第32話 慰めることも言葉は無に等しい
三輪は一人、部屋のデスクの上でパソコン作業をしていた。
長らく博士からの連絡がいまだにない。
あれから何通かメールを送信しているのに返信が来ないことが何より疑問だった。おかしい。
そんな疑問に心を翻弄される中、三輪は旧友に連絡をし、問題の調査をすることを依頼した。
数時間後、その友人である柳田が到着し、パソコンの周辺を細かく調査してもらうことになった。その結果、三輪たちはある事実に気が付いた。
それは外部から何者かが三輪のパソコンに細工をしている可能性があるということだった。詳細な情報はつかめなかったが、特定のアドレスを妨害する細工が施されており、おそらくこれが博士からの連絡が来ない原因かもしれないと推測した。
以前、詩絵が何者かがヒナを狙っていると言っていたことを思い出す。まさか、その手がここまで伸びていたとは……。
詩絵自身は、今日は友人に会うためにお昼ごろからアーカロイドで出かけていて、おそらく帰りは16時ごろになると言っていた。時計を見ると14時半を回ったところだった。まだ詩絵は帰ってこないだろう。
三輪は何者かがこうして少しずつ近づいてきていることに気づかなかった。ここまで来ているということは、もはや本格的な対策を練らなければならないかもしれない。
詩絵が帰ってきたら、一緒に話し合おう、と決意した。
現在も大学の准教授として研究室に籍を置いている三輪は、詩絵が帰ってくるまでの時間を利用して、学生の課題の添削に取り組むことにした。
数時間後、隣の部屋――詩絵がいるはずの部屋から物音が聞こえてきた。彼女が帰ってきたのかもしれないと思い、その音に敏感に反応した。
一旦帰ってきたのかな、と思いながらも、まだ残っている課題の添削がキリが悪かったため、三輪はもうしばらく作業を続けることにした。
気づくと、詩絵の予定の帰りの時刻の16時を回っていた。アーカロイドで出て行ったので玄関から戻ってくるはずだ。いつも遅くなる時は連絡がある。だが、それもない。
部屋の方で音がした。ということは一度接続を解除したのだろうか。
だが、少し待っていても詩絵は出てこない。というより、その部屋が静かだったのが気になった。
いつもなら、フルダイブ酔いを整えてから「ただいまです……」と言って詩絵はすぐ出てくるのに。どうしたんだろう。
添削がまだ少し残っていたが、手を止め詩絵がいる部屋の前まで来た。
アーカロイド使用中は接続者の身体は無防備になる。そのため、詩絵と三輪の間でアーカロイドを使用中は断りなしに部屋に入らない、という約束をしていた。
ドアノブを掴むも三輪は部屋を開けることに抵抗があった。
でも詩絵の様子が普段と違う。着替えをしていたとしても部屋を出るまでに時間がかかりすぎだ。
「詩絵ちゃん、もう戻ったのか?」
ノックをし、ドア越しに声をかけてみた。だが、その呼びかけに応える声は全く返ってこなかった。
再び三輪はノックを試みる。今度は少し強めに、確実に詩絵の耳に届くようにとドアを強くたたき、再度声をかけてみた。
「詩絵ちゃん、大丈夫か?」
それでも返事はなかった。三輪は不安に駆られ、思い切ってドアを開けてしまおうかと思いながらも、一瞬だけ判断に迷った。しかし、彼は冷静さを保つべく、最終確認としてドアに耳を立ててみることにした。
ドア越しには、微かな音が伝わってきた。音が不明瞭で分からなかったが、再度耳を寄せ、注意深く聞き入れると、それは詩絵のすすり泣きだと認識した。
「詩絵、開けるよ」
三輪はいつも感じない気持ちを抱きながらもドアノブを回し、押した。カサリという軋む音とともにドアが開き、部屋の中には薄暗い空間が広がっていた。窓から微かに微光だけが漏れ出し、そこは詩絵の静かな鳴き声が重苦しさを増していた。
詩絵はアーカロイドの接続の時に使うベッドの横にうずくまって顔を伏せていた。暗くて詩絵の表情は分からない。詩絵の綺麗なミルクティーベージュ色のボブヘアの毛先もどこか乱れている。
「……何かあったのか?もし話せることがあるなら聞かせてくれないか?」
三輪は言葉を紡ぎだすのに苦労した。何とか事情を聞こうとするもこういった状況の時どのように声をかければ良いのか、正しい言葉選びや声掛けの仕方が分からず、三輪はただ漠然とした不安を抱えていた。
三輪の声掛けによる詩絵の反応はなかった。ただ、その肩が揺れていた。部屋はただ詩絵の鳴き声だけが響き、その音が部屋中を包み込んでいた。
今はそっとしてあげるのが良いと考えた三輪はその場に座り込むとしばらくその場を静観し、彼女が落ち着くのを待つことにした。
三輪はただ彼女のそばにいることだけが自分にできる唯一の支えだと思った。
彼女の背中を優しくなでると、詩絵は少しは落ち着いたのか、静かに体を揺するのをやめ、涙を拭きながら、ゆっくりと顔を少し上げた。
「……ごめんなさい」
その声はか細く、まだ涙で震えていた。
「――いいんだよ」
三輪は優しく言い返した。
「……アーカロイド壊しちゃった。友達も傷つけちゃった。私……!」
むせび泣きながら、目から大粒の涙がこぼれていく。押さえていた感情があふれてしまったのだろう。
「それでも詩絵はこうして無事に戻ってきたんだ。今はそれでいいじゃないか」
三輪は穏やかに言葉をつづけた。
詩絵の身に何があったのかわからない 。友達との間に何かが起きてしまったのかもしれない。詩絵は昔から繊細な子だった。友人を大事にする彼女が自ら人間関係を壊すようなことはしないだろう。
三輪の方にも何者かの手が伸び始めている。その関係なのだろうか。
大人の自分がこんな女子高生を巻き込んでしまったことは事実だ。
――詩絵を深く傷つけてしまったは僕だ。
詩絵にはこれ以上この件には関わらせない方が良いだろう。
「詩絵、今日はもう休みなさい。落ち着いたら明日何があったか、聞かせてくれないか」
詩絵はうずくまりながら、静かに頷いた。
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