大量生産されたお掃除ロボットは、ルン子という名前を与えられたことによって僕たちの家族の一員となった。
「そういえばさ、ルン子の右側のブラシ、ぐらぐらになってるよ。たぶんネジが緩んでる。ドライバーでしめなおした方がいいと思う」
「本当に? で、ヒロキがなおしてくれたんだよね」
「ごめん。なおしてない」
「えー、なんで。気づいたなら直してくれてもいいじゃない」
「だって、この家ドライバーないじゃん」
「まあ、それはそうだけどさ。あ、そうだ。だったら今から買いに行こうよ」
「いいよ。ついでに夕飯も買っちゃおうか」
「さんせーい。ところでさあ、あたしのスマホ用の充電コードしらない?」
あ、と僕は思わず声が出そうになった。
「しらない。もう、充電コードなくすの何回目だよ。ついでにコードも買えば?」
僕の手のとどく位置に、ユリエが探していると思われる充電コードがみえた。
「そうしよっと。あ、ルン子を起動しておくね。ブラシが心配だけど一回くらい大丈夫でしょ」
ユリエは「よいしょ」といってかがむと、ルン子の起動ボタンを押した。
といっても僕の位置からだとユリエのジーンズの端と靴下しかみえないのだが。
「ルン子、いってくるねー」「コードは食べないでくれよ」玄関の方から二人の笑い声が聞こえた。
無音のなかじっとしていると、ずずず、という音を立ててルン子が僕の目の前を横切った。
ルン子には衝突防止用のセンサーが内臓されていて、壁や障害物に接近すると進路を変更するように設計されている。
僕は家族の一員として、ユリエのベッドの下でルン子の仕事ぶりを見守った。
やがて、ルン子は僕がいるベッドの下へと侵入してきた。
僕はルン子が充電コードで絡まってしまわないように、進行方向にあるコードをわきにどけた。実際にきこえたわけではないが、ルン子が「ありがとう」と僕にいったような気がした。
やっぱり僕たちは家族なのだ。
この家はユリエ、僕、ルン子のためのものだ。
僕たち三人は、家族だ。
それなのに、しらない男が出入りするようになった。
ユリエはルン子のことをルン子と呼ぶ。
ユリエは僕がしらないその男のことをヒロキと呼ぶ。
ユリエは僕の名前を、これまで一度も呼んでくれたことがない。
でもどうすればユリエが僕の名前を呼んでくれるのか、僕はわかっている。
やるべきことはたった一つ。
ベッドの下なんかにいないで、ちゃんとユリエと向き合うべきだ。
そう決心がついたころ、玄関の方からユリエとヒロキの声が聞こえた。
「ただいまー」「ルン子、いい子にしてたか」
がさがさというビニール袋がこすれる音。
がちゃん、という玄関の鍵がかかる音。
とんとん、とんとん、という短い廊下を歩く音。
僕がベッドの下から抜け出ると、ちょうどルン子がおうちに到着したところだった。
僕はルン子にむかって「おかえり」とちいさな声であいさつをした。
これまでずっと一緒にいたのに、こうして言葉を投げかけるのははじめてのことだった。
おうちに到着したルン子が「ただいま」といってくれたような気がした。
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