第17話 家族団らん

 なんでこうなった……。学校の宿題を片付けようと思っていたのに私が今いるのは、自室の机の前ではなく、リビング。再びリビングに戻ってきてしまった。帰省してきた姉のために。

 家に帰ってきて早々にお腹すいたというので、先ほど作ったカレーを温め直してよそってふるまった。

 洗面所で手を洗い、席に着きカレーを一口食べるな否や、

 

「何このカレー美味しい!詩絵が作ったの?」


 と絶賛。だがこのくらいの料理、姉の方が私よりたやすく作れるだろう、姉に褒められたところで何もうれしくない。


「……お母さんのためにね」


 嫌味を言ったつもりがそんなことは気にせず美味しい、美味しいとスプーンを口に運ぶ姉の動きは止まらない。ものの五分ほどでお皿を空にしてしまった。

 さすが、全国を飛び回って仕事をしている姉だけある。時間を無駄にしない。美味しいものをゆっくりと味わえないのは悲しいというべきか。


「ごちそうさま。美味しかったわ。材料は豚肉、鶏肉、牛肉に――ツナね?陸、海の肉を入れたのね。あれ、空の肉は?」


「……鶏肉が入っているじゃん」


「ニワトリは飛べないけど?」


「……」


 帰省して足をのばすかとかと思えば毒舌。だいぶ貯めていたのだろう。そんな目の前の姉は、いじられる私を見てニコニコしている。どうやら久しぶりにいじることができて嬉しいようだ。私をからかって何が楽しいんだ。料理なんて美味しければ良いじゃないか。


「ニワトリは別に飛べないわけじゃないよ。人間に飼われたことで天敵から身を守る必要がなくなっただけ。だんだんと飛ぶ必要性がなくなって飛ぶのが苦手になったかもしれないけど、飛べないわけじゃないと思うけど。……それなら、全国を飛び回っているお姉ちゃんは鳥だね」


 皮肉を込めたつもりも、


「ふ~ん。面白いこと言うね。そうね、私は飛べる鳥――。いつ仕事がなくなるか分からないから自分の身は自分で守らないといけないからね」


 それを姉は易々と回避する。

 ――あ、確かに。う~ん、悔しい。これ以上言い返せない。姉の言うことも一理ある。最終的に正論で締めてくる姉の方がうわてだ。結局、何を言っても上手に返されてしまう。そんな姉は、言い返せなくなった私を見てそれだけ?という顔をしていて楽しそう。

 それでも、と思って開けかけた口を閉じた。ツナに――止まってしまうと死んでしまうマグロみたいにならないようにね――と、つい根詰めてしまいがちになる姉に対して言おうと思ったがやめる。カレーの具の中のツナを当てられるほどの姉だ。このやり取りも楽しみながら冷静にできる姉だ。この流れなら言わなくとも伝わっているだろう。

 まあ、試合に負けて勝負に勝った、といったところだろう。いや、後者なら――このやりとり、姉がニワトリの話を持ち出した時点でこの結末まで読んでいたなら、私は試合にも勝負にも負けているかもしれない。だがどちらでもよい。一年に何度帰省できるかというレベルで忙しい姉のことだ。日々疲れも溜まっているだろう。帰省してその酷使した羽を少しでも伸ばして楽しんでもらえるならそれでいい。まだ学生の私には、仕事の大変さはまだ分からないのだから。料理とか私にできることは精一杯やろう。


「詩絵……カレー本当に美味しかったわ。ありがとう。数日はこっちにいる予定だから久しぶりに家族団らんね」


 そういう姉の満足そうな顔を見て私も笑顔になった。

 あ、そうだ。宿題しないと……。お母さんが帰ってくるまで私は自室に戻ろうかな。お姉ちゃんもせいせい一人になりたいと思うし。私は席から立ち上がると、


「食べ終わったお皿、片付けておいてね」


 姉に声をかける。だが、返事がない。リビングを出ていく前に、もう一度姉の方を振り向いた。


「お姉ちゃん、私は部屋に戻るけど、何かあったら呼んでよ?」


「うん。ありがとー!」


 姉はこちらを見ずに手をひらひらさせながら答えていた。多分、携帯でSNSのチェックでもしていて忙しいんだろう。いつも通りだな。

 階段を上ると、ふと思いついたことがあった。布団敷いてあげるか……。姉の部屋に入ると、そこはもう私の知っていた姉の匂いはなかった。大学生になっても使い続けていた、学習机やベッドもない。姉が就職して家を出て行ってからどのくらいたったんだろう。家具がなくなってすっきしりしてしまった部屋に、しまっていた布団を取り出し敷く。圧縮袋に入れていた羽根布団も出しておく。これで姉は部屋に戻ればいつでも寝られる状態だ。

 姉の部屋を出ると自分の部屋に向かった。これでやっと勉強ができる。しっかりと集中するため、イヤホンをする。携帯のミュージックアプリを起動すると、BPM110以上のジャズの曲が流れ続ける、30分間の作業用BGMをお供にやりかけの状態のプリントに向かった。


 


「ふう……」


 秋季休み中に出ていた課題はやり終えた。やればできるじゃないか。BGMとしても聞いていた曲も3周くらいはしていたと思うから、1時間と少しで終わらせることができた。やっと一段落ついた……。ずっと座っていたせいで身体中がきしきしする。凝り固まった体を伸ばすため、椅子の上で大きく伸びをした。

 勉強していたときは集中できていたが、今になっていろんな疲れがどっと出てきた。今日はいろいろあって長かったな……。掛け時計を見るとまだ寝るまで2時間ほどある。


「あれ?そういえば……」

 

 勉強中使わずに机の上に置きっぱなしにしていた携帯を見る。すると、メッセージが来ていることを知らせるランプが点滅していることに気付いた。

 

「あ、お父さんからだ」

 

 差出人は父さんだった。内容は、『今日は帰ってこれない』という一言だけのものだった。相変わらずそっけない文章である。

『了解!ちなみにお姉ちゃんも帰ってきているよ』と返信を送る。そしてそのまま携帯の画面を切った。今日は帰れないと連絡があった日は大体いつもこんな感じだ。家族メッセージで送ればいいのにお父さんは個別に送る。お母さんにもきっと同じ文面なんだろうな。私達はお父さんのこういう素っ気なさには慣れている。別に昔、喧嘩していたとかそういうじゃないけど。

 両親ともに共働きだが、お母さんより忙しいお父さんは帰りが遅いときが多かった。早く帰ってきたとしても疲れた様子を見せないように振る舞っていて話しかけづらかった。そのため会話は大体、朝食にすることが多かった。ここ最近はまだマシだが、小さい頃はあまり会話らしい会話をしなかった気がする。

 そんなお父さんだが、まじめに会話するときもある。それは私が中学生のとき、一度だけ話してくれた。そのときのことを今でもよく覚えている。


 それは中学二年の夏休み前のことだった。その日はお父さんは早く帰ってきた日で夕飯も一緒に食べることができた。新聞を読みながらご飯を食べていたお父さんは急に新聞をたたむと食べている手を止めて話しかけてきた。

 

「詩絵、お前進路はどうするつもりなんだ?」

 

 突然の父からの問いかけに私は動揺してしまった。

 

「え……?急にどうしたの?」

 

「いや……まどかは――お姉ちゃんは就職活動に苦労しながらも何とか就職した。お前もずっと一緒にいるから分かるだろうが、まどかの性格は少しきついだろ。思ったことはズバッというし。俺は会社では管理職で部下のマネージメントをやっているから……まどかをみてもう少し手を貸しても良かったのかなと思っててね。だから詩絵が進路とか将来のことを決めるとき、相談に乗ろうと思って」

 

「それで……私のこと心配してくれてるの?」

 

「ああ、まあな。……それで、詩絵は将来の夢とかあるのか?」

 

「う~ん……まだ特に決まってはいないけど……一応、今のところは進学希望だよ。このまま成績を維持できれば、だけどね」

 

「なるほど……。それなら幅広くいろんな分野を学べる高校に行くといい。その中で興味を持った分野があったらそれを学べる大学に行けばいい。まぁ、まどかと違ってまじめに一生懸命に取り組める詩絵なら大丈夫だろう。これでもお母さんも心配しているが、将来のことに親があまり口出すことではないから今は何も言わない。やりたいことは自分で決めなさい。やりたいことが決まった時は応援するからな」

 

「……うん、ありがとう!頑張ってみるよ!」

 

 これがお父さんと唯一まじめに話した会話だった。だが、この会話がきっかけで私に目標ができた瞬間でもあった。少しでも気になったものがあったら、やってみよう。そう思った瞬間だった。

 私はその日から今まで以上に勉強にも力を入れるようになった。当時私が目指していた、今通っている高校は偏差値が少し高い学校だったから気を抜けなかった。そんな私を見て母さんはとても喜んでくれた。

 

「詩絵、最近すごく頑張ってるわね」

 

「うん……私、もっと頑張らないといけないから」

 

「ふふ、そうね。でもあんまり無理しちゃだめだからね」

 

「分かってる」

 

「それと、たまには息抜きも大事だからね」

 

「うん、ありがとう」


 家族の応援もあり、無事に第一志望の高校に合格できた時はとても喜んだ。入学してみると、その高校には国語・数学・英語・理科・地歴公民などの既存の各教科以外に、従来の普通科目以上に幅広く、深い知識を身につけ、今後グローバルな人材となるために必要な国際的な視野を養うために、文系理系の枠にとらわれない「専門科目」もあった。

 また総合的な学習の時間として放課後を使って開講される特別授業があった。その特別プログラムでは日本の伝統文化を学べる講座だったり、プログラミングの講座だったりと面白い授業は多かった。だが、こうした授業の中で幅広く勉強して教養を深めることができたが、それらが私の将来に直結するわけではなかった。

 どれも好奇心が刺激されて楽しい。だが、同時にほどほどにやらないとすぐに飽きてしまいそうだった。生涯をかけて探求したい、とそう思えるものではなかった。だが、そのように感じたことについてお母さんに相談したら、

 

「やりたいことを見つけるといっても、いつ見つかるかは分からないからねぇ。それが何年後かもしれないし」


 お母さんの回答は少しあっさりしていた。ネットでも『天職とは?』と調べてみると、天職とは働いていて心の底から楽しめる仕事、と出てきた。年代別の今の仕事を「天職」だと思っている人の統計を見てみても20代から30代は、およそ五割弱、五割を超えるのは40代からで、60代でも七割にみたない。若いうちは能力や経験、スキルが未熟であるから大きな仕事を任せられることも少ないから、と書いてあってた。年代とともに割合は上がってはいるが、天職に就ける人は少なかった。意外とそういうものなんだ、と感じていた。

 それから、なんとなく生きている日々が続いた。ただ、いつ自分がやりたいことに結び付くか分からないので、今まで通り授業は真面目に聞いていたし、興味を持ったことには取り組むようにしていた。高校を入学して半年がたち、友達とほぼ半日授業の短い夏休みを楽しみ、木々に彩りがつき、秋を迎えたころ、予想外の方向からそれは突然やってきた。

 

 ――私はその日、アーカロイドと出会い、私の人生は大きく変わろうとしていた。


 


 


 


 

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